「その見た目で!?」が突きつける偏見。『ホリミヤ』で気づく日常のルッキズム | 連載Vol.17

「その見た目で!?」が突きつける偏見。『ホリミヤ』で気づく日常のルッキズム | 連載Vol.17
ルッキズムひとり語り+α
前川裕奈
前川裕奈
2025-05-28

社会起業家・前川裕奈さんのオタクな一面が詰まった連載。漫画から、社会を生きぬくための大事なヒントを見つけられることもある。大好きな漫画やアニメを通して「社会課題」を考えると、世の中はどう見える? (※連載当初は主にルッキズム問題を紐解いていたが、vol.11以降は他の社会課題にもアプローチ)

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漫画で社会課題を紐解くことをテーマとした連載を書いている時点で、多くの人は私の生息地が二次元にあることは既にご存知かもしれない。しかし、初めましての人に趣味を聞かれて、「漫画、アニメ、ゲーム、声優の推し活、夢小説創作」と秒速で答えると、「え!そっち系のオタクなんだ、意外!」「その見た目で!?」なんて言われることも少なくない。その見た目で……とは、どういうことだろうか。金髪で、ミニスカで派手顔だから?地黒のせいもあり、見た目が比較的”陽キャぽい”からだろうか(太陽嫌い)。相手は特に悪気なく言ったつもりかもしれない。でも、それって二次元オタクに対する偏見極まりない気もしていて、いつも違和感をもつ。二次元オタクはこうだ、といったビジュアルのイメージが皆の中にあるということだろう。それは、もしかしたらもっと暗そうだったり、引きこもってそうな色白を連想しているのかもしれない。さらには、過去の仕事の話をした時に「大学院を出た」「前職は外務省で、その後は起業した」なんて話をすると、やっぱり飛んでくるのは「見えない〜」「意外!」なんて反応。いや待て、私どんな風に見えてんだ、と。

見た目でなんとなくカテゴライズしてしまうことは、日常にも蔓延っている。たとえば、「黒髪でメガネだから、真面目そう」「体育会系っぽい見た目だから、根性論とか言いそう」「メイク濃いし露出も多いから、チャラそう」「こんな個性的な服装で母親なの?」とかね。もう、挙げたらキリがない。どうしても「〜っぽさ」みたいなものは長年のイメージで無意識に脳に刷り込まれて、私たちの日常に根付いてしまっている。でも、見た目だけで他人を決めつけているこれらも、しっかりと「ルッキズム」の一種ではないだろうか。カテゴライズすることで、相手の性格やバックグラウンドまで判断したり、見た目で評価をくだしてしまっている。意識的でも無意識でも、人を“枠”に当てはめてしまっている。もちろん、合っていることもあるかもしれないし、傷つかないケースもあるかもしれないが、私のように違和感をもつ人間もいるのも事実。とっても真面目で一途なのに、露出が多い服装をするだけでチャラいと言われるのは良い気持ちにはならないだろう。

「じゃあ見た目を変えればいいじゃん」なんて声も聞こえてきそうだが、そんなのナンセンスだ。それって、いじめられたら転校すればいいと言われるような理不尽さがある。結果的にそうしなければ解決できない場合もあるかもしれないが、いじめ自体の解決にはならない。同様に、ルッキズムされたら、見た目を変えるのではなく、それ自体がルッキズムであるということを認識しないといけない。もちろん、人のビジュアルにそこまで左右されず、相手の人となりをちゃんと見て、寄り添える人たちだっている。そんな人たちが自然と増えていったらとても生きやすいなーなんて思う。その世界観がまさに、2021年にアニメ化された『ホリミヤ』(原作:『堀さんと宮村くん』)にあった。長髪・メガネ男子の宮村くんは、まさに「見た目の偏見」の当事者である。『ホリミヤ』は、その宮村を容姿でジャッジせず向き合う素敵な女の子・堀さんとの物語だ。

宮村くんは、普段は顔に髪がかかっていて、メガネで、クラスの中ではいわゆる“地味男子”として扱われている。それこそ「宮村ってオタクか?」なんて言われたりする描写も。しかし、実はピアスが9個開いていて、上半身には大きめのタトゥー。顔にかかる長い髪は、校内でピアスを隠すためのセットであり、休日は良い感じにアレンジされている。ピアスやタトゥーをいれた経緯も色々あるのだが、その結果、「怖そう」「不真面目そう」という固定観念や偏見が気になってしまい、結局それを学校では隠しているのだ。ビジュアルが原因で人から距離を取られた過去もある。

「地味男子/不真面目」どちらとも偏見に晒されそうな見た目をしている彼自身は、 誰よりも繊細で、真面目で、堀さんに一途(きゅん)。視聴者や読者も「え、不真面目そう……」よりは「宮村さいくぅ〜」と思った人の方が多いのではないだろうか。堀さんも、そんな「オフ」の彼の姿を最初見たときは少し驚いてはいたものの、すぐに「でも宮村は宮村だから」と、彼の本質部分に寄り添う。そんな相手が近くにいてよかったね、宮村くん。そして堀さんはモテるキャラの設定ではあるものの、自分自身では、女の子っぽいことができないしかわいくないと嘆くシーンも。そんな時、宮村くんがすかさず「(そのままの)堀さんが好きなんだよ」と(アニメ版ではこれを内山昂輝さんのイケボでいうんだからね……!失神!)。お互いに「他人からの見られ方」と「本来の自分」のズレがあるからこそ、他人の本質に歩み寄れる二人だったのかもしれない。

見た目だけで人の本質なんて分からない。当たり前のことだけれど、やっぱり「っぽさ」で私たちは日頃カテゴライズしがちである。『ホリミヤ』での宮村のエピソードは、私たちがいかに“外見から中身を想像してしまうか”を突きつけてくる。「あの人、〇〇っぽい(っぽくない)」、 そう思ったときにちょっと立ち止まれたら良いよね。それは、“その人自身”を見ているのか、それとも“自分の中の固定観念”で見ているのか。その人の“中身”と向き合える社会のほうがきっと居心地がいいよね。

「こんな青春、私も送りたかったなぁ」なんて思いながら(女子校で当時恋愛経験なし、夢小説書き散らかしてた帰宅部出身なので)、『ホリミヤ』を正座しながら再履修したが、他キャラ含む高校生たちから学べることも、頷ける共感描写もすごい多い。ルッキズム的にド直球な発言は少しずつ減ってきた(と思いたい)けれど、「〜っぽさ」でカテゴライズしてしまうことはまだまだ日常に溶け込んでいるからこそ、脳内にちょこんと宮村くんと堀さんを住ませておいてもいいのかもしれない。

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