なぜ僕は「ぽっちゃり女性専門写真家」になったのか #2|連載「ボディポジティブを見つめて」

なぜ僕は「ぽっちゃり女性専門写真家」になったのか #2|連載「ボディポジティブを見つめて」
©︎Poko/Tokyo MINOLI-do
Poko
Poko
2025-07-14

ぽっちゃり女性専門の写真家として活動するPokoさんは、「ボディポジティブ」という言葉が日本で一般化するずっと前から、ふくよかな女性たちの姿を作品として発表してきました。この連載「ボディポジティブを見つめて」では、体型や女性、そして社会との関係について、これまであまり語られてこなかった視点から、Pokoさん自身の経験をもとに紐解いていきます。

広告

第2回目の今回も、前回に引き続き、僕がどのようにして『ぽっちゃり女性専門写真家』になったのかを書いてみようと思います。

前回は写真を始めた切っ掛けや、僕と写真の関わり、そして表現者としての原体験を綴りました。今回は、僕の被写体である「女性」や「社会の中での女性」との関わりを中心に綴っていきたいと思います。

僕が身体の大きな女性に惹かれる理由

僕は、身体の大きな女性に魅力を感じます。

何故、僕が身体の大きな女性に魅力を感じるかというと、多分、それは子供の頃に、母親にあまり可愛がられず寂しい思いをしたからだと思われます。

共働きで時間的接点も短く、また性格的にも共感力や愛情表現の乏しい母親との接点は、夜、布団で一緒に眠ることだけでした。

ですがその時間も、母親は布団で待つ僕に背を向け座り、テレビを見たり何か作業をしたりしていて、延々、訪れないのでした。

僕が時々「ねぇねえ」と母に声を掛けると「わかったから、今行くから待ってなさい」と刺々しい声音で、こちらを振り返りもせずに言い、やはり来てはくれません。

時間が経ち、深夜になり「いい加減寝てやれよ」と父親が声を荒げると、面倒そうに母親がやってきて、やっと一緒に眠れるのです。

僕よりもテレビが大切で、僕と眠るのは父に言われて仕方なくで、面倒そうにやってくる母。

そんな母の態度に当時は疑問を持ちませんでした。

そういうものだと思っていたからです。

しかし、いざ一緒に眠ると、まだ体の小さな子供の僕にとって、母親は物理的にもとても大きい存在でしたし、小さく丸まって母親の胸に顔を埋めていると、安らぐのに心は高揚し、僕は「愛情のようなもの」を感じるのでした。

僕はその大きな体に包まれる感覚だけを愛情だと信じて育ったのです。

そんな幼少期を過ごして思春期を迎えた僕は、母に愛されていなかったのだと気づき、母を嫌悪するようになっており、硬い塊のような孤独を抱え、けれども、あの大きな存在感に身を委ね、甘え、寄り添いたい、という強い欲求を芽生えさせていました。

要するに僕は、母性的な愛情や自分を包み込むような存在感を求めて、子供の頃に相対的に大きかった母の身体を想起させる、成長した僕より相対的に身体の大きなふくよかな女性に魅力を感じるようになっていたのです。

今でも、体の大きな女性に抱き締められると、重力が変化したかのように体や心が軽くなって、まるで自分が小さな子供になったような心地がします。

それにぽっちゃり女性の身体に対して抱く感情も、性的な衝動というよりは、まだ性的に未熟で、性行為のような具体的な目的を知らない子供が大人の女性に感じるような、ある種の憧憬に近いものではないかと思います。

僕の写真に、ヌードやそれに準ずる写真であっても、男性目線の直接的なエロティックさが少ないのは、そうした背景があると考えられます。

好きになった女性の、変わり果てた姿を見て

さて、そんな僕に、中学校でとても好きな女性が現れました。

テニス部に所属し、小麦色の肌をし健康的なうえ、頭脳明晰で学年でも上位の成績、合唱コンクールではピアノの伴奏もし、性格も明るく朗らかな女性でした。

暗く捻くれた僕には全く釣り合わない女性でしたので、僕は呆気なく振られました。

僕らは違う高校に進学しました。

ただ、通学に使うホームは一緒だったので、時々彼女を見掛けました。

そんなある時、「〇〇さんやばいよね」と中学時代の同級生に言われました。

何がヤバいのかと聞くと、なんだか凄い痩せている、と。

僕は気になって、翌朝のホームで彼女を待ち伏せしました。

そしてそこに現れたのは、髪は抜け落ち、手脚は枯れ枝のように細くなり、膝の関節だけがまるで林檎のようにボコリと丸く飛び出し、肌は乾いた土のようで、元々大きかった目だけがギョロギョロとした彼女でした。

それは教科書に載っている、飢餓で痩せ細ったアフリカの子供の姿とそっくりでした。

しかもなんと、僕は以前、病的に痩せ細った彼女の姿を見掛けたことがあったのです。

けれども、あまりに変わり果てていて、僕はその時、それが彼女だとは気付けなかったのです。

改めて彼女を見て、彼女が確かに彼女だと確信が持てたのは、中学時代と同じマフラーを、同じ巻き方で首に巻いていたからでした。

僕は、余りの衝撃に、数日間、本当に口がきけなくなりました。

先生に話し掛けられても、へへへ、と作り笑いをするだけのような状態に。

暗鬱な僕に比べて、あんなに恵まれていてあんなに朗らかで、まるで太陽のように輝いていた彼女に、一体何があったのか?

僕は高校で保健体育の授業を受け持ってくれていた先生に相談に行きました。

先生は熱心に僕の話を聞いてくれて、数日後、ある本を渡してくれました。

本のタイトルは忘れてしまいましたが、そこに書かれていたのが、過食症や拒食症、そしてその裏にある社会的な問題などについてだったのです。

過食症と拒食症は表裏一体であり、根本的な問題は同じであることもその本に書かれていましたし、フェミニズムというものを初めて学んだのもこの本が切っ掛けでした。

「団塊の世代(第二次世界大戦直後のベビーブームで生まれた世代)」の青春期には「ウーマンリブ運動(フェミニズム運動の別称と言えば良いでしょうか)」が盛んで、その時代を生きた人が家庭に入ると、「自己実現」と「主婦業」との間で板挟みになり、自分の果たせなかった夢を娘に叶えさせようと過大な期待や干渉を持ったりする場合があり、それが摂食障害の原因になることがある、ととても明確に書かれていました。

まさに、彼女の親は団塊の世代で、母親は主婦であり、彼女は十分な期待を背負えるだけの優秀な娘でした。

まさに本に書いてある通り。

僕は、女性の体型の裏に、こんなにも時代性や社会的状況、そして本人の無意識も含めた精神状況が深く関わっているのだと、この時に知ったのです。

僕は彼女の痩せ細った姿を見てからというもの、人間とは、幸せとは、生きるとは、そして死とは何なのか、そんなことばかりを考えるようになり、全く勉強が手につかなくなって、急速に学業をドロップアウトしていきました。

授業をサボって写真部の暗室でモノクロプリントをする、そんな青春の始まりです。

僕は自分が男性であることを憎むようになっていった

そんなすっかり学業からも遠のきドアーズを聴きながら鬱々と過ごしていた高校2年生の秋、文化祭で、僕の写真展示を高校の女性の先輩が観に来てくれました。

その先輩を見掛けるのは何故かずいぶん久し振りでした。

それに学年がひとつしか上でない筈なのに、何故か制服でなく私服でした。

僕は先輩に「どうして制服じゃないんですか?」と尋ねました。

先輩は「あ、〇〇くん知らなかったっけ?私、学校辞めたんだ」と。

展示パネルの裏の隙間で、座って先輩と話をしました。

雨が降り、薄暗い日でした。

色々と近況を聞いたりするうち、先輩は学校を辞めた理由を僕に話してくれました。

先輩は同級生からレイプをされて学校を辞めたのです。

その日から、僕の心に、光の差さない部分がもうひとつ増えました。

僕は男性を憎み信用しなくなり、「自分の中にもある男性性」というものも嫌悪するようになり、抑えようのない怒りを感じることも多くなりました。

また、写真家としてたくさんの女性と会ううち、彼女たちからたくさんの性暴力被害の話を聞きました。

中学生の時、下校途中で知らないおじさんに急にキスをされてそれがファーストキスになってしまった人。
子供の頃から父親に性行為を強要され、母親にも観て見ぬふりをされて来た人。
隣の住人に家宅侵入され関係を迫られ、その男は断ると帰ったが、警察から「容疑者は貧乏でお金は取れないだろうから」と十万円での示談を勧められて示談の上、十万円以上掛けて引っ越しせざるを得なかった人。
中学生の時、性行為を録画されて児童ポルノとして販売されていた人。
小学生の時、父親の会社の同僚から性的な行為を受けていた人。
まだ未経験だった時、性行為を経験してみたくて、友人に相手を紹介して貰って指定の場所を訪れると、複数の男性がいて、服を隠され監禁され輪姦された人。
小学生の頃から先輩に口淫を強要されていた人。

これらは僕が女性の口から直接聞いたものばかりですし、僕が聞いたのはこれが全てではありません。

性暴力はこの世界に溢れているし、性暴力被害者は女性にとってマイノリティーではなく、痴漢被害者なども含めれば、確実にマジョリティーなのです。

僕が女性の人間性や女性の主体性を無視したエロコンテンツやエロ表現を極度に嫌悪したり、例えばセーラー服やランドセルのような、本来は性的でないものを性的記号として使用したり、ましてやそれが未成年を性的客体化することに繋がったりする場合、強烈に批判したりするのは、僕が女性への性暴力に関して、被害者女性達と親密に関わっている「間接的当事者」だからなのです。

しかしこれは、決して僕だけの話ではありません。

男性は例え加害者側の当事者でなかったとしても、社会で生きていて、家族や同僚や同級生や友達がいる限り、身の回りに性暴力被害を受けた女性は必ずいるはずで、そういう意味では、男性の誰もが、女性への性暴力被害とは無縁ではない、本来的に「間接的当事者」たりえるのだと思います。

女性の体型には、社会が深く関わっている

僕が個人的に出会い、恋人になったふくよかな女性たちもまた、複雑な親子関係や性暴力のトラウマや、社会的な抑圧の中で苦しみながら生きて来た人達でした。

僕は普通体型の女性達の話を聞いてはいないので、あくまで僕の肌感覚でしかないのですが、親子関係や性暴力のトラウマなど、そうした心の問題がふくよかな女性をふくよかたらしめている原因である可能性が多分にあると感じています。

例えば、僕のモデルさんの実に半数に近い女性が、ひとり親家庭であったり、それに準ずる問題を持つ家庭で育っている、そうした実態もあります。

僕は、女性のふくよかな体型を大きな魅力と感じながらも、その裏にある暗い影と無縁ではいられませんでした。

また、体型の裏にある様々な理由が顧みられることもなく、ダイエット産業や美容産業の為に醜さの象徴として広告やメディアで扱われたり、テレビで『デブ』として揶揄われる役割を押し付けられたり、男性の恋愛対象や女性達のマウンティングの中でもヒエラルキーの底辺と位置付けられていたり。

僕は彼女達の人間性が顧みられることもなく、体型によって安易に判断される、その表層的な価値観や偏見、差別と闘わなければならないと感じました。

「社会やそこに暮らす人々の心さえ変われば、多くの人達の人生が幸せなものに変わる」

「人の心が変わることにはお金も大きな組織も必ずしも必要ではない」

そう思って、偏見や差別と闘うことが写真家としての僕の矜持になったのです。

ちなみに、学校を辞めてしまった先輩が、第1回目のコラムにも出て来た文通相手の先輩です。

広告

RELATED関連記事