僕の”モデル”に応募してくれた女性たちのこと #01|連載「ボディポジティブを見つめて」
ぽっちゃり女性専門の写真家として活動するPokoさんは、「ボディポジティブ」という言葉が日本で一般化するずっと前から、ふくよかな女性たちの姿を作品として発表してきました。この連載「ボディポジティブを見つめて」では、体型や女性、そして社会との関係について、これまであまり語られてこなかった視点から、Pokoさん自身の経験をもとに紐解いていきます。
2000年代の後半、僕はふくよかな女性の写真を撮ろうと考え、モデルの募集を始めます。
当時隆盛を極めていたmixi(ミクシィ)というソーシャルメディアで募集を掛けました。
募集を掛けたと言っても「誰かモデルになってくれませんか」とSNSで個人的に発信をしただけで、最初はなかなかモデルさんは集まりませんでした。
それも当然で、僕には実績がなく、「こんな風に素敵に撮れますよ」とサンプルとして見せる写真もなかったので、単に「ぽっちゃり女性を撮りたい」と言っているだけのちゃんと撮れるかどうかもわからない人、という状態でした。
最初期は、撮影も一年に数件あったかどうか。じっと応募を待っては、散発的に撮ったり、恋人を撮ったりしていました。
ですが、2010年の春、taeちゃんという女性が現れました。彼女は、僕が作品としてまとまった撮影ができたと感じた、最初のモデルです。
taeちゃんがどんな考えで応募してくれたのかは、今となってはわからないのですが、彼女の性格を考えると、他にふくよかな女性をモデルとして募集している撮影者は皆無だったので、純粋に「写真に撮られてみたい」と思っただけかも知れません。
taeちゃんの写真を発表すると、「taeさんはまるでシンデレラみたいで綺麗、憧れます」と、Kotoちゃんという女性が応募してきてくれました。
僕はKotoちゃんを撮りに夜行バスに乗って、彼女の住む広島まで行きました。
Kotoちゃんは先ほど書いた通り、taeちゃんの写真をみて、感動を覚えて応募してくれたのだと思うのですが、きっと、ふくよかな女性が美しい女性として撮られた写真を初めて目にしての感動だったのではないかと想像します。
日本でiPhoneが発売されたのが2008年であり、最初の頃は画質も悪く、またInstagramのサービス開始が2010年なので、セルフィーという文化も当時はなく、ふくよかな女性の写真や画像というもの自体が世の中にほぼありませんでした。
ここまで書いてみて、「そうだ、本人に聞いてみればいいじゃん」と思い立ち、taeちゃんとKotoちゃんに連絡をしてみました。
二人から、ちゃんとお返事を貰えました。
なぜモデルに応募してくれたのか
taeちゃん
誰かに私の存在を知って欲しかったのかな…
私の身体ってこんな感じなんだなぁーって思ったかなぁー。
自分の体ってそんなにガッツリ見ないし。
あと、私こんな表情するんだなとか…
「誰かに私の存在を知って欲しかった」という彼女の気持ちは、この時期、ふくよかな体型の女性がどれだけ社会から「いないもの」とされた存在だったかを物語っている気がします。
テレビでのいじられ役のお笑い芸人やダイエット広告のビフォー写真くらいでしか、ふくよかな体型の女性をメディアで目にすることはほぼなかったのです。
自分はふくよか体型で存在しているのに、同様の体型の女性がいじられ役や醜い存在としての視点でしか取り上げられないような状況では、社会で生きる人間として、疎外感や孤独感を感じるのは当然のことだと思いますし、著しく尊厳を傷つけられる環境でもあると思います。
Kotoちゃん
お久しぶり^ ^
コラム読みました〜^ ^
色々あるけれど、
1番は好奇心
私が大学生の時って「美少女図鑑」っていう本や記事が流行ってて、薄ら寒いと思いながら絶対選ばれないという劣等感も感じてて、そんな時に大きい人専門で撮る人とかどんなもんなんだ!?って思った
写真を見ていたら、たえさんがめっちゃ綺麗で私もこんな風に写るのかなぁ〜っていう期待が高まって応募してみたよ
撮られた写真はプリクラみたいに目がでっかくなるわけでもなくて、痩せて見えるわけでもなくて、、でも可愛かった^ ^いいじゃん、私。って思えた。加工してない自分を初めて見てほしいって思えた瞬間だったと思うよ
何書いていいのか分からないけど、取り急ぎ
子どものご飯作るね〜^ ^
携帯電話のカメラの画質も悪く、セルフィー文化もなかった時代、自分を客観視する機会というのは今よりもずっと少なかったのだろうと思います。
そしてKotoちゃんが言及している通り、プリクラなどの加工された自己像と、現実の自分とのズレ、そのズレとの闘いは、すでにこの頃から始まっていたのですね(この自己像と客観的な自分とのズレやそれにまつわる闘いに関しては、また別の章で取り上げていければと思います)。
また、Kotoちゃんが言及している「美少女図鑑」というのもこの時代を紐解くヒントかと思います。それは例えば『福島美少女図鑑』『和歌山美少女図鑑』のように、前に地名の入った各地域発行のフリーペーパーで、リーマンショックで企業が広告費を削減する中、地方の素人女性をアイキャッチ(広告用語で、視線を集めるための要素)として起用することで経費を削減、とても注目を集めた媒体です。
有名なタレントではなく、地方で暮らす素人の女性が媒体に出て来るというのは、あるひとつの転換点だったかと思います。ですが、僕が感じたことは、そうした素人の女性の中にもふくよかな女性がいない、ということでした。
だから、僕がKotoちゃんを撮影する中でことさら強く意識したのは「普通に魅力的な女性として撮ろう」ということでした。
ふくよかな女性の写真やコンテンツも、フェティシズムやアダルトの文脈では当時も少しはあったと思います。
いわゆる『デブ専』というもので、そうしたアダルトビデオ等のマニア向けのものはあったのです。あるいは、ダイエット広告のビフォーのような悪意のあるタイプであれば。
ですが、ふくよかな女性が普通に魅力的な女性として扱われ、普通に綺麗に撮られているような写真を見掛けることはありませんでした。
Kotoちゃんの写真などは、今でこそ、実になんてことのない写真ですが、当時は、この「なんてことのないこと」こそが社会に対しての「強烈なアンチテーゼ」になり得るような状況でした。
ふくよかな女性を、普通に魅力的な女性として、普通のスナップやグラビアやポートレートとして撮る。
それは例えば、白人にバスの席を譲らなかったローザ・パークスのように、不当に貶められていた地位を普通の位置まで浮上させるということだと勝手に感じていました。不平等かつ歪な状況が「当然のこと」とされている社会においては、実は自分たちの尊厳が貶められていることに気づかないこともあると思うのです。
「自分は太っているのだから多少面白おかしく扱われても当然」「普通に可愛く撮ってもらおうなんて贅沢」あるいは「エッチなポーズを撮ったりエッチな撮影にでもしない限り自分には価値がない」と思ってしまうこともおかしくないと思うのです。「ただ普通に綺麗に撮って欲しい」という極々当たり前のことが、明確に贅沢とされるような時代があったのです。
ちなみに、Kotoちゃんにこの連載コラムに質問の返事を使っていいか尋ねたら、下記のようなお返事が。
使ってもいいですよ
自身を弱者や聖人君子にしすぎないようにね^ ^
私は、Pokoさんの写真はバックグラウンドと加害部分の間で自身と女の子が傷つき、傷つけながら捻り出されたものだから魅力的なんだと思うので、いつも女性側で生きてきたは違和感がある、、、
という感想でしたー!
ここでいう「バックグラウンドと加害部分」というのは、僕が女性と恋愛する中で私小説ならぬ私写真的なスタイルで写真を撮ったり発表したりしていたことを言っているのだろうと思います。Kotoちゃんも僕の恋人でしたし、その後も僕が恋愛をしながら写真を撮って来たのを長く見て来たKotoちゃんは、そうした関係がバックグラウンドにある表現活動の中で、僕がエゴイスティックであったことを無かったことにして「ずっと純粋に女性の側に寄り添って生きて来ました」みたいな態度を取るなら私は納得しない、ということだと思います。そんなふうに率直に言ってくれるKotoちゃんのような女性が僕はとても好きです。
中学生からの応募動機に書かれていたこと
Kotoちゃんの写真を出してからは、モデルの応募が頻繁に来るようになりました。
ある時、中学生から応募がきました。「太っていて学校で虐められていて自分には芸能の世界で成功して見返すしかない」というような応募動機が書かれていました。
主体性が未成熟で、必ずしも自分だけでは正しい判断が出来ないであろうことを理由に未成年は撮影していない、ということを伝えると、「自分には他に道がないのでどうしてもお願いしたいです」と。「ひとまず、成人するまで、勉強とかを頑張って見返すことは難しいのかな?』などと数回やり取りをしたけれど、撮影して貰えないとわかると、連絡はなくなってしまいました。
思春期に太っていて学校でいじめられていると、特別に飛び抜けた素質や才能などがない限り、言ってみれば普通の子である限り、将来の夢や展望など、全く思いつかなくても不思議はありません。
別段大した権力や実績があるわけでもない僕のところに必死に訴えて来たくらいですから、当時、ふくよかな体型の女性にとって、どれだけ活躍の場が無く、また憧れられるようなロールモデルが存在していなかったのかがわかります。
象徴的なモデル「megumiちゃん」
Kotoちゃんと同時期に現れたモデルさんで象徴的だったモデルさんが、もう一人、それがmegumiちゃんでした。megumiちゃんは当時では本当に珍しいタイプの女性で、お洒落なコーディネートでSNSに画像をアップしていました。当時、そういう「自分を魅力的な女性」として発信しているふくよかな女性は、本当に稀だったのです。
megumiちゃんは、僕から撮影させて欲しいと声を掛けた、初めてのモデルさんでした。
15年が経っているにも関わらず、megumiちゃんも僕の質問に応えてくれました。
確か、当時のSNSのメッセージでやり取りをして、だよね。
私は興味のあることにはなんでも首を突っ込んでいくタイプだったから、写真を撮られる、恥ずかしい!とかよりは好奇心の方が勝っていたかも笑
当時はまだ柳原可奈子ちゃんが活躍してたくらいで、それでも笑いを取る方向にいってて、ぽっちゃりした人が称賛されるようなステージにはなかったと思う。
周りの人に写真を見せたら嘲笑半分いいね半分といった感じだった。
モデルをやってるといっても有名なわけではないし、当時の世間のぽっちゃりさんの扱いから考えたらまだマシな方だったのかもしれない。
私自身は見られること、魅せることに意識が向いて前向きに、よりおしゃれを楽しむようになったかな。
当時は出会いにおいてもアングラでニッチなところでしか出会いがなく、ぽっちゃりしていることに後ろめたさを感じていたことも。
けどSNSの普及、ぽっちゃりさんの活躍ありきで大分表向きに認められてきたところもあり、後ろめたさというものが消え去った気はする
当時、大きなサイズの服などが今より更に少なかった中で、megumiちゃんは自分で服を作ったりアレンジしたりしていて、僕にとってもとても貴重なモデルさんであり、彼女と出会ったことで、電子書籍ではありましたが、初めての写真集を作ってふくよかな女性の魅力を世に問う決心を僕はしたのでした。
megumiちゃんの写真集は2011年に発売を開始しました。
当時はセンセーショナルにiPadが発売されて間も無く、電子書籍もiPadのアプリベースで開発をして、当初は載っている各ページの文字をタップすると、それに準じたmegumiちゃんの録音音声が流れるというなかなか手の込んだ仕様でした。プログラマーの人にお願いをしたりして、そこそこのお金が掛かりました。
僕が2011年に作った自分のホームページ『トウキョウMINOLI堂』のロゴも、megumiちゃんの写真をベースにして作りました。
僕が写真家を名乗り出したのが2012年ですから、写真集の発売やホームページの作成時では、僕はまだ写真家を名乗っていなかったことになります。
さて、ここまで紹介してきた女性達は、基本的に『撮られてみたい』という方が多かったのですが、2013年に状況がガラリと変わることになります。
2013年にプラスサイズ女性向けのファッション誌『la farfa』が創刊されたのです。
*次回に続きます。
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