私はベルリンで、"人間"になる。
痛みも苦しみも怒りも…言葉にならないような記憶や感情を、繊細かつ丁寧に綴る。それはまるで音楽のように、痛みと傷に寄り添う。抜毛症のボディポジティブモデルとして活動するGenaさんによるコラム連載。2023年春の回想記録をお届けします。
30回目の春は、ドイツで迎えることになった。
ベルリンの春は荒々しい。急激に気温が上がり、本格的な春が来たと喜び勇んでコートを仕舞ったとたんに雪が積もった。
気温が定まらない中、日の長さだけがぐんぐんと伸びていき、とうとうサマータイムが始まった。
丈夫な私でも、さすがに自律神経の乱れというやつを実感している。
長く住んでいればこんな急激な変化に慣れるようになるのだろうか。
ある日、イラク出身の友人に誘われてユーラシア大陸で広く祝われている、春を迎えるお祭り「ノウルーズ」に参加してきた。
プレゼンテーションやお酒や料理があり、有名な音楽家の演奏に圧倒された。
私はてんで音楽的センスがないもんで、その複雑な音楽を聴いてもどれがメインの旋律なのか、何拍子なのかも皆目見当もつかなかったのだけれど、それがどれほど豊かな音楽なのかは肌で実感していた。
中東の料理の複雑な味を思い出す。この音楽と料理は似ているのかもしれないなぁ。
そこには中東の人だけでなくさまざまな人種や年齢の人が集まっていて、思い思いに踊ったり、スカーフを振り回したりして楽しそうにしていた。
こちらの人って、開放的な人が多い感じがする。
ほろ酔いの私は、会場の隅に置いてあった大きくて分厚いクッションに座り音楽を堪能していた。
しばらくすると一人の女性が近くにやってきて地面に座ったので、私は自分のいるクッションの反対側をポンと叩いて、どうそって勧めた。
その女の人はニコッとしてお尻をクッションの上にずらして言った。
「ダンケ」
友人同士ではない間柄でシェアするにはやや狭い空間だったけれど、気にならなかった。
踊りこそしなかったけれど、あの複雑で美しい音楽は私のことを開放的にしたのかもしれなかった。
音とお酒に酔ったまま乗った帰りの地下鉄で、元気におしゃべりする70代ぐらいのおばあちゃまを見かける。
終電で人々がどっと降りる中、私は先を譲って彼女がゆっくり電車の外に出るのを後ろからのんびり眺めてた。
一緒にいたらしい娘さんと思わしき人が振り返り、私の顔をみてにっこり笑って、言った。
「ダンケ」
こんなになんでもないことで、あんなに素敵な笑顔でお礼を言ってもらえるなんて。なんだか無性に感動した。
酔いが回ったのかなんだか感傷的になった。まあ私が感傷的なのはいつものことだけどさ。
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自分が違う社会の中にいるんだなぁと実感する瞬間が多々ある。
こちらに来てからというもの、スペシャリティーコーヒーの店で働いている。
お客さんの感じや接客の文化も違うのはもちろんだけど、一番びっくりしたのは時々ホームレスの人が来ること。
「コーヒーください」と言われるときもあれば、黙って立っていることもある。
はじめはよく分からなくて通常通りに代金を請求し、相手に「お金を持っていません」と言わせてしまった。
日本では廃棄処分の食材は人の手に渡らないように捨てられるし、灰皿の水をかけるところもあると聞く。
外には食べるものに困っている人がたくさんいるだろうけれど「それがルールだから」の一言で。
分けたところで誰も損をしないはずなのに、そういう風に考えない人がたくさんいる。
同僚は、ホームレスの人に、コーヒーと一緒にマフィンもあげていた。
私は雇われの身として自分がどう行動したらいいのかわからなくて、ある日マネージャーに質問してみた。
「うちもビジネスでやっているから利益を度外視することはできないけれど、それよりも以前に人間でいて」。若くて快活なマネージャーはそう言った。
「今のようにときどき来るぐらいであればコーヒーやマフィンを持っていっていい。外が寒くて凍えていたら店の中で温まっていってもいい」
そう教えてもらって、心の底からほっとした。
困っている人に親切にしていい。当たり前のことだった。
最初のころはどうしても猜疑心によるまずいシチュエーションも想像してしまった。
毎日やってきて食べ物と飲み物をねだられたり、店の中にずっと居座ったりとかしたらどうしよう、と。
でも今までにそうしたことは起きていない。少なくとも私の知る限りでは。
私が一度代金を請求してしまった人に、先日また会った。
「お代はいいですよ」と言ったのに、彼が去ったあとカウンターには1€と20セントが残されていた。
それがあればスーパーで食べ物も買えるだろうに。私は彼の大事なお金を受け取った。
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忘れられない光景がある。
西新宿の大企業のビルの前に座っていたホームレスのおじいさんは、恐らく通報を受けてやってきた警察官に両腕を引かれてどこかへ連れて行かれた。
大船駅の歩道の上に座っていた人は、警備員に水を浴びせられて怒鳴られていた。
宮下パークの前でネギを育てていた人の段ボールには、「蹴らないでください」って書いてあった。
そういう場面に立ち会い見て見ぬふりをしてしまったとき、私は一歩ずつ人間ではないものに変化していたのではないか。
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ベルリンでは道で物乞いをしている人のそばに座り、話を聞く人の姿を時折見かける。
極寒の冬を乗り越えるためのシェルターがあり、誰でも助けが呼べるように電話番号が一般に周知されている。
社会ってこうあるべきなんじゃないかって日々感じている。
そしてその社会の一員としての振るまい方を、今ようやく学んでいるところだ。
私がベルリンを好きな理由。それは、ここでの生活は、人への信頼で成り立っている部分が多い気がするということ。
別のコーヒーショップで働いていたときも、注文時に代金を払う人もいれば、飲み終わってから払いにやってくる人もいた。
そこそこ混んでいた店なので、誰がまだ払っていないとか何を注文したのかとか、どうやって把握しているのかと尋ねたら、店主はそれは客が申告するから大丈夫って言っていた。
「そんなんでいいの!?」と思ったけれど問題ないみたい。
そういう側面もあれば、カップを気に入ったのか勝手に持って帰ってしまう人もいたりするので、絶妙にさじ加減が分からないところでもあるけど。
自分の常識、社会はこうまわっているっていう固定概念にバキッという音とともにヒビが入る。
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信頼で回っているものの例はまだある。
先日、知り合いの3歳の女の子と一緒にすごす機会があった。
洗い物や片付けを積極的にお手伝いしてくれて、自分のこともたくさん教えてくれた。
会話をしていると、こちらが思うよりも案外よく理解していそうで、時々はかなり自由で曖昧な感じで、かと思うととやっぱりよく分かっていて…みたいな、3歳児の認識ってこういう感じなんだって初めて知った。
小一時間抱っこしていただけで次の日の腕が動かなくなることとか、小さな子供と暮らすのってこんな感じなのかなっていうことが、身をもって分かった。
図らずも、子育ての体験を共有してくれたんだと思う。
子供のいない私にはとてもありがたいことだった。
先日は知人の犬を一泊預かった。隙があれば道に落ちている物を食べようとし、家の中では私が行くところどこにでもついてきて、ベッドにも潜り込んできた。
おやつが欲しいので背筋をピンと伸ばしてお座りして、お手を痛いぐらい何度も繰り返してきたり。
眠い目をこすりながら行った朝の散歩では、パートナーと私との2人と1匹で歩いていて、私の歩みが遅いと振り返って確認してくれる。私も群れの一員だと思ってくれてるのかな?
犬のいる生活ってこんな感じなんだなって教えてもらった。
それも経験の共有だったと思う。
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ベルリンに来てから、これまでにない経験をたくさんしている。
それはどこかいい企業に勤めたとか、有名な大学院で勉強したとかハリウッドスターに会ったとかそういう類いのものではないけれど。
たくさんの人間関係の中で、私はここで人間になりつつある。
AUTHOR
Gena
90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は、抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。
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