自分を愛すると言っても。|抜毛症の私が考える、ボディポジティブ 2.0【前編】

 自分を愛すると言っても。|抜毛症の私が考える、ボディポジティブ 2.0【前編】
@aya212pic
Gena
Gena
2023-05-28

痛みも苦しみも怒りも…言葉にならないような記憶や感情を、繊細かつ丁寧に綴る。それはまるで音楽のように、痛みと傷に寄り添う。抜毛症のボディポジティブモデルとして活動するGenaさんによるコラム連載。

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私には抜毛症という自分の毛髪を抜いてしまう病気がある。

11歳のときに発症し、それは30歳の今でも続いている。

そしてここ2,3年は、「抜毛症のボディポジティブモデル」を名乗って活動してきた。

名乗った際に相手からすんなり理解してもらえることは少ない。

 

ボディポジティブを知らない人もいるだろうし、知っていても普通は体型のことが頭に浮かぶだろう。

ボディポジティブが目指すのはありのままの自分の身体を愛すること。

プラスサイズモデルなどはその代表格だ。

 

今回のコラムでは、なぜ私が抜毛症とボディポジティブを結びつけて活動しているのか、そこにどんな意味があるのかということを書きたいと思う。

大きなコンプレックスを抱えている人、自分をもっと愛したい人に読んでもらえたら嬉しい。

【前編】
<1>抜毛症であるということ
<2>そもそもボディポジティブってなに?
<3>自分の価値を信じられるようになるまで
<4>身に起きた変化
<5>自分を愛するといっても

【後編】
<6>スーパーモデル以外の体型のモデルに対する嫌悪
<7>ボディポジティブの持つネガティブな側面
<8>ボディポジティブのその先へ やっぱり私、抜毛症を治したい。

1|抜毛症であるということ

抜毛症であるということは、単に髪が無くなる事象だけではなくて、複雑に傷ついた心理状態に陥ることでもある。
軽度の人もいるけれど、重度になると何十年も自分の髪を抜き続けることになり、実生活にも深刻な影響が出る。

日本で抜毛症であることを一言で表す言葉があるのだとしたら、それはきっと「恥」だろうと思う。

「女の命」であるはずの髪がないことが恥ずかしい。
自分で抜いているという異様な事実がさらに恥ずかしい。
手を止めることのできない意思の弱い自分が恥ずかしい。
もしくは、自分の娘が髪を抜いているなんて異常だ、世間からなんと思われるか心配でたまらない。
年頃の娘なのに。

何乗にも増幅された恥は、彼女たちを世間から隔てる。
彼女たちも抜毛症であることを、世間からも自分からも隠そうとする。

そうして何年もかけて、どんなに仲が良い人をも絶対に踏み入れさせない、孤独な心の領域を作り上げる。

私はずっとそんな「恥」を心のどこかに抱えて生きてきて、どうしてもそういう状態から抜け出したくなった。
人生ってそんな風にどこかで自分を卑下して生きるものではないだろうって思ったから。
自分のことを美しいと思えるようになりたかったから。

 

そして私はボディポジティブモデルになることにした。

恐る恐るインスタに投稿した文字通りに「はげ散らかした」(※)写真には、次第に多くのイイネがつくようになり、取材の申し込みがあり、DMでたくさんの当事者から共感や相談のメッセージが来るようになった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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正直、ボディポジティブって今の日本では下火だと思う。流行は過ぎ去った、という感じ。
どうせ海外文化の真似をしていただけなんじゃないかって思われているかもしれない。

でもね、ボディポジティブを一過性のものにしてはいけないと思うの。
これこそ現代の日本で苦しい思いをしながら生きている人たちの味方で、外見に関する「恥」やコンプレックスや「こうあるべき」と戦う最大の武器だと信じているから。

今回のコラムでは自分の経験をもとに、ボディポジティブについて基本的なアイディアから、それに対する根強い批判、その先にある本当のゴールについて書いてみようと思う。

※早口のギャル系Youtuberの方とかがよく、「嬉しくてはげ散らかしそう」みたいな感じで強調の意味で使われている表現だけど、文字通りはげ散らかしている身としてはチクッとくる表現ではある。

2|そもそもボディポジティブってなに?

そもそもの起源は1960年代のアメリカにある。NAAFE(The National Association to Aid Fat Americans)という団体が、ダイエット業界を批判し、体重の多い人にも平等な権利を主張した運動が今のボディポジティブ運動に続いている。

ボディポジティブという言葉自体は2012年ころからインスタグラムで広まり始めた。

痩せ型を標準とすることや、スーパーモデルのような体型を美しいとするのではなく、どんな体型も美しい。

そういう自分の身体を受け入れて愛そうというのが基本的なアイディアで、それが世界中で受け入れられ、このコラムを書いている今現在、Instagramでの #bodypositive の件数は1842万件、短縮した表現である #bopo は127万件もあり、大きな社会運動に発展した。

データはないけれど、2014年頃からインスタグラムを使っていて肌感として思うのは、当初は体型に関する運動だったボディポジティブが、次第に体型以外に関しても広まり、最終的に現在の外見の多様性につながっていった感じがすることだ。 

フォトショップによるスリムにしたり若く見せる加工が批判されるようになり、いつまでも若々しくいること(そう見えるように加工すること)よりも自然に加齢した本当の姿への投稿に賞賛が集まった。 

体型と並び、広告写真でも白人以外の人種の多様性が重視されるようになった。

白斑(まだらな色の肌)やニキビ肌などの特徴的な肌を持っていたり、アルビノやダウン症、四肢の欠損のあるモデルやインフルエンサーが躍進しはじめた。 

最近では男性のプラスサイズモデルも見かけるようになった。

従来の美の基準から取りこぼされてきた人々が、自分たちの魅力に気がつき、力を取り戻していった感じ。
私はその流れを目撃していて、非常に感銘を受けつつもどこか遠い世界のように感じていた。 

参考
What to know about the body positivity movement
生まれ持った体を愛する!世界で活躍する7人のモデル

3|自分の価値を信じられるようになるまで

私がとうとうこの運動の中に飛び込むことになったのは、一度精神的に限界を迎えてからのことだった。

新卒で入った会社でパワハラを受け、ルームメイトとは上手くいかなくなり、離れて暮らしていた実家の母といつも電話口で口論になった。いつかまた映画の仕事がしたいと思って参加していた起業の勉強会はマルチ商法すれすれの団体だった。

どれもが1〜2年の間に同時進行で少しづつ進み、ある日すべてが重なって限界を迎えてしまった

こんな状況では抜毛症はもちろん悪化し、かつてないほど頭皮が見える状態になってしまった。

これをきっかけに初めて心療内科にたどり着き、そこで初めて抜毛症のことを相談することができた。

そこで受けた診断は「幼少期からの長期化した適応障害」。
正直なところ、もうちょっと早く知りたかったなぁと思ったよ。

ただし私がラッキーだったのはそのときには人生のパートナーに恵まれていたことだった。

休職し、社会から離れてその人の隣でゆっくり休んでいるうちに、自分がわずかに再生するのを感じた。

そしてある日、ふと思った。

「自分のことを美しいと思えるようになりたい」

私は長い間インスタグラムで目にしてきたボディポジティブを思い出した。
ボディポジティブが内包するようになった多様性のことも。

私もなれるかもしれない。

少年漫画の無鉄砲な主人公みたいに、ムクムクと勇気と希望が湧いてきた。
自分自身の外見に希望を持てるなんて、初めてのことだったかもしれない。

ボディポジティブはどんな特徴にも当てはめて考えることができるし、つまり誰のものでもある。

コンプレックスが深いほど前に進める道があるし、自分に向けてあげられる愛の余地がある。

個人のブログには、私のこれまでの人生の局面における抜毛具合をまとめて書いています。気になった方はぜひ読んでみてね。 

4|身に起きた変化

さて希望を持ってボディポジティブの活動を始めた私だったけれど、希望と同じぐらい、もしくはそれを上回る不安がつきまとった。

ボディポジティブを語る以上、自分の外見を世に見せる必要がある。
でもこれまで必死に隠してきた頭皮を見せることへの強い抵抗感があった。

それでも少しずつ自分の体験を文章にしてブログにアップし、自分のひどい状態の頭皮の写真をインスタグラムに投稿するようにした。

インタビューをしていただく機会が増え、自分の言葉を誰かに届くように伝えたいと真摯に取り組むようになった。 

こうして自分の過去や内面を探って言葉にし、自分が何を大切に思っているのか、信じている価値観がどのようなものなのか、どんな自分になりたいのか、どんな社会にしたいのか、そんなことを石の塊から彫刻を掘り起こすように明確にしていった。

・過去の私には諦めてきたものがたくさんある。例えば自分はおしゃれをする価値がないと思っていたこと。

・長年自分の身体でストレスを発散してきたせいで、自暴自棄なところがあって、食事の量をコントロールできなかったり、丁寧に身だしなみを整えるということがとても苦手なこと。

・人間関係に敏感すぎるところがあって、集団にうまく馴染めなかったり、大事にしたかった人間関係を維持することができなかったこと。

・学生時代の途中で自分は美しくないのだと気がつき、ずっとそう信じてきたこと。それでも歳を経て自分のことを美しいと思えるようになりたいこと。

・なにを美しいとするのかという基準が多様な社会であってほしいこと。

文章を書き、人に話すことで、私は私自身の言葉によって少しずつ変化してきたと思う。

一番の大きな変化は、髪を抜いてしまう自分を許してあげられるようになったことだった。
そのおかげで、長年握りしめてきた抜毛に伴う罪悪感、自己嫌悪を手放せた。

たくさんの調べものをするなかで、抜毛症を病気だと認識できたことも重要だった。 

こうした考え方の変化は、少しずつ外見にも反映されていった。

ありのままの姿を活かして自分が気にいる外見になりたくて、勇気を出して美容院に行って髪を染めた。
内面はなりたい自分に近づいていたから、外側もそれに近づけたいと思って力強く美しいタトゥーもいれた。

自分のことを醜いと思いながら生きるのには、残りの人生はあまりに長かったから。
このタイミングで方向転換できてよかったと思う。

5|自分を愛するといっても

ボディポジティブの基本的な概念は「自分のありのままの姿を受け入れ愛すこと」。

プラスサイズのモデルたちは、見事な体型を活かしたファッションやゴージャスなメイク、仕上げに何よりその人を輝かせる自信をまとって、それを体現している。

私が一番最初に好きになって、今でもずっとファンでいるのはテス・ホリデイ。 

できるものならまるごと真似したいぐらい彼女のスタイルが好きだ。
でも実際のところ私が真似できるのは、彼女の自信たっぷりなアティテュードだけ。

 

 

正直なところ、現実を生きる私たちがインスタグラムを開けば若くてスリムな女優やモデルの写真が溢れ、巷では美容整形が浸透しており、アプリのフィルター機能で自分の写真を加工し放題なこの時代に、ありのままの自分を100%受け入れ、さらには愛するなんて、どれだけ高いハードルなんだろうと思う。

こんな文章を書いている私でも、鏡を直視したくない日がある。

今の私は頭頂部の直径15センチぐらいほとんど毛がなくて、ツルツルした頭皮がよく見える。
河童にしかみえない。これを作り出した自分の左手が憎いと思う。
なんとか工夫して気に入る髪型に仕上げたいけれど、おしゃれの仕様がないと思ってしまう。 

プラスサイズモデルのようには、自分の特徴を活かしたおしゃれは難しい。ここしばらく私が頭を悩ませていることだ。

抜毛症ではなくても、自分を受け入れよう、愛そうとはしているけれど、どうしても自分の外見を100%認められない人もいるかもしれない。

そういう人のために、ボディニュートラルという考え方もある。

ボディポジティブが自分の身体を愛することに中心的な価値を置くのに対し、ボディニュートラルは自分の体型に関する感じ方をそのまま受け止めることを前提にしている。

自分の体型を肯定できない日があってもいい、無理に愛せなくても大丈夫だよという、中立的な価値観だ。 

ボディポジティブはハードルが高いとか、そこまでは求めていないという人はボディニュートラルな価値観を選択するのもいいと思う。

自分の身体を責めず、嫌いにならず、上手に付き合っていけること。

それだけで肩の荷が随分降りるのではないかと思う。

参考
ボディ・ニュートラルとは・意味
無理に愛さなくても良い?「ボディ・ニュートラル」という新概念

後半へ続きます

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AUTHOR

Gena

Gena

90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は、抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。



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