なぜ女性の身体は、こうも口出しされるのか?息苦しい日本を生きる私たちが「自分のかたち」を取り戻すための1冊

なぜ女性の身体は、こうも口出しされるのか?息苦しい日本を生きる私たちが「自分のかたち」を取り戻すための1冊
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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女性の身体は、女性自身のもの。

そんな当たり前のことを、いまだにわかっていない人は少なくありません。

なぜ、女性の身体や「産むか、産まないか」に口出ししてくる人はいなくならないのでしょうか?

天皇家の愛子さまにまで…

2024年の共同通信の皇室に関する郵送世論調査では、女性天皇を認めることに計90%が賛同しました。愛子さま個人の即位を直接尋ねた調査ではありませんが、女性天皇容認の世論が非常に強いことは確かです。しかし、一部の議員は、男系男子でなければ天皇になることは相応しくない、と主張しています。自民党の議員である麻生太郎さん(85)もそのひとりです。

一方で、自民党の麻生太郎氏は、歴史上の女性天皇について「天皇または皇太子を夫としていたか、生涯独身であったかのいずれであったかという事実を忘れてはならない」と述べ、女性天皇の即位に否定的な見解を示しました。女系天皇に否定的な立場は、愛子さまに子が生まれても、その子に皇位継承資格を認めないという考え方につながります。そこでは、女性の人生の選択が、本人の意思ではなく制度や政治の都合から語られてしまいます。

なぜ彼は自分には、他人の出産の有無を決める権利があると思ってしまったのでしょうか?

80代の男性が、公の場所で20代の女性の出産について意見する事態が発生しているのは、「産むか産まないかは女性自身が決めるべき」という常識が欠落しているからなのでしょう。

天皇家の人々にさえ、「リプロダクティブ・ライツ」を認めない人が存在する現代ですから、一般国民の女性の出産に関しては、他人に口を出されることが状態化しています。

「少子化対策=どうやって女性に産ませるか」に終始する理由

厚生労働省の発表によると、2024年の日本の合計特殊出生率は1.15、出生数は68万6173人で、いずれも深刻な水準でした。さらに2025年についても、民間試算では合計特殊出生率が1.13前後、日本人の出生数が67万人前後まで落ち込む可能性が指摘されています。

少子化対策をめぐる議論では、子どもを産み育てやすい環境整備よりも、しばしば「どうすれば出生数を増やせるか」、いわば「少子化対策のために、どうやって女性に出産させるか」という発想が前面に出がちです。

一方で、産んだ後の女性のキャリアの断絶の問題については、深刻に議論される様子がありません。ひとり親世帯の貧困は依然として深刻です。こども家庭庁の資料では、「子どもがいる現役世帯」のうち大人が一人の世帯員の相対的貧困率は44.5%で、母子家庭の母自身の平均年間就労収入は236万円にとどまります。国際比較でも、日本のひとり親世帯の貧困率はOECD加盟36か国中34位です。

なぜ国は、女性に子供を産ませることばかりを考え、その後の女性の人生について興味を失ってしまうのでしょうか? 

それは、少子化問題を、「国力を維持するための労働者の減少」としか捉えていないからでしょう。

子供という労働者が一度生まれてしまえば、その労働者を養育するために、どれだけ女性が無償労働を強いられ、生涯賃金が下がろうとも、貧困に苦しもうとも、問題ないというわけです。

天皇家にしても、一般国民にしても、女性の出産能力は、「公共の利益を考えて活用されるべきもの」とされているのでしょう。

現在の日本の少子化対策や、麻生さんの発言は、「女性の身体は、公共のためのもの」という本音が透けて見えるものです。

女性の身体を放っておいてくれる場所はある?

また、産む・産まないにかかわらず、女性の身体は他人から鑑賞され、口出しされがちです。太った方がいい、痩せた方がいい、脱毛した方がいい、と広告は語りかけてきます。また、ゲームやアニメ、漫画などの広告では、小学生のような顔の女の子が、谷間を強調して性的対象として描かれることも少なくなりません。

女性の身体は、公共のために活用されるべきものであると同時に、性的に対象化され、お金をかけて管理するべきものだというメッセージが、街中に溢れているのが現状です。

しかし、国外に目を向ければ、こういった現象が特異なものであることがわかります。

『「自分のかたち」のまま、これからも私は』(WAVE出版)の著者、貝津美里さんは、「バンクーバーという街には、女性の身体を放っておいてくれる安心感がある」と述べています。

バスや電車では、脱毛や整形の広告を見かけることはなく、その代わりにメンタルヘルスの不調やオーバードーズに陥った時の緊急電話窓口を案内するポスターが貼られている。店に並ぶのは、マインドフルネスやウェルビーイングに関する雑誌ばかりで、若い女性がビキニ姿で上目遣いにこちらを見つめているような雑誌は見かけない。スマホの中でも、ダイエットやエロ漫画の広告は表示されなくなった。さらに、日本で盛んに繰り返されている「なぜ若い女性は産まないのか」「どうしたら産むのか」といったお門違いの少子化の議論からも、距離を置くことができた。

日本では当然のように繰り返される「なぜ若い女性は産まないのか」「どうしたら産むのか」と、女性の生殖機能を公共財のように扱う議論は、日本でとりわけ強く見られるように思えます。

貝津美里
『「自分のかたち」のまま、これからも私は ALL GENDER(オールジェンダー)の国で出会った8人の“私たち”』貝津美里・著/WAVE出版・刊

私の身体は、私のもの

貝津さんは、海外に出ることで「“そうか、私はずっと傷ついていたんだ”と気づいた」と言います。そして、“日本が大好き”だからこそ“女性や子どもを大切にしない社会に、情けなさや悔しさを覚える”とも述べています。

貝津さんはバンクーバーで「私の身体は、私のもの」と力強く言い切る女性・嶋田桃子さんに出会います。嶋田さんは、インタビューに答える中で「仕事も、趣味も、結婚も誰にもコントロールされてはいけない。でも特に妊娠、出産に関しては本当に命懸けで、その後の人生を大きく左右する選択でもあるから、女性に全ての決定権があるべきだと思います」と述べていました。

現代の日本では、出産のリスクを一生負うことのない男性や国、女性は子供を産むべきという価値観を内面化した親戚の女性など、さまざまな「他人」が女性の身体に口を出してきがちです。しかし彼らは、口出しはするものの、出産に伴うリスクや、その後の人生の責任を引き受けてはくれません。

自分の身体について、責任は自分しか取れないのですから、どれだけ外野の声がうるさくても、「私の身体は、私のもの」という当たり前の原則を掴んで離さない握力が必要でしょう。

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