「あの人はもともと愛情深いから」「自分は愛し方がわからない」それ、本当?【愛する技術】は学ぶことができる

「あの人はもともと愛情深いから」「自分は愛し方がわからない」それ、本当?【愛する技術】は学ぶことができる
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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現代を生きる人は皆、愛が大切だと知っています。

幼い頃からたくさんの愛にまつわる物語に触れ、映画やドラマを見て、何千回もラブソングを聴いて育ったのですから、愛については知っている、と思いがちです。

ですが、人生には愛が必要だと知りながらも、愛することに失敗し続けてしまう人、愛がない生活を余儀なくされている人は少なくありません。

私たちはなぜ、愛し、愛し合うことに失敗してしまうのでしょうか?

BTSなどのアイドルのメンタルコーチとして知られるチュ・ヒョンドクは著書『また愛するために 恋と倦怠、喪失、そして成長のプロセス』(藤田麗子訳 かんき出版)にて、愛するための技術を磨く方法を解説しています。

今回は、本書を参考に、「愛する技術」を磨くためのヒントをお伝えします。

愛するためには勇気が必要

チュ・ヒョンドクは愛するためには勇気が必要だ、と述べています。

愛することに勇気がいる、と聞いても、ピンとこない人は多いかもしれません。勇気というと、戦場とか、困難に立ち向かうとか、そういうドラマティックな場面を思い浮かべがちですよね。

でも、愛における勇気って、もっと地味で、もっと深いところにあるのです。

傷つくかもしれないとわかっていながら相手に近づいていく勇気。拒絶されるかもしれないとわかっていながら「好きだ」と言う勇気。そして、これがいちばん難しいのですが————相手に自分のことを見せる勇気。こういった勇気が必要なのです。

ブレネー・ブラウンという研究者が、10年以上「人間のつながり」を研究してたどり着いた言葉があります。「脆弱性こそが、つながりの誕生する場所だ」というものです。相手に弱さを見せないまま、本当の意味で愛しあうことはできない、ということですね。

チュ・ヒョンドクは「恋愛とは、愛しても、愛してはもらえないおそれ」を受け入れた上で飛び込んでいくものである、と述べています。拒絶されたり傷ついたりするリスクを受け入れ、それでもなお愛すと決めることは、まさしく勇気ある行為だと言えるでしょう。

愛は、才能ではなく技術。学ぶことができる!

「あの人はもともと愛情深いから」
「自分は愛し方がわからない」

こういう言い方、よく聞きませんか? まるで愛する力が、生まれつきのものみたいな言い方ですよね。

でも、エーリッヒ・フロムは著書『愛するということ』の中で、はっきりとこう言っています。「愛は技術である。それを学ぼうとするなら、他の技術を学ぶのと同じように、知識と努力が必要だ」と。

ピアノが上手くなりたいのに「感じるもの」だと思って練習しない人はいませんよね。テニスを上達させたいのに「好きなら上手くいく」と言って練習しない人もいません。

なのに、愛だけは練習もせず努力もせず、「縁があれば自然とうまくいく」と信じてしまいがちです。

人を愛する力は誰にでもあり、その力は生涯変わらないと信じている人は多いですが、チュ・ヒョンドクを含む多くの研究者は、「愛するためには、知識と努力が必要」であり、愛することは磨くことができるスキルである、と述べています。

愛する技術を学ぶ、四つの方法

では、具体的にどうやって愛する技術を学べばいいのでしょうか? ここでは、チュ・ヒョンドクの視点をベースに、四つの方法をご紹介します。

一、まず、自分を愛することから始める
自分を愛するとは、自己満足でも自己陶酔でもありません。自分を受け入れ、自分の中に「愛するに値するものがある」という、静かな確信を持つことです。

アドラー心理学では、「自己受容」をすべての対人関係の土台に置いています。他者に愛されることで初めて自分の価値を感じる人は、いつも不安の中にいます。自分の価値の根っこが、自分の外側にある以上、いつまで経っても満たされないのです。

一方、自分を愛し、受容できている人は、他人からの愛を必死で求める必要がないため、「愛されない可能性があっても、愛する」という賭けに出ることができるのです。

二、「相手を変えたい」という幻想を手放す
愛の失敗の多くは、相手を変えようとするところから始まっています。
相手が変わってくれれば、うまくいくのに。もう少し気が利けば。もう少し優しければ。もう少し、私を大切にしてくれれば————。
チュ・ヒョンドクは、こう問いかけます。あなたは、相手の「今のまま」を愛しているの? それとも自分が望む「変化した姿」を愛しているの? と。
他者をコントロールすることに意識を向けると、必ず無力感と怒りが生まれます。
変えられないものを変えようとし続けることは、愛というより、執着に近いのだと、理解する必要があるでしょう。

三、愛の「言語」を知る
愛しているのに伝わらない場合、「愛の言語が違う」可能性があります。
ゲーリー・チャップマンは、「愛には5つの言語がある」という概念を提唱しました。これは、人によって愛を感じる方法が違う、という概念です。

言葉による肯定
一緒にいる時間
贈り物
行動でのサポート
身体的なふれあい
以上のいずれの方法で愛を感じるかは人それぞれです。
自分が「贈り物」で愛を表現しても、相手が「身体的なふれあい」でしか愛を受け取れなければ、相手に愛されているという感覚を与えることはできないでしょう。愛する技術を学ぶというのは、自分の愛の言語を知って、相手の言語を学んで、その間に橋を架けようとする意志を持つことでもあります。

四、喪失を直視する
愛を失ったあと、多くの人は「もう二度と愛さない」と壁を作るか、あるいは「早く次の人を」と傷を見ないまま走り出しがちです。
どちらも、本当の意味で「また愛するため」の道ではない、とチュ・ヒョンドクは言います。
チュ・ヒョンドクは、喪失の中にちゃんととどまること、悲しむこと、そしてその悲しみを通じて、自分がどれほど誰かを深く必要としていたかを知ることが必要だと言います。
愛の倦怠も喪失も、成長のプロセスとして引き受けること————チュ・ヒョンドクはそれを「また愛するための準備」と呼んでいます。
失恋によって自分自身と、自分の愛し方について深く知ることができれば、愛するスキルは確実にアップするはずです。

最後に、勇気の話をもう一度

結局のところ、愛する技術を学ぶということは、勇気を育てることとほとんど同じじゃないかと思っています。

自分の弱さを見せる勇気。変えられないものを受け入れる勇気。傷ついたあとにもう一度手を伸ばす勇気。そして「うまく愛せない自分」を認めながら、それでも練習を続ける勇気。

アドラーはかつて「すべての悩みは人間関係の悩みである」と言いましたが、ならばきっと「すべての喜びもまた人間関係の喜びである」はずです。その喜びへの扉は、どうやら勇気によってしか開かないみたいです。

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