経済力がないから我慢するしかない…モラハラ夫に18年諦めてきた私が、初めて言い返せた日|経験談

経済力がないから我慢するしかない…モラハラ夫に18年諦めてきた私が、初めて言い返せた日|経験談
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『上野さん、主婦の私の当事者研究につきあってください』(晶文社)で、上野千鶴子さんと対談を行った、森田さちさんへのインタビュー中編をお届けします。経済力がないことを理由に、夫のモラハラを「我慢するしかない」と自分を縛り続けてきた森田さん。フェミニズムとの出会いを経て、初めて夫に言い返したときの心境や、ぶつかり合いを重ねながら少しずつ関係を変えていった過程を語っていただきました。対等なパートナーシップを模索してきたその歩みは、同じ悩みを抱える方の道しるべになるのではないでしょうか。

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「我慢するしかない」と思っていた

——夫さんは以前、モラハラ的だったのですよね?

夫は自分の思い通りにならないと激しくキレるタイプでした。でも外では絶対にそういった姿を見せない。家の中と外の姿が別人で、夫を知る多くの人たちは「優しそうなのに、信じられない」という反応でした。家の中では、自分の意に沿わないことを言われたりすると、物に当たりますし、壁に穴を開けたこともありますし、大きな音を立ててドアを閉めるのも日常的でした。私が反論して「それはやめて」と言うと、夫はいかに自分が正しいかをまくし立ててくる。逆に私が怒られ、言いくるめられて終わっていたのが、以前の私たち夫婦のやりとりでした。

——パートナーがモラハラ的な振る舞いをする中で、森田さんは別れるのではなく、ぶつかっていく選択をされたのですよね。

一緒に住み始めてから18年くらいになりますが、夫に言えるようになったのは、ここ数年の話で、長いこと諦めてきたんです。子どもたちはみんな小さかったですし、私が3人を育てられる経済力がなかった。かといって、実家も実家で安心していられる場所ではなかったので、夫と別れるという選択もできなかったんです。

今ならたとえば生活保護を受けながら生活を立て直していくという選択肢があることも知っていますが、以前は現実味を帯びて考えられなかった。なので経済力がないなら、我慢するか実家に帰るかしか思い浮かばなかったんです。

——それでも離婚を考えたこともあるのでしょうか?

離婚はしたいと思っていて、一番下の子が20歳になるまで、あと何年の辛抱だろうと真剣に計算していました。上野さんは「稼ぎがないと夫に文句の一つも言えないものなの?」とおっしゃっていて。今の私は、経済力がなくても夫に物を言っていいものだと思えるようになりましたが、当時はそうは思えなかったんです。

仕事を辞めて専業主婦になることを自分で選んだ。夫にこういう面があることは結婚するまでわからなかったものの、結婚することは自分で選んだ。そうやって「自己責任」の意識で強く自分を縛っていました。

——それで夫の言動を「我慢する」という道を選ぶしかなかった。

でも、だんだんと子どもが大きくなっていくにつれて、夫がやっているように不機嫌をまき散らし、人に言うことを聞かせるのが正しいのだと、子どもたちが誤って学習してしまったら困ると思いました。これは私が母親の責任として、止めないといけないなって。それで、フェミニズムの本を読み始め、モラハラ的な言動の背景や、対峙の方法を学んでいきました。

初めてモラハラ夫に言い返した

——初めてはっきり言い返したとき、本当に緊張したと思います。どんなふうに伝えたのでしょうか?

いつものように、夫に対して私が何かを言うと、100倍になって返ってきました。そこで「あなたが正しいってことはわかった。それならその正しさをもとに1人で生きていくといいよ。私はこの子たちを連れて出ていくから」と言ったんです。私が「これは困る」「やめてほしい」と言っても聞く耳を持たず、一方的に「自分は間違ってない」と言ってくるなら、一緒に生きていきようがないじゃないですか。

——そこまでストレートに伝えるのには勇気が必要だったのではないでしょうか。

自分でも「こんなこと言えるんだ…!」と驚きました。私が従順に言うことを聞いている状態なら、夫にとっては家に不満はないし、自分が携わることなく子どもは健康に育っていく。夫からしたら離婚したくなくて、出ていかれるのも困るのはうっすらわかっていました。

でも夫の思い通りにならない私であっても離婚したくないかは、言ってみるまでわからなかったので、本当にドキドキしました。夫に対して言い返す言葉のリストは脳内にストックはしていたのですが、「この日に言おう」と計算していたわけではなく、言うしかないと思って自然と言葉が出てきた状態でした。

ぶつかり合いを重ねて

——結果的には夫さんも「じゃあ離婚してやる」と返してこなかったものの、本当に緊張しましたよね。

その後も「そういう怒り方、職場ではしないでしょ」「外ではやらないことは家でもやっちゃダメなんだよ」と伝えていきました。私が指摘した後、しばらくは夫も覚えていて気を付けるようになるのですが、時間が経つと忘れてしまって。頻度は減ったものの、ひどい言動をすることは今でもあるんです。たとえば、飲食店の店員さんやタクシーの運転手さんへの態度がひどかったり。そういったことは子どもたちに学習してほしくないことなので、だから今でも年に1回くらい、「これは見過ごせない」と思う言動があれば、話し合いをするようにしています。

夫に任せて私が夜に外出すると、帰ってきたら食器は山積みのまま、洗濯機も回してくれてないといったことが今でもあります。そういうときは「あなたが夜遅い日は月の9割を占めるけれど、私は洗濯も食器の片付けも済ませている。だから、たまに私が出かけるときくらいやってほしい」と言うようにしています。

——ぶつかり合いを重ねてきて、一緒に生活していけると感じているのでしょうか?

私が我慢し続けていた頃から考えたら、夫は別人のようになりました。夫は家庭や子どものことを全く担っていなかったのですが、今は色々なことをやるようになったんです。「あなたの家庭であなたの子ども」ということがようやく伝わったみたいで、渋々やるのではなく、自分の役割だと認識するようにもなりました。本来は父親として当たり前なんですけどね。

私が夫に物が言えなかった原点に、自分にも人間として嫌な部分がたくさんあるし、誰も完璧じゃないという考えがありました。本来はそれでお互い様なので、譲り合ったりすり合わせたりしていくのが対等な関係だと思うのですが、私は「だから言ってはいけない」と自分を責める方向で捉えていました。

だから、彼が嫌なことをしても、「それを言えるほど自分は良き人間として生きられているのか」と自分を責めてしまい、言うべきことを飲み込んできました。今も彼が嫌なことを言うことはときどきありますが、「私も完璧な人じゃないから」と思うこともありますし「彼は以前に比べたら本当に変わったな」という気持ちも大きい。どちらもあるので、ぶつかるのは大変ですが、一緒に暮らしていけるといったところでしょうか。

※後編に続きます。

『上野さん、主婦の私の当事者研究につきあってください』(晶文社)
『上野さん、主婦の私の当事者研究につきあってください』(晶文社)

【プロフィール】
森田さち(もりた・さち)

1985年生まれ。慶應義塾大学在学中に夜職経験。卒業後、一般職を経て結婚し専業主婦に。
3人の子を出産し子育てに専念した20代を経てライターになり、現在はYouTube運営やイベント企画、若者の居場所づくりなどを行う。若い頃から希死念慮を抱いていたこと、家庭における女性の困難を身をもって痛感したことなどからフェミニズムや当事者研究に出逢い、勉強中。
ペンネームの「森田さち」には、先人のフェミニストへの感謝と敬意が込められており「森崎和江の森、田中美津の田、信田さよ子のさ、上野千鶴子のち」で構成されている。

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