死にたい、と言えることは回復の過程。性暴力被害による複雑性PTSDの当事者・石川優実さんインタビュー

死にたい、と言えることは回復の過程。性暴力被害による複雑性PTSDの当事者・石川優実さんインタビュー

性暴力被害者がメディアで語る機会は増えたものの、その後も続く人生への視点は十分とは言えません。『私が私を取り戻すまで──性暴力被害のその後を生きる』(新日本出版社)の著者・石川優実さんに、被害者支援のあり方や回復の過程について伺いました。被害の「順位づけ」がもたらす影響、「死にたい」と言える場の必要性、そして曖昧さを受け入れられるようになった変化。回復の先に見えてきた景色をお話しいただきました。※本記事は性暴力に関する内容を含みます。

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被害に遭った後の生活のことは考えられているのか?

——「社会を良くするために被害者の発信が使われている」と感じたことも書かれていました。どういった部分が社会に足りていないと思いますか?

「被害者に語らせること」を気軽に求めすぎているのでは、と最近感じています。当事者が話さないと進んでいかないので、取材していただけることはありがたいのですが、被害を語れば体調が悪くなる中で、中には謝礼も交通費もない取材依頼もあって……。

もちろん、被害を告発した初期の、被害を明らかにするための取材は、謝礼が出ないものであることはわかっています。ただその後の「社会を良くするため」の語りを求められる場で、謝礼も交通費もないとなると、被害者のその後の生活って考えられているのかな?と疑問に感じるんです。

——被害者が何を経験したかは取りあげるものの、その後続いていく生活にはあまり注目されてこなかったと思います。

刑法は2017年と2023年と、2度の改正がありました。でも被害者支援はまだまだ追いついていないと思うんです。法律や社会を変えることに焦点が当てられ、被害者の人生がその後も続いていくという視点が抜け落ちていると感じます。

社会構造の問題と捉えて、社会を変えていこうという方針はとても大切なことです。私自身、#KuToo(女性が職場でヒールやパンプスを強制させられていることに抗議する運動)から社会に訴えかけることを始め、社会の仕組みを変えればいいと思っていて、自分の体調のことは後回しにしていました。本来は両輪で進めていく必要があったんです。

——日本社会は「自分のため」と言いづらい空気も感じます。

社会運動はアクティビストの時間・金銭・体力を削らないといけない状況になっていて、結果的にマッチョな部分があると思います。

フェミニストの友人とは「運動は楽しくないと」といつも話してるんです。自分の楽しい生活があってこそ、長く続けられる運動であると。

#KuToo運動をしていたときは、他人から「アクティビストなんだから」と自己犠牲的であることを求められてしまうこともありました。

——メディアを通じて見るアクティビスト像は、つらい経験を乗り越えた勇気のある、ある意味「完璧な人」として描かれがちです。でも、一人の人間ですよね。

「完璧な人しか認めない」といった空気になってしまうと、「自分にはできない」と感じ、誰もアクティビストになろうと思えなくなりますよね。

「できる・できない」という話ではなく、誰かが動かなければ何も変わらないから、やらざるを得ないという思いもあります。社会運動に関しては、自分にも他人にも求めすぎないというスタンスでいたいです。

——「世間が認める"かわいそう"な姿でなければ、被害者として認めない」という空気を感じることもあります。

複雑性PTSDは単純に「何かができて何かができない」という病気ではないのですが、「複雑性PTSDの人がこんなことできるわけない」といった発言を見かけることもあります。精神疾患への偏見と、被害者に求める「被害者像」が重なっているのかもしれません。

元気な姿を見せたら「なんだ、元気なんじゃん」「本当に被害を受けたのか」といったことを言われますし、悲しい顔をしていると「被害者ぶって」と言われることもある。

結局、何をしても何か言ってくる人はいるんです。そうやって二次加害をしてくる人がいることで、自分が自分らしくいることへの否定感が高まってしまう。それでは症状もなかなかよくなりません。

他の複雑性PTSDの人や、性暴力被害者に向けられる言葉であっても、状況が同じなので、自分にも突き刺さってしまうんです。二次加害は「大したことない」と思われがちですが、私はある意味、二次加害の方がつらい部分もありました。

被害に「順位」をつけることの問題

——刑法としての罪の重さと、被害者が感じている苦しさは、話は別ということでしょうか?

挿入行為のあった性暴力が「一番重い被害」だと思われているでしょう。刑法の基準ではそのようにされていますが、それ以外の場面で、被害に順位をつけるようなことをやめてほしいんです。

たとえば「盗撮のほうが触られるよりマシ」とか「挿入行為のあった性暴力より、痴漢のほうがしんどくない」とか、勝手に決めつけないでほしいんです。何がその人を傷つけるかは、その人にしかわからないからです。

複雑性PTSDの症状に自己否定感があります。被害が比較されているのを見聞きすると、自分でも「自分の被害は大したことない」と思ってしまうことがあります。悪気がなくても、気軽に被害を比較するような言葉が、被害当事者を追い込んでしまうことはお伝えしたいです。

「死にたい」と言えることの必要性

——「死にたい」と言えることの必要性について、お聞かせください。

今は回復してきて「死にたい」と思うこともほとんどなくなってきたのですが……「死にたい」と思うのは、複雑性PTSDやうつ病の症状として、よくあることだと思います。「死にたい」と思うことより、「死にたいと考えてしまう自分がダメ」と思わされることがつらかったです。

今思うと、これも複雑性PTSDの影響だったと思うのですが、自分に生まれてくる感情や感覚を、自分の中にいるもう一人の自分が反発しようとする感覚がずっとあって。それが当たり前だと思っていたのですが、回復してくると、自分が思うことをそのままストレートに受け入れられるようになってきたんです。たとえば、「死にたい」と思ったら「死にたいんだ」と思える。つらいと思ったら「つらいんだ」と思えるようになる。

こうやって自分の感情をそのまま受け止められるようになるのも、回復の一つだと思います。だから「死にたい」ときに「死にたい」と言えることは回復の過程だったと今は思うんです。

——とはいえ、「死にたい」と言われると、心配になってしまう気持ちもわかります。

人によって違うと思うのですが、私の場合は「死にたいと言えれば、死なずに済む」という感覚でした。でも「死にたい」と言うと、「そんなこと言わないで」と反射的に返される。

それで「そんなことを思う自分はダメな人間だ」と自分の感情を否定してしまって、より希死念慮が高まったこともありました。

「死にたい」と思っている今の自分を、そのまま受け止めてくれる社会が欲しい。逆説的かもしれないですが、そういう場があることで、回復につながっていく感覚があります。

——ポジティブになるよう励ましの言葉をかけることについては、どうお考えですか?

「うわべポジティブ」が蔓延してしまっていると思います。本来、前向きになれるとか、死にたいと思わなくなるって、色々な過程を経た結果ですよね。でもそれをプロセスで強いてくることが多い。

私はポジティブになるには、ネガティブな状態を一旦受け止める必要があると思うんです。「ネガティブな自分でもいい。大変な経験をしたのだからそうなって当然」と思えないと、本当の意味での回復には進めないんじゃないかって。

自己肯定感についても、結果として上がることはあっても、苦しい状況にある人が「上げよう」とプロセスに使うのはどうなんだろうと思います。それで自己肯定感を上げられなかったら、余計に自分を否定してしまうのではないでしょうか。トラウマ症状で悩んでいる人には、正しい治療につながってほしいと思います。

回復してきて「曖昧さ」を受け入れられるようになった

——本書ではご両親との関係の葛藤についても書かれていました。現在の受け止め方と距離感をお伺いできればと思います。

私はおそらく愛着障害もあるんです。親との関係で「ここにいれば安全」と思えたことがなくて。今も親に愛されたい気持ちを持っていますが、一方で「こんな親からちゃんと離れたい」と思う自分もいるんです。

以前は親との関係を白黒はっきりさせ、決着をつけたいと思い、縁を切りたいとも思っていました。でも今は、私の気持ちもそのときどきで変わりますし、曖昧なままでもいい、と落ち着いています。

——「曖昧でもいい」と思えたのは、どういう変化だったのですか?

以前はおそらくトラウマの影響で「0か100か」の思考が強かったのだと思います。何か特別なきっかけがあったわけではなく、回復してきたから、自然とそう思えるようになったという感覚です。

親との関係以外でも、曖昧さを受け入れられるようになったものが最近増えたんです。扁桃体アラートが過剰に反応しなくなったのだと思います。

——回復していくと変わることもあるのですね。

私自身、「こんなに考え方が変わるんだ!」と驚きました。逆に「トラウマがない人はこんなに軽やかに生きてるんだ。それなら人生、楽しいだろうな」と思いました。

まだ落ち込むこともあって、完全な回復とはいえませんが、だいぶ穏やかな日々が戻ってきています。「こういう感覚でいられるなら、人生を生きていきたいと思える」という感覚です。だからトラウマ体験によってつらい思いを抱えている人がいたら、治療につながってほしいと思います。

 

『私が私を取り戻すまで──性暴力被害のその後を生きる』(新日本出版社)
『私が私を取り戻すまで──性暴力被害のその後を生きる』(新日本出版社)

【プロフィール】
石川優実(いしかわ・ゆみ)

1987年生まれ、岐阜県出身。俳優、性暴力サバイバー。2005年に芸能界入り。
2017年末、「#MeToo」ムーブメントを受け、芸能界で経験した性暴力について声をあげる。それ以降ジェンダー平等を目指し活動。
2019年、職場で女性のみにヒールやパンプスを義務付けることは性差別であるとし、「#KuToo(クートゥー)」運動を展開。同年10月、英BBCが選ぶ世界の人々に影響を与えた「100 Women」に選出。2022年2月には、ブログで映画界での性暴力を告発した。
著書に、『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』(2019年、現代書館)、『もう空気なんて読まない』(2021年、河出書房新社)などがある。

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