なぜ「推し活疲れ」をしてしまうのか。「疲れない推し活」に必要なこととは?【専門家に聞く】

 なぜ「推し活疲れ」をしてしまうのか。「疲れない推し活」に必要なこととは?【専門家に聞く】
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「あなたの『推し』は?」といった会話があるように、私たちの生活に定着した「推し活」。日々の生活の潤いとなり、活力を与えてくれる存在であり、推しが心の支えとなっている人も多いのではないでしょうか。ただ、「推し活」には課題もあります。『オタク文化とフェミニズム』(青土社)の著者で、東京大学大学院情報学環教授の田中東子先生に詳しく伺いました。

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「推し活」の功罪

——「推し活」は世間でどのように扱われてきたのでしょうか。

2019年頃から大手新聞で「推し活」が取り上げられるようになり、テレビや雑誌で扱われることも増え、推し活ブームが盛り上がっていきました。

「推し活」自体について、「心身を元気にしてくれる」「あらゆる個人の悩みや寂しさ、困りごとを解消してくれる」「仲間もできて、コミュニティを形成できる」など“万能薬”のような語られ方が多かったです。

——ただ、良い面ばかりではないですよね。

そうですね。推し活は時間とお金と忠誠心を捧げないとできないものなので、本気でハマるとハードワークになります。特にフルタイムで働いていると、本業がありながら、推し活という「第2の仕事」もするという状態です。

グッズの種類も昔に比べて充実し、推しを身の回りに置き、自分の人生を彩りやすくなっていることはメリットです。一方、「推し活していること」をSNSで見せる文化も広がっており、誰かに煽られたわけでなくとも、「なるべくたくさん現場に行かないと」「グッズをコンプリートしないと」などと、ちょっとした対抗心が掻き立てられ、競争原理が生まれる構造があることは、課題になっていると感じます。そんな中で「推し活疲れ」という言葉も出てきたのだと分析しています。

「推し活疲れ」という現象

——「推し活疲れ」とは具体的にどんなものなのでしょうか。

自分の時間とお金と忠誠心を、ギリギリまで捧げ続けることによって疲れきってしまうことです。

特に「時間」を捧げることについては、推しの現場が、コンサートや握手会といったいわゆる直接的な空間だけではなく、SNS・インターネット・配信カルチャーにも広がっていることの影響が大きいです。

これまででしたら、ファンの活動というのは、年に何回かあるコンサートのときに集中的に応援し、あとは雑誌を読んだり、テレビに出たときに見たりといったことくらいでした。現在では四六時中、配信をすることも可能で、コンテンツの量自体も増えました。かつてのような雑誌だけではなく、Webメディアや、YouTube、SNSでの推し自身の発信など、チェックする(しなければいけない)ものが膨大に。

推しの地位を上げるための宣伝活動も、昨今ではファンの努力によって支えられている部分もありますよね。本来、宣伝は広報がやることですが。望んでやっていたとしても「ファンが担わされている」構造があります。

——「推し」として応援している以上は、出されているものは全部見たくもなってしまいますよね。

コンプリートしないと、「正しい推し活ができていないのでは」と自分を許せないような感覚になってしまう。でも、全部見よう、買おうとすると、時間もお金もものすごくかかるというジレンマに直面します。

“完璧な推し活”を無理なくできている人もいますが、仕事が忙しいとか、ケアが必要な家族がいるとか、湯水のようにお金を使えるわけではないとか、「限界」を感じるようになったとき、疲れが出てきてしまうのだと思います。

——疲れる前のちょうどいいところでセーブできたらいいのですが……。

でも、どの辺が「ほどほどな推し活か」と問われても、答えるのは難しいですよね。「全力で追う」ことと「推し活を降りる」ことの間に、もっと色々な段階があると思うのですが、どのフェーズが適当なのかを考えたとき、なかなか判断もつかない。そういう中で結果的には疲れきってしまうのだと思います。

推し活によって時間が奪われて…

——本書では、推し活によって時間が奪われて、社会的なことに目を向けられなくなる問題についても言及されています。

推し活をしていると、多幸感に包まれて、その瞬間は嫌なことを忘れられたりもしますよね。その一方、自分の足元にある社会的な問題や、政治や社会課題について、推し活に追われるあまり目が向きにくくなる側面もあります。推し活をしていればハッピーなので、現実にある問題を見なくて済んでしまうのです。

現代の推し活は、ファンの注目を集め、囲い込むために、次々と新しい情報やコンテンツが出てくる。絶えずSNSで推しの動向やイベント、コンテンツをチェックしないといけないので、非常に忙しくて、時間が奪われてしまう構造がある。

そうすると、どうしても推し活以外の時間がとれなくなり、新聞やニュースをチェックする暇もなくなってしまいます。

——生き延びるための心の支えとして、「推し」が必要ではありつつも、ハラスメントなど不当な出来事を乗り越える手段としても「推し活」がプッシュされるのは、根本的な問題が放置されてしまうのでは……と気になります。

推し活は活力を与えてくれはするものの、現実逃避にならないように注意したいですね。理想としては、自分の周りにある社会的な課題や、政治の問題など現実のあれこれもしっかりと見据えつつ、ほどほどな距離感で推し活を楽しめればバランスが良いとは思います。

日本の場合、推される方たちが社会課題や政治的な問題について発言しづらいという謎の風習があります。本来であれば、推される方が社会にコミットすることによって、そのファンも推し活を通じて、社会にコミットできる流れがあれば良いとは思うのですが……。

——消費行動を通じて、社会参加をしていくということですね。

環境に配慮した商品を買うことで、エコロジーに賛同していることを表明するといったように、推しが災害の寄付金を募集する活動をしているときに参加するとか、推しのチャリティグッズを買うとか、推し活を通じたある種の社会運動や社会貢献も可能ではあると思います。

※後編に続きます。

『オタク文化とフェミニズム』(青土社)
『オタク文化とフェミニズム』(青土社)


【プロフィール】
田中東子(たなか・とうこ)

1972年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(政治学)。現在、東京大学大学院情報学環教授。専門は、メディア文化論、第三波以降のフェミニズム、カルチュラル・スタディーズ。単著に『メディア文化とジェンダーの政治学』(世界思想社)。共著・編著に『ガールズ・メディア・スタディーズ』(北樹出版)、『ジェンダーで学ぶメディア論』(世界思想社)など。共訳書にポール・ギルロイ『ユニオンジャックに黒はない』(月曜社)、アンジェラ・マクロビー『フェミニズムとレジリエンスの政治』(青土社)などがある。

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