ありのままの自分を、もう責めなくていい。『つまり、それがルッキズム』がくれたもの

ありのままの自分を、もう責めなくていい。『つまり、それがルッキズム』がくれたもの
貝津美里
貝津美里
2026-08-02

「もっと痩せたい」「ここが違えば、もっと愛されるのに」。私たちはいつから、自分の顔や身体を採点するようになったのでしょうか。『つまり、それがルッキズム』を読みながら見えてきたのは、見た目の悩みが個人の弱さではなく、社会の中でつくられてきたものだということ。自分を責め続けてきた視線を、そっと問い直してくれる一冊です。

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◯か×かで、自分の容姿と体型をジャッジしてきた

「生まれてから今まで、見た目の悩みから一瞬でも解放されたことがあるだろうか?」

振り返ると、子どもの頃からずっと、自分の見た目を気にして生きてきました。

小学生の頃、ぽっちゃりした体型を「ブタみたい!」と同じバスケットチームの子たちに笑われ、胸の奥がぎゅっと苦しくなったこと。中学生になり身長が伸びると、今度は「スタイルいいよね〜」「胸が大きくてうらやましい!」とプールの女子更衣室でキャッキャッと騒がれたこと。

その度に私は一喜一憂して、美の基準に当てはまらないパーツには「コンプレックス」の烙印を押し、人から褒められたパーツにだけ「合格点」を与えるようになっていきました。

肌は白いから良いけど、目は奥二重だからダメ。 

足は細いから良いけど、お腹が出ているからダメ。

そんなふうに◯か×かで自分の容姿をジャッジする。

しまいには、容姿で自分の価値まで測るようになっていきました。好きな人に振られれば「顔が可愛くないからダメなんだ」と思い、好意を寄せられれば「スタイルがいいからかな」と考える。うれしいことも悲しいことも、理由はいつも見た目に紐づいていました。

年齢を重ねても、その呪いはなかなか解けません。「オバ見え」「若見え」という言葉があるように、容姿に言及する広告やSNSが毎日のように流れてくる世の中です。無視しろ。気にするな!という方が難しい。

「もう少し痩せたい」「二重だったらよかったのに」「顔がもう少し小さかったら......」そんな思いは、誰の心の中にも形を変えながら居続けているのではないでしょうか。

読み終えて浮かんだのは、ラブレターという言葉

そんなときに出会ったのが、7月に刊行された『つまり、それがルッキズム 〜23の事例と解説〜』(前川裕奈、ウィルソン麻菜/講談社)でした。架空の学校を舞台にした23本のマンガと、コラムやFAQで構成されたルッキズムの入門書です。

読み終えて最初に浮かんだのは、これはラブレターだな、という言葉でした。

ルッキズムを知ってほしい、やっつけたい。もちろん、そんな願いも込められているのでしょう。

でも、それ以上に、この本の根っこには「ありのままの自分を愛してあげてほしい」「もうこれ以上、自分の顔や身体をいじめないであげて」という、著者の前川さんとウィルソンさんお二人の深い愛情と願いが流れているように感じました。

───その生きづらさ、もう手放していいんだよ。あなたのせいじゃない。もっと生きやすくなっていいんだよ。

と、ページの向こうから言われているようで、安心感に包まれながら読み進められました。

“なんで私は痩せたいんだろう?”と、一度立ち止まってみる

ルッキズムとは外見至上主義と訳されますが、そもそも「美しさの基準」は時代によって移り変わります。そして、その基準は、誰かの利益と強い結びつきがあることも、本書では解説されています。

たとえば、「体型は細い方がいい」という価値観が強ければ、ダイエット商品やサービスは売れていく。「目はパッチリ二重の方が可愛い」という空気があれば、そのニーズに合わせて美容整形の広告も大々的に打たれる。

大人の思惑が渦巻く資本主義に、子どもたちが、そして私たち大人も絡め取られないためには、どうしたらいいんだろう。読みながら、何度も頭を巡らせました。

本の中では、整形やダイエットを悪だとは書かれていません。整形は金銭的にも身体的にも負荷の伴う選択で、本人が納得して選んでいるのなら、周りが否定することではない、と。

ただ、そのうえで、一度立ち止まってみる。

“なんで私は二重になりたいんだろう?広告で見たからかな。アイドルやモデル、美人と言われる人がみんな二重だからかな?そうじゃない自分にコンプレックスがあるからかな......。じゃあ、そのコンプレックスは、どこから植え付けられたんだろう?”

この本は、そんなふうに自分の心と対話するきっかけをくれます。そして、「自分の身体のことは、自分が決めていい」。そんな当たり前だけれど大切なことを、そっと思い出させてくれるのです。

ルッキズムに「これが正解」というマニュアルはない

「とはいえ、ルッキズムという言葉で説明されてもよくわからない!」という方にこそ読んでほしいのが、マンガで描かれる高校生たちのエピソードです。

登場人物たちは、学校生活や友人との何気ない会話の中で、見た目にまつわるモヤモヤを抱えていきます。

「私なんて全然痩せてないし!」「◯◯ちゃんは色が白くていいね〜」。私にも身に覚えのあるやり取りばかりでした。誰かを傷つけようとして容姿の話をしているわけではなく、褒めているつもりだったり、謙遜や自虐だったりする。

でも褒めたつもりの一言が、実は相手が気にしている場所に触れて、コンプレックスを濃くしてしまうことがある。自虐で言った一言が、「じゃあ太っている私はダメなんだ」と間接的に相手を傷つけてしまうこともある。

本の中では「こうすべき、こうするのが正解、というマニュアルは作れません」と繰り返し書かれていて、読み進めるほど、本当にその通りだなと思いました。

関係性によって、伝え方も言葉のチョイスも変わってくる。初対面の人に言うのはナンセンスだと思われることも、パートナーや家族なら、これまでの文脈込みで受け取ってもらえる場合がある。

大切なのは、自分の想像だけで相手の気持ちを勝手に推し量って判断しない、ということ。「嫌だったら断って欲しいんだけど、もしよかったら教えてくれない?」と一言添えてみる。「私はこう思うんだけど、あなたはどう感じる?」と聞いてみる。親しい仲であっても、もし傷つけてしまったなら「ごめんね」とちゃんと謝る。

そのやり取りそのものが、お互いを知り、関係を深めていく過程になるのだと、本の中では丁寧に描かれていました。

このように、「ルッキズムって外見について言及されることでしょ?」と思いきや、読み進めていくと「人と人との関係性やコミュニケーションの話」に辿り着くのも本書の面白いところ。

コミュニケーションには正解がないからこそ、探究する面白さがあるのかもしれません。話を聞いてみると、実は一人ひとり違う価値観があることを知れるし、人って本当に多様なんだなと気づける。もしかしたら誰かとの会話の中で、美の基準に正解なんてないよね、と思える瞬間がやってくるかもしれません。

だからこそ、容姿の悩みをひとりで抱え込まないでいたいなと感じました。

「この広告、なんかモヤモヤするな」と口に出してみる。「太っていることを気にしてしまうんだよね」と相談してみる。

日々思っていることを、近しい誰かとシェアしてみることから、「自分にも相手にも、ルッキズムの呪いをかけないつながり方」が見えてくるのかもしれません。

ありのままの自分を好きでいるために、ルッキズムを知ってみる。その一歩はきっと、自分にとってのお守りになり、大切な人を守ることにもつながっていくのだと思います。

これは、私たちの物語

最後に。物語の終盤、高校生たちがルッキズムを知って変わっていく姿に、胸がいっぱいになりました。自分の中のにあった呪いに気づく。無意識に人にかけていた言葉を振り返り、反省する。捉え方を変えて、気持ちが楽になっていく。

そして何より、容姿や体型ではないところで、自分自身や友だちとつながり直していこうとする姿に、励まされました。ああ、これは私たちの物語なんだな、と。

自分の顔や身体を好きになれなくてもいい。鏡を見るたびに自分を責めてしまう、そんな今の自分のまま、この本を開いてみてほしいのです。

「こんな見方もあるんだ」「こんな世界もあるんだ」と知ることは、自分を縛ってきた“美しさの正解”を少しずつ手放すきっかけになるかもしれません。

私もきっとまた「痩せなきゃ」と鏡の前でつぶやく日がやってくるでしょう。でも、そんなときこそ、この言葉を思い出したい。

「そのカワイイは誰のため?」

そう問いかけるだけで、自分にかけていた呪いが、少しずつほどけていく気がしています。

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