「性暴力は、性を使った暴力」19歳で被害に遭った漫画家がカウンセリングで取り戻した「尊厳」|経験談

『同意なんかしていない ―性被害者たちに何が起きたのか―』(文藝春秋)より
『同意なんかしていない ―性被害者たちに何が起きたのか―』(文藝春秋)より

「自分が経験したことは事件としてカウントされるだろうが、私は被害者ではない」19歳で性暴力の被害を受けた後、そのように考えていたと語る『同意なんかしていない ―性被害者たちに何が起きたのか―』(文藝春秋)の作者・菊池真理子さん。ジェンダーを学び、当事者や専門家への取材を重ねるなかで、「性暴力は性を使った暴力であり、尊厳を壊すもの」だと腑に落ちたといいます。後編では、被害を被害として認めることの難しさや、カウンセリング・自助グループでの回復の道のりについて伺いました。※本記事には性暴力に関する記述が含まれます。

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性暴力=セックスではなく、性を使った暴力

——被害の影響に最近気づいたこともあったのですよね。

以前から体の大きな男性を見るとぱっと避けてしまうことはあって、それは被害の影響だと、なんとなく自覚があったんです。

でも最近気づいたのは、口元に布団をかぶせられないことが被害の影響だったのかなって。以前はただ呼吸が苦しいからできないんだと思っていたのですが、被害のときに口元を塞がれて窒息して死ぬんじゃないかと思ったんです。口元を覆うことは、感覚的に被害当時のことを思い出すんだろうと思います。

マスクも本当に苦手なんです。コロナ禍のときもギリギリまでマスクしなかったですし、外していいとなった瞬間にすぐ外しました。みんなマスクして電車に乗ってるときも、端で人の方を向かないようにしてそっとずらしたりもしてましたし。マスクが苦手な理由の背景に被害経験があることにも、最近気づきました。

——性暴力被害では、被害者が自身の被害を被害と認めることの難しさが語られることがあります。

私自身もなかなか認められなかったです。「被害だとしても、自分は“被害者”ではない」といった捻じ曲がった心理が働くんですよね。事件としてはカウントされるんだろう、と頭では思っていても、それと「自分が被害者である」と認めることの間には距離があったんです。

——どういった経緯で変化したのでしょうか。

ジェンダーの知識を得て、夜道をどんな格好で歩いていても襲う方が悪いとか、部屋まで行ってもそれはセックスへの同意じゃないよとか、色々なことを頭ではわかっていたのですが、十分な理解までには至っていなかったんです。

でも取材を通じて「性暴力とセックスは違う」と腑に落ちたあたりから少しずつ縮まっていきました。私が性暴力を受けたのは、男性経験がないときだったんです。最初の経験が被害だったので、セックスのイメージが最悪でしたし、その後もお金で売買するものとか、優しくしてもらうために差し出すものといった、取引的なものだと思っていた。でも本来はコミュニケーションをとったり、愛情を交換したりするためのものなんだと、取材を通して知っていったんです。それで「性暴力は性を使った暴力」だとわかって、性暴力は尊厳を壊すもの、だから自分は傷ついていたということも理解できました。

——理解が深まったきっかけはどの取材でしょうか。

一人ひとりのお話を伺う中で少しずつ自分の解像度が変わってきたのですが、大きな変化があったのは、男性の性被害の研究をされている、立命館大学の宮﨑浩一先生にお話を伺ったときです。

男性の場合、被害を受けたときに勃起や射精といった身体的な変化が加害者にも見えてしまう。実際には「寒いところで鳥肌が立つ」といったことと同じ身体的な反応にすぎないのですが、そういったことは十分に知られていないですよね。だから被害者自身も「自分も望んでいたのかも」「ゲイもしくはバイセクシャルなのかも」などと、なんとか折り合いをつけようとして、ますます混乱したり自分を責めたりしてしまうそうです。

——「性暴力は性欲というより支配欲に基づいて行われる」といった話も最近では聞くようになりました。

その点では「男性に加害する男性はゲイ」という認識も誤りだと教えていただきました。確かに「性的イジメ」と言われるものをふまえると、性欲に起因していないことがわかりますよね。

加害者と被害者の間には権力差があって、「被害=弱さ」というイメージに結びつきやすい。それは社会で「男らしい」とされているものにも反するので、男性の被害はより見えにくくなっているとお話しいただきました。

男性の被害の場合、身体的な反応が見えてしまって、それによって加害者から屈辱的な発言がされることもある。男性の被害を想像して、性暴力は尊厳を壊すものだと、明確に理解できました。もちろん、女性だって身体的に反応しますから、屈辱的な発言を浴びせられた人はたくさんいるようです。私は尊厳というところに思い至るまでに、時間がかかってしまいました。

カウンセリングと自助グループが教えてくれたこと

——菊池さんはカウンセリングを受けていたのですよね。

もともとアダルトチルドレン(AC)としての悩みを話すために通い始めたんです。そこで性暴力のことも話しはしたのですが、当時はACの悩みが大きかったので、性暴力に関してはそこまで深くは話していませんでした。

ただ結果的には、ACに関してカウンセリングを受けたことで、性暴力被害からの回復につながっていったと思います。カウンセリングは尊厳を回復させてくれる時間なんです。だから、性暴力のことを話していなくても「自分自身は大切にされなければいけない人間だ、人権があるんだ」ということを思い出させてくれる。その後ときどき性暴力のことを思い出すことがあっても、「加害者が悪い」と考えられて、自分を責める思考にならなくなっていたんですよね。

——性暴力被害者の自助グループにも通っているのですよね。

自助グループは、この取材を始める前に、色々と相談していたなかで紹介していただいて参加するようになりました。

——自助グループに通って、よかったと感じる点はどんなところでしょうか。

たくさんの方が参加されていて、多くの方のお話を聞いてきました。「言いっぱなし聞きっぱなし(※発言に意見やアドバイスをしない)」の会なのですが、ほかの方のお話を聞くことによって、自分が色々と気づくこともありますし、自分と似た経験をした人がいて、その人の経験について「こんなひどい扱いを受けていい人なんかいないのに……」と思って聞いていると、「自分も同じだ」ってはっとするんです。

そして最後には、「何かあったときには、ここに仲間がいるということを思い出してくださいね」とお別れするんです。つらくなったときに自助グループのことを思い出すと楽になりますし、お守り的な場所になっていますね。

——菊池さん自身、心身のご負担が大きい制作だったと思いますが、取材を通じて希望を感じたことがあれば教えてください。

社会がだんだん変わってきて、性暴力のことが報じられるようになってきたことです。今までだったら表に出なかったものが、可視化されるようになってきているので、その変化は希望だと思っています。

それから性教育。長く教育現場で性教育をしてきた村瀬幸浩先生のお話をうかがいながら、こうやって活動してくださる方がいなかったら、日本はもっと遅れていただろうなと感じました。性教育の重要性を伝える活動家の方はまだまだたくさんいらして、希望になっていますね。同時に、人任せにするのではなく、私たち一人ひとりも向き合っていかないと。性は大人こそきちっと学び直さなくてはいけないものだと思います。

 

『同意なんかしていない ―性被害者たちに何が起きたのか―』(文藝春秋)
『同意なんかしていない ―性被害者たちに何が起きたのか―』(文藝春秋)

【プロフィール】
菊池真理子(きくち・まりこ)

埼玉県生まれ。漫画家。アルコール依存症の父について綴った『酔うと化け物になる父がつらい』、宗教二世問題に迫った『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』などのコミックエッセイ作品がある。

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