大腸がんから奇跡の一軍復帰。元阪神・原口文仁が語る「誰かのために」という新たな使命【病という、喪失の先に】

大腸がんから奇跡の一軍復帰。元阪神・原口文仁が語る「誰かのために」という新たな使命【病という、喪失の先に】
写真:ⓒHANSHIN Tigers
北林あい
北林あい
2026-06-20

がんなどの病により、キャリアや夢が突然断たれることがあります。それでも、自らの足で再び歩みはじめたアスリートたちがいます。本連載では、病を経験しながら競技人生に向き合った彼らの言葉を通じて、「病とともに生きる現在地」を描きます。インタビュアーは、自身もがん経験者で、「キャンサーロスト(病によって失われた機会や役割)」を発信する一般社団法人がんチャレンジャー代表理事・花木裕介氏。執筆はがん経験者のライター・北林あいが担当します。「元に戻れない現実」と向き合う当事者だからこそ聞ける声に耳を傾け、喪失や挫折に向き合う人へのヒントを紡いでいきます。

Google Newsでヨガジャーナルの記事が見つけやすくなります

Googleに登録する
広告

プロ10年目、これからというときだった大腸がん宣告

今回インタビューしたのは、阪神タイガースで活躍した原口文仁さん。小学4年生で野球を始め、捕手を目指した少年は野球の名門、帝京高校野球部に入部。埼玉の自宅から板橋区のある高校まで約2時間かけて通い、白球を追いかける毎日だったと言います。3年生の夏、悲願だった甲子園出場が叶いベスト8進出を果たしました。その後はドラフト6位で阪神タイガースに入団。2025年シーズンに引退を発表するまでの16年間、大腸がんという試練を乗り越えて阪神一筋のプロ野球人生を全うしました。

― 昨年、引退を決断しプロ野球人生に幕を下ろしましたが、16年間を振り返り去来するものはありますか。

振り返るとプロ1年目は二軍からスタートし、3年目からは椎間板性腰痛、左手骨折、右肩負傷とけがに悩まされました。球団にはなんとか育成枠で残れましたが、首の皮一枚の状態だったと思います。しかし気持ちは折れることなく、2015年10月、一軍監督に就任したばかりの金本知憲監督から一軍の秋季練習に急遽呼んでいただき、翌年4月に一軍昇格。デビュー戦で初安打、月間MVPも受賞できました。オールスターのファン投票では、ノミネートされていなかったにもかかわらず17万4,556票を獲得でき、夢に見た世界が現実になった瞬間は忘れられません。

プロ野球人生は順風満帆ではなかったですが、どんなときも絶望することなく、諦めることもありませんでした。帝京高校時代、最後の夏にようやく甲子園出場の切符をつかんだ経験も糧となり、「根拠のない自信」でしたが、できることを続けていれば必ず道は開けるという確信を胸に進んできたことが思い出されます。

帝京高校時代、1年生の冬に念願だった捕手の座を獲得。(株)オフィスS.I.C提供
帝京高校時代、1年生の冬に念願だった捕手の座を獲得。(株)オフィスS.I.C提供
 

― 2019年1月にステージ3の大腸がんを公表されました。前年の左手第5中手骨折による選手登録抹消を経て一軍に昇格し、これからというときだったと思います。当時の状況を教えてください。

2018年のシーズン中から体に違和感があり、十分に寝ても眠気が取れず、倦怠感が抜けない日が続いていました。プレッシャーによるものだろうと思っていましたが、いい機会だからオフになったら体中をチェックしてもらおうと、年末に軽い気持ちで人間ドックを受けたんです。その過程で便潜血検査が陽性となり、大腸内視鏡検査をしたら「原口さん、すぐに隣の部屋に来てください」と医師に言われ、「これはがんです」とその場で伝えられました。

― 「がんです」と言われたとき、どんな思いがよぎりましたか。

まず頭が真っ白になり、「26歳の自分が、まさか……」と思いました。プロ野球選手ゆえに体調管理には人一倍気を付けていたし、とにかく驚きましたね。次によぎったのが「死んでしまうのでは」という思いです。野球ができなくなるかもしれないのも悲しいですが、それ以上に1歳に満たない長女が成長して成人式や結婚式を迎える姿、妻が年を重ねていく姿をこの目で見られないかもしれない。それが一番のショックでした。

一軍復帰は「使命」。自分が勇気と元気を届ける存在になる

― 一度「死」を意識した原口さんの心は、どのように変化していきましたか。

最初に前向きな気持ちになったのは病院から帰る車の中です。「この状況から復活して活躍したら、がんで闘病中の方やご家族に勇気と元気を与えられるはずだ」という気持ちを言葉に出していました。ですが、病気について調べると恐怖がこみ上げてきたし、一人になると不安に襲われてトイレで涙が止まらないこともあり、告知直後はメンタルが激しく揺れていました。

― 死を意識した直後にもかかわらず、復帰に意欲的になれたのはどうしてでしょうか。

僕は絶対にプロ野球選手になれる。そう強く信じて子どもの頃から生活してきました。そうは言っても自分の野球レベルは全然未熟で、中学時代は補欠で試合に出られずベンチから大声で応援するだけの時期もありました。でも気持ちが揺らぐことはなく、高校3年生の夏、甲子園に出場できたことでスカウトの目に留まりプロ野球の世界に入れた。その裏にはいつも「根拠のない自信」があり、自分を信じて目の前のことをやり続けた結果、夢が叶ったという成功体験があったから、このときも逆境から前を向けたのだと思います。

― 大腸がんであることを手書きの文章で綴りTwitter(現・X)で公表した際、「この病気になった事を自分の使命だとも思えます」と記した一文が印象的でした。

阪神タイガースは伝統ある球団であり、そのユニフォームを着ていることの影響力の大きさは、がんになる前から感じていました。僕が大腸がんを克服して一軍で活躍すれば、たくさんのメディアに取り上げてもらえるだろうし、そのニュースは闘病中の方々にかならずや届くはず。だから頑張る姿を発信するのが、僕の「使命」だと感じたんです。大事なのは「一軍で活躍すること」。復帰しても二軍では意味がない。一軍で活躍する姿をみんなに見せたいという思いが闘病のモチベーションになっていました。

まっすぐな思いを綴った直筆の公表文。写真:(株)オフィスS.I.C提供
まっすぐな思いを綴った直筆の公表文。写真:(株)オフィスS.I.C提供
 

― 病院のベッドの上にいると、ライバルに置いていかれる不安はなかったですか。

毎年2月1日、プロ野球は一斉にキャンプインしますが、その日を病院のベッドの上で迎えたときは、悲しみと寂しさ、悔しさも入り交じり何とも言えない気持ちでした。それでも復帰に向けて今の自分にできる準備をしていこうと気持ちを切り替えて、ベッドの上で脚を動かしたり、リハビリの先生と歩行練習をしたり、復帰への準備を一歩ずつ始めていきました。

今できる準備の一つとして、普段はニュース映像以外では見ることがない、各球団のキャンプ中継をテレビで見ていました。「この選手はバッティングをこんなふうに変えたんだ」とか画面越しに研究したものです。

復帰に向けて治療に向き合う病床の原口さん。写真:(株)オフィスS.I.C提供
復帰に向けて治療に向き合う病床の原口さん。写真:(株)オフィスS.I.C提供
 

― 試合に出られる選手を羨むより、自分ができることにフォーカスしたのですね。

そうですね。アスリートに限らずどんな仕事でも、自分でコントロールできないことのほうが多いと思うので、それなら自分にできることに目を向けてみる。アスリートの場合は常に競い合う相手がいますが、僕は相手のミスを願うより、自分が上手くなるために小さな努力を積み重ねることにフォーカスします。そのほうがメンタルは安定するしポジティブになれるんです。

誰かのために頑張ることがモチベーションに

― 2019年1月、腹腔鏡手術が成功し、2月には補助療法として抗がん剤治療がスタート。3月にはチームに合流し復帰への階段を一歩ずつ上り始めます。

球団にがんからの復帰という前例はなかったですが、「5月のゴールデンウイークにある甲子園での試合で一軍に復帰し、7月にはオールスターゲームに出場する」という明確なイメージを持ち、自分の体と相談して無理なく調整を進めました。手術で縫合した部分がしっかりくっつくまでは体幹をねじるバッティング練習は控え、チームのトレーナーと相談しながら徐々にトレーニングの強度を上げていきました。

― 病気で急に日常が壊れる経験をすると、気持ちが守りに入ることがあります。挑戦する足がすくむことはなかったですか。

がんになる前はレギュラーの座を獲得したい、ヒットやホームランをたくさん打ってタイトルを取りたいという、自分のための目標を掲げていました。がんになってからは目標が自分のためから誰かのために変わり、がんの患者さんや待っていてくれるファンを笑顔にしたいと思うとモチベーションが保たれて前に進めました。

― 実践復帰となったのは5月8日の二軍戦、ウエスタン・リーグの中日ドラゴンズ戦でした。どんな気持ちでグラウンドに立ちましたか。

ベンチ裏で「次の回、行くぞ」と声をかけていただき打席に上がる準備をしたのですが、実はバットが振れないくらい緊張しました。いざ打席に立つと緊張が抜けていつも通り投手と向き合えましたが、これが一軍復帰に向けた第一歩になるという思いが極度の緊張につながったのかもしれません。

そして、6月4日の千葉ロッテマリーンズ戦が一軍への復帰戦となりました。9回一死三塁で代打に起用していただき、自分の名前がコールされたときは、ここから第二の野球人生がスタートするという気持ちと、家族や病院の先生、看護師さん、リハビリの先生、球団関係者、友人など本当にたくさんの方に支えてもらいこの場に立てる幸せを噛みしめました。

 
写真:ⓒHANSHIN Tigers
一軍復活の日、その姿が多くの人の励みに。写真:ⓒHANSHIN Tigers

― 復帰までの道のりは、術後の体調の変化と向き合いながらだったと思います。後遺症に苦労したことはありますか。

一番困ったのはトイレに何度も行きたくなることでした。最初は1日に20回を超え、体を動かそうと散歩に出かけても2~3分でトイレに行きたくなり家に帰るような感じでした。便座に座っている時間が長すぎてお尻が痛くなるし、復帰以前に近所に出かけるのさえ怖い時期がありました。

― 当時は公表していませんでしたが、のちに抗がん剤治療をしながらグラウンドに立っていたと聞きました。副作用もあったと思います。

一番つらかったのはまぶたや唇がパンパンに腫れてしまったときで、かゆくて仕方ありませんでした。生ものを食べると腫れがひどくなり、後輩に「原口さん、朝から涙流してどうしたんですか?」って。泣いていると間違われるくらいまぶたが腫れた日もありました。チームにはトイレ問題も含めて体の変化を伝えて、体調を考慮した練習環境を整えてもらえたことで早い復帰が叶いました。

病気を過去にせず、この経験を社会のために

― 昨年引退を発表し、現在は野球解説やスポーツ評論のほかに社会貢献活動や講演にも取り組んでおられます。セカンドキャリアに闘病経験はどのように生かされていますか。

みなさんが目にするプロ野球選手といえば、一軍で華々しく活躍する姿が多いと思います。でもその裏ではけがなどで離脱し、復帰を目指して必死にリハビリに励む選手がいます。自分ががんという大きな病気を経験して悔しさを味わったからこそ、葛藤を抱えながら懸命に野球に取り組む選手がいることを伝えていきたい。現役時代は野球のプレーを通して元気と勇気を届けてきましたが、ユニフォームを脱いでからは社会貢献や講演の活動を通して、今度は自分の言葉で何かに挑戦しようとする方をアシストしたり、病気と向き合う方に力を届けたりしたいです。

そして、がんの早期発見の大切さを伝えるのも僕の仕事だと思っています。今は生涯で2人に1人ががんになると言われていますが、早く発見できれば命が助かる可能性が高くなり、病気と上手く付き合いながら生活できる時代です。健康診断や人間ドックを受ける大切さを発信していきます。

― そうしたメッセージを伝えるのが、今の原口さんの「使命」なのですね。ですが自分に課した使命を休み、病気と距離を置きたいと思うことはないですか。

病気はずっと僕の隣にいて、それを嫌だとはまったく思いません。病気を機に僕のことを知って応援してくれた方もいるので、むしろ病気のおかげという気持ちもあります。引退後も何かを発信できる立場にいられることは、本当にありがたく幸せなことなので、病気を通して僕が体験したことを伝えて社会の役に立てれば本望。それが僕の生きる意味だと思うので積極的に取り組んでいきたいです。

― 最後に、病気に限らず夢や目標を諦めかけるような高い壁に直面している方に、原口さんからメッセージをお願いします。

大腸がんと言われたときは気持ちが落ち込みましたが、僕は大好きな野球があったおかげで復帰を目標に治療を頑張れました。みなさんも人生を豊かにするような好きなもの、得意なものがあると、つらい状況を越える原動力になると思います。推し活もよし、おいしいものを食べることでもよし。小さいことでいいから「好き」を見付けて、一度しかない人生を思い切り楽しんでください。

プロフィール

原口文仁
2009年ドラフト6位で帝京高校から阪神タイガースに入団。2016年5月育成契約を経験した野手では初めての月間MVPを獲得。2019年1月に大腸がんを公表。同年6月に復帰。がんからの復活劇は出身中学校の道徳の教科書内でも紹介されている。2025年に引退後、野球界への貢献と社会貢献活動を軸に講演やメディアを通じて自分の経験を社会に伝え、多くの方の「挑戦」を後押しする活動を行う。

写真:(株)オフィスS.I.C提供
写真:(株)オフィスS.I.C提供

花木裕介
一般社団法人がんチャレンジャー 代表理事/著述家
自身のがん罹患体験をテーマにした『キャンサーロスト 「がん罹患後」をどう生きるか』(小学館)や『Catch the Rainbow  Jリーグを目指した選手たちの挫折と再生の記録』(西葛西出版)を上梓。 

北林あい
医療・健康・介護分野のライター。乳がん発症を機に喪失悲嘆を癒す「グリーフケア」を学び、がん患者の傾聴カウンセリングも行う。ヨガジャーナルオンラインでがん経験を通して見えてきたことを綴る「抱えながら生きて」連載中。@kitabayashi1101

Google Newsでヨガジャーナルの記事が見つけやすくなります

Googleに登録する
広告

RELATED関連記事

Galleryこの記事の画像/動画一覧

帝京高校時代、1年生の冬に念願だった捕手の座を獲得。(株)オフィスS.I.C提供
まっすぐな思いを綴った直筆の公表文。写真:(株)オフィスS.I.C提供
復帰に向けて治療に向き合う病床の原口さん。写真:(株)オフィスS.I.C提供
写真:ⓒHANSHIN Tigers
写真:(株)オフィスS.I.C提供