病という、喪失の先に【アスリートたちの挫折と再生の物語】白血病Jリーガーのもう一つの闘い
がんなどの病により、キャリアや夢が突然断たれることがあります。それでも、自らの足で再び歩みはじめたアスリートたちがいます。本連載では、病を経験しながら競技人生に向き合った彼らの言葉を通じて、「病とともに生きる現在地」を描きます。インタビュアーは、自身もがん経験者で、「キャンサーロスト(病によって失われた機会や役割)」を発信する一般社団法人がんチャレンジャー代表理事・花木裕介氏。執筆はがん経験者のライター・北林あいが担当します。「元に戻れない現実」と向き合う当事者だからこそ聞ける声に耳を傾け、喪失や挫折に向き合う人へのヒントを紡いでいきます。
調子が上がらない日々。病気とわかりやっと自分を許せた
今回話を聞いたのは、急性リンパ性白血病を発症した、アルビレックス新潟所属のJリーガー・早川史哉選手です。子どもの頃からサッカーで輝きを放っていた早川選手は、筑波大学卒業後、出身地である新潟のJクラブ・アルビレックス新潟に加入。プロデビューは2016年2月、J1開幕戦の湘南ベルマーレ戦で先発フル出場を果たしました。躍進が期待された矢先、味わったことのない違和感を体に覚えます。
——花木:プロサッカー選手になりまさにこれからというとき、早川選手の体はどんな状態でしたか。
早川:最初、周りの人に痩せたねと言われるようになりました。確かに体重と体脂肪率は落ちていましたが自分では体が絞れてコンディションは良好、このままいい調子で開幕を迎えられると思い、病気なんて想像もつかずむしろ自信に満ちていました。
ところが徐々に疲れやすくなり、朝は早く目が覚めて背中が寝汗でびっしょり濡れているし、お風呂から出ようとしたらクラクラしてつかまらないと立ち上がれない。だんだんと喉と鼠径部のリンパ節が腫れてきちゃって。でも風邪だろうと思って薬は飲まず、誰にも相談しませんでした。そのうち練習でダッシュを1回しただけで足が重たくなり、頭で何も考えられないくらいしんどくなっていきました。
——花木:体調の異変を誰にも相談しなかったのはなぜですか。
早川:メンバーから外されてスタメンで出場できなくなる怖さと、今のポジションを誰にも渡したくないという強い思いがあったからです。プロである限りチームの勝利に貢献して自分の存在価値を示す必要がありますが、それが思うようにできなくなり、練習や試合に出るのが怖くなっていました。
思うように動けないのが自分のせいなら早々にプロの道を諦めなくちゃいけないし、今まで自分が目指してきたものを否定せざるをえません。思い返すと精神的に一番つらかったのはこの時期かもしれないです。
本当にきつくなり、心が折れかけたタイミングでやっとチームのドクターとトレーナーに相談したら病院で検査を受けるように言われて。その結果、急性リンパ性白血病と診断されました。
——花木:診断前は、上手くいかないのは努力が足りないからだと、矢印を自分に向けて自責する。そんな瞬間もあったと思います。
早川:そうですね。プロサッカー選手になるためにいつも自分に矢印を向け、自分自身を突き詰めてきました。だからこそプロになれた。体調が悪くなっても自分に矢印を向け続けることでしか問題は解決できない。そう思ってしまい本当に追い詰められていました。
——花木:検査を受けて急性リンパ性白血病と診断されたときの心境を教えてください。
早川:見えないものと闘いながら過ごした2カ月間は、精神的にとてもきつい時間でした。白血病と聞いて病気が原因でこんなに動けなかったとわかり、ほっとしたと同時にようやく自分を許すことができました。
サッカーの素晴らしさを再確認。闘病の原動力に
——花木:急性白血病は抗がん剤治療が必須です。強い副作用に耐える日々のなかで死を意識したことはありましたか。
早川:一番意識したのは白血病という病名を聞いたときです。この病気に関する知識はなくてドラマで見る程度でしたが、発症した主人公はだいたい亡くなってしまうので。自分もそうなるかもしれないと死を意識しました。無菌室で抗がん剤治療をしているとき、同病の患者さんが亡くなっていくのを目の当たりにしたときは死をより身近に感じました。抗がん剤治療の終わりが見えなかったり、副作用による脱毛や吐き気、高熱に見舞われたりして不安や怖さに押しつぶされそうになったこともあります。
——花木:命の期限を意識しなければならない状況で、どのように自分自身を保ち前向きに治療に取り組んでいましたか。
早川:クラブは選手契約を一旦凍結して治療に専念できる環境をつくってくれました。復帰までの道のりをサポートする体制を整えてくれるなど、周りの人からの応援がすごく力になったと感じています。
それとは別に、治療が始まる前、自分はなぜこんなにもサッカーが好きなのか、なぜプロサッカー選手を目指したのかを病室でじっくり考えることができたんです。見えてきた答えは、サッカーの素晴らしさはチームの勝利や自分が上手くプレーできて満足するだけでなく、多くの人と協力しながら様々な課題を乗り越えて目標を達成できるということ。その部分を再確認できたことが、病気に打ち克ちもう一度プロサッカー選手を目指そうという強い原動力になりました。
——花木:病気によって大切なことに気づけたわけですね。
早川:そうですね。僕は小さい頃からサッカーを通じて大切なことを学び、サッカーが自分自身の人間性を形づくってくれたと思っています。それを病気によって再確認できたことは僕の大きな財産になりました。病気になってよかったとは言えませんが、本当に大切なことに気づかせてもらえたと思っています。
——花木:周りからの支えが力になったとおっしゃいましたが、励ましは確かにありがたいけどときに煩わしさや違和感を覚えた経験はありましたか。
早川:「がんばれ」は力をくれる言葉ですが、無責任な言葉でもあるなと自分が患者という立場になって初めて気づきました。本人は死ぬほど苦しい局面でむちゃくちゃがんばっているのに、がんばれという言葉をかけられるのは違和感を覚えます。そのときの病状や心の状態によっては苦しい思いをさせてしまう言葉なのだと思います。
——花木:早い復帰を望む声もたくさん届いたと思いますが、その声がプレッシャーとなり追い詰められることもあったのでは。
早川:励ましの声は力にもなり、自分自身の現在地を狂わす要素にもなり得ると感じました。復帰のタイミングは体の状態次第。自分の意思では決められず、ましてやほかの誰かが決められるものでもありません。とにかく自分のペースを大事にしたいと思いました。
「後悔も嫉妬もない」と言い切れる理由とは
——花木:病床でチームメイトやかつての仲間たちの活躍を見て焦りを感じたり、復帰しても居場所があるのかという不安に駆られたりすることはありましたか。
早川:あまり感じませんでした。一緒に切磋琢磨を続けて、苦しいことも共に乗り越えてきた仲間たちなので、彼らがピッチで戦っている姿を見るのはすごく嬉しかったし逆に力をもらっていました。
サッカーはチームプレーのスポーツですが、一人ひとりが自分の生活や夢をかけて戦い、自分自身で道を切り開いていく個人の戦いでもあるんです。だから今、僕が闘うべきは病気なんだと割り切っていました。
今までのサッカー人生を振り返ると、常に自分自身で選択して進んできたので後悔は一切ありません。いつでもやりきっているから、ダメならそれでいいと思えるんです。だから誰かに嫉妬することもない。上手くいく、いかないという結果重視の軸だけではなく、目の前の課題にどう取り組んでいくかという過程に価値を置く、その軸が人生の割と早い段階で持てたのはサッカーをやってきたからこそ得られた財産。子どものときからこの考え方で困難を乗り越えてきたので、病気にも向き合えているのだと思います。
——花木:そうは言ってもプロサッカー選手は基本的に単年契約ですし、契約そのものがなくなってしまう危機感をいだくことはなかったですか。
早川:もし復帰できるところまでコンディションが戻らず契約終了となっても、しょうがない、やりきったなと言えたと思います。そう言い切れるのは、日々ベストを尽くし続けることに重きを置いてサッカーをしてきたからです。
僕は小学1年生でサッカーを始めました。周りには常に自分より上手い選手がたくさんいて、それでも長く選手をやり続けてこられた。それは誰かと比較するのではなく、自分のベストを出し続けることに全力を注いできたから。サッカーは下手かもしれないけど、ある意味すごく幸せだと思います。
——花木:サッカーでベストを尽くすというのはイメージできますが、病気の治療で日々ベストを尽くすとは具体的にどういうことでしょうか。
早川:先を見過ぎず、今日一日をしっかり過ごす。復帰のことは考えますが、そこを見過ぎて気持ちがやられるくらいなら、とにかく今日一日を耐え抜こうと。一日一日を必死にたぐり寄せて、その日を生きるという感じでしょうか。
僕は幸いドナーが見つかり骨髄移植をすることができましたが、その前後が一番きつかった。抗がん剤の副作用で喉が荒れて唾を飲み込むのもつらく食事がまったく摂れない。でも体力を落とさないようにせめてアイスでカロリーを稼ごうとか。そうやって今日一日をなんとか乗り切る。その積み重ねでしか先に進む方法はなかったです。
復帰後はできない自分を受け入れ、できたことにも目を向ける
——花木:2017年6月に退院し、12月から復帰に向けたリハビリが始まります。翌春には中学生年代のアルビレックス新潟U-15、高校生年代のアルビレックス新潟U-18と共にトレーニングや試合に参加しますが、体力や技術力が罹患前のセルフイメージとかけ離れていると感じることもあったと思います。
早川:復帰できたのは嬉しかったけど、中高生に走り負けるなど、練習についていけない現実をまざまざと見せつけられました。同時に、病室はアスリートとしての能力を直視しなくていい、すごく守られた場所だったと感じました。
どうやって意識を切り替えたかというと、走っている途中にきつくて足が止まり、周回遅れになるのは認めたくない現実だけど、かっこつけずにできないことを受け入れて一歩ずつ前に進んでいこうと。できないことばかりに目を向けるのではなく、治療を終えて退院してやっと外に出られ、走ったりボールを蹴ったりできるポジティブな面も見ていこうと思い直しました。ネガティブな面ばかり見ていたら心が折れてしまうので、今できていることに目を向けて、大丈夫、大丈夫と自分をしっかり褒めて認めることが、できない自分の力になりました。
——花木:復帰後、競争心がわいてこないもどかしさを抱え、それは「白血病になったがゆえに、『生きてさえいれば』というメンタルが芽生えたことに関係している」という著書の一文にがん罹患者の一人としてとても共感を覚えました。
早川:生きてさえいればいいというのは正解ではあると思いますが、一方で病気を理由に心が折れて練習中にピッチを歩いてしまう現状を許せない自分がいました。でも病気は僕の体に大きな負担として残り、それを拭い去ることも忘れ去ることもできません。それなら自分の一部として受け入れよう。そうしないと先に進めないと思いました。受け入れて今の自分に何ができるか、できるようになったかを見るほうが精神的に楽でした。
読者の皆さんに一つ伝えたいのは、僕は病気から復帰してサッカーができるようになりがんを克服した成功例として映るかもしれません。でも、僕の例を自分に当てはめる必要はないし、真似しようと思う必要もないです。あくまでも自分のペースで進むのが正解、それが自分らしくいるための最善策だと思います。
——花木:病気にさえならなければと悔しさを抱えることはないですか。
早川:ないとは言えないですね。数年前まではなるべく今の自分と罹患前の自分を比べないようにしていました。罹患前より明らかに動けていないし、その現実を直視するとできていない自分が嫌になるから。
でも最近は、病気前の自分を見てそこに向かう努力をしようと思うようになりました。30歳を過ぎてあと何年選手をやれるかわかりませんが、理想の体に近づくには罹患前の自分を思い出さないとステップアップできないと思って。新たなプレースタイルを築くためにトレーニングを突き詰めていくとプレーの質が上がる実感があり、一方で病床で過ごす時間が長かったのでさびついて支障をきたしている部分が多く、改めて闘病の壮絶さを感じました。
—— 花木:最後に、病気に限らず夢や目標を諦めかけるような高い壁に直面している方に、早川選手からメッセージをお願いします。
早川:僕は心配事や困難に大小はないと思っています。つらいと感じる状況に陥ったら少しでも心が軽くなる環境をつくったり、今まで自分はどのように困難に向き合ってきたか見つめ直し、自分軸をしっかり持つことが立ち向かう力になると思います。
僕は自宅療養中、退屈しのぎに自分でコーヒーを淹れるようになり、今もその時間がほっとできる大切なひとときになっているので、自分が動ける範囲で心が明るい方向に向かう何かを見つけられると不安は減っていくと思います。皆さんも、信頼できる人や情報、好きな本や音楽などパワーをもらえる何かを見つけて、前に進む力にしてください。
プロフィール
早川史哉
アルビレックス新潟所属のJリーガー。中学・高校はアルビレックス新潟のアカデミーでプレー。筑波大学に進学し、2015年に蹴球部の主将としてチームを1部昇格へと導く。2016年にアルビレックス新潟に入団、同年に急性リンパ性白血病と診断されて入院、抗がん剤治療を経て骨髄移植を行う。リハビリを経て復帰を遂げ、2019年8月17日、J2第28節・岡山戦で試合メンバー入り。10月5日、J2第35節・鹿児島戦にフル出場を果たし1287日ぶりに公式戦のピッチに立ち、現在も試合出場を重ねている。著書に『生きる、夢をかなえる 僕は白血病になったJリーガー』(ベースボール・マガジン社)など。
花木裕介
一般社団法人がんチャレンジャー 代表理事/著述家
自身のがん罹患体験をテーマにした『キャンサーロスト 「がん罹患後」をどう生きるか』(小学館)や『Catch the Rainbow Jリーグを目指した選手たちの挫折と再生の記録』(西葛西出版)を上梓。
北林あい
医療・健康・介護分野のライター。乳がん発症を機に喪失悲嘆を癒す「グリーフケア」を学び、がん患者の傾聴カウンセリングも行う。ヨガジャーナルオンラインでがん経験を通して見えてきたことを綴る「抱えながら生きて」連載中。@kitabayashi1101
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