女ふたりの関係は「いつか終わるもの」?女ふたり暮らし20年で見えた“普通”への違和感【経験談】
『帰りに牛乳買ってきて 女ふたり暮らし、ただいま20年目。』(柏書房)の著者・はらだ有彩さんは、ルームメイトとの暮らしを20年続けてこられました。始まりは成り行きでも、続けていくには選択が必要だったといいます。世間からの「結婚しないの?」という詮索、自分の中にも潜んでいた「普通」の感覚、そして喧嘩しながらも共に過ごす日々。女ふたりの暮らしを通して見えてきた景色について、お話を伺いました。
ルームメイトの暮らしの始まりは「成り行き」だった
——ルームメイトと共に暮らし始めた経緯についてお話しいただけますか。
本当に偶然で、成り行きなんです。たまたま彼女の家が大学から遠くて、私が大学の近くに住んでいて、しかも私の住んでいた家がルームシェアしても大丈夫な家だったので、彼女がうちに転がり込むような形で始まりました。
私の中では「始まるときは勢いで始まるけれど、続けていくのには絶対に選択が伴う」と思っています。最初は「選択」と呼べるほどの気持ちはなくて、「こういうこともあるよね」くらいの軽さで始まることもある。でもその状態を維持し続けていくことには、結構エネルギーが必要だったという感覚があります。
——始まり自体は、自然の流れだったんですね。
泊まりに来る延長のような、その程度の軽さで始まったんです。そのあと大学を卒業して就職する、転職する、引っ越しする、喧嘩するなど、やめるきっかけはたくさんあったのですが、その都度「やめないぞ」と選択して、今に至るという感じです。
世間の「結婚しないの?」という詮索期
——年月を重ねる中で、周囲の反応の変化はありましたか。
私の中で、第1次詮索期と第2次詮索期があって。この波が、女性とされるもののライフスタイルへの期待と、明らかに連動していると感じたんです。
第1次詮索期は20代後半。結婚ラッシュと重なる時期で、「いつまで結婚もせずにフラフラしてるの?」という反応がとても多くなります。それが30代前半になると、ぱたっと止むんですよね。会社などで結婚していない人をいじりづらい年齢というか、「さすがにあの年で結婚していないと聞くのも悪いよね」みたいな空気のラインがあるんです。
——いわゆる「腫れ物扱い」のような感じでしょうか。
変な遠慮の上に成り立っている束の間の平和を謳歌していました。そのあと30代後半くらいから、第2次詮索期がやってくるんです。
「本当に結婚しないの?」「このまま行くの?」と聞かれ始めて、これは明らかに「子ども産まないの?」という意味なんです。言外に「子どもってタイムリミットがあるの、知ってる?」と言われているような感覚でした。
「これぐらいで結婚するもので、これぐらいでしなかったらやばいもので、これぐらいで子どもを産むもの」といった架空のマイルストーンに則って、周囲の反応が変わっていくのが新たな発見でした。40代に差し掛からないと第2次詮索期の存在に気づけなかったですね。
——顔が見える関係と、そうでない関係で違いはありますか。
私のことをよく知っている人は、私がどういうふうに楽しく暮らしているかを知っているから、何も聞いてきません。でも「40代女」という情報しか持っていない人は、「40代女はこういうことで焦っているだろう」という前提で聞いてくる。
属性だけで人を考えたときに、「こういうことをしているはずだし、していないなら焦っているはずだ」という外枠があるんです。そこに私のシルエットが合わないから、「この辺がはみ出ているけど、どうなってるの?」と聞いてくる感じです。「もしかして色々なタイムリミットを知らないのかな、現実を教えてあげなきゃ」という善意めいた気配を感じることもあります。
——中年期に「女ふたりで暮らす」というイメージは、社会にあまりないですよね。
「おばあちゃんになったら一緒に住みたい」というような話は、昔に比べてよく言われるようになりました。老後の友人どうしの楽しく穏やかな隠居生活というのは、夢物語も含めて、結構受け入れられるようになってきたと思うんです。
でも、若い頃の同居と老後の互助に比べて、中年期という一番長い時期の暮らしのバリエーションの想像が世間には少ない。だから「変だな」と思って聞かれるんです。他人の中年期を想像するとき、結婚・出産のレールに乗ったイメージしか持っていない人は多いのだと感じます。
「ルームメイトの実家に住んでいいの?」と、反射的に思ってしまった
——女ふたりで暮らす中で感じてきた世間の「普通」とはどういったものでしょうか。
世間の「普通」というのは、結婚していない女性ふたりの関係は「一時的で、いつか終わるもの」という感覚をとても強く感じました。普通は結婚して出産するから、その手前の女性ふたりの関係は基本的に後回しになり、どこかで途切れるもの、という感覚です。
しかも、ふたりの関係がどんなものであろうと、一括で後回しにされる。恋人関係だろうと友達関係だろうと関係なく、男女の結婚・出産・家庭運営という「普通」の前では優先順位が下がる。結婚した友達と会いにくくなる場合にも、「家庭が優先だから仕方ない」という「常識」が作用していることがあると思います。
同性カップルが長年暮らしていて生活実態としては大差ないのに、「結婚」の枠には入れてもらえない。全部、男女の結婚・出産・家庭運営の盤石さに連動していると感じます。
——ただ、はらださんご自身にも思い込みがあったのですよね。
「実家は家族のものだ」という感覚が、自分の中にもあったと気づいた出来事がありました。あまりに家が決まらなくて困っていたとき、ルームメイトの親御さんが「とりあえずうちに引っ越してきたら?部屋空いてるし」と言ってくれたことがありました。そんなに切羽詰まっていた状況なのに、私は「実家に住んでいいのかな」と反射的に思ってしまったんです。
実家というものは血縁や結婚の繋がりで運営されているもので、そこに足を踏み入れるのは「家族」の人だけだという感覚がうっすら自分の中にあった。これまで自分の作品の中では「好きに暮らせばいいじゃん」と言ってきたのに、いざ自分に向けられるとそう反応してしまうことにすごくショックを受けました。
引っ越してからも、ルームメイト側の親族の集まりに呼ばれることがあるんですけど、そこで「すみません、よくわからない女が紛れ込んでいて」みたいな、一旦変なピエロを演じてしまうんです。親族の人たちは「そんなこと言わないでよ、もう家族だよ」と言ってくれるのに、その茶番を一回挟んでしまうんですよね。
これは私個人の問題というより、日々言われてきたことが積もってそうやってふるまってしまうのだと思います。「普通からすると、やっぱりちょっと変だろう」という思い込みから、謎の予防線を先に張ってしまう。普段から意識していても、影響を受けないことが難しいことを実際に経験して感じました。
めっちゃ喧嘩する。それでも一緒にいる
——喧嘩の描写もありましたが、一緒に暮らし続けることに迷いが生じたことはありますか。
私たちめちゃくちゃ喧嘩するんです。「こんなに喧嘩するぐらいなら、無理して一緒にいなくてもいいんじゃないか」と思ったことも、ルームメイトがそう言っていた時期もありました。
もちろん、離れたいときに離れられる方が健全な関係だと思います。「喧嘩しても一緒にいるべき」とも思いません。同時に「女性ふたりで住むからには、よっぽど仲がいいに違いない」という思い込みもあったんです。だから、こんなに喧嘩するならそこまでして一緒にいなくてもいい、と関係を手放そうとしていた。でも、喧嘩しながら一緒にいる夫婦がいるように、女性ふたりで喧嘩しながらでも一緒にいていいじゃんと思うようになりました。
男女の結婚だと「ちょっと合わないからって離れるなんてわがまま」と逆の扱いを受けることも少なくないですよね。一方そうでない関係は「そんなに揉めるなら一緒にいなくていいじゃん」と言われる。継続するべきものだと思われている関係と、そうでない関係の、非対称なコントラストに気づきました。
——なぜ喧嘩をしながらも一緒にいたいと思えるのですか。
やっぱり楽しいんですよね。何かあったときに話したいし、「私はこう思うけど、あの人はどう思うかな」と真っ先に思い出す人です。親しいからといって、考え方が全部合うわけではない。どんなことで喧嘩しているかというと、「食器を戻してよ」「目覚ましがうるさいから朝ちゃんと起きてよ」みたいなレベルのことです。政治の話でもジェンダーの話でも盛り上がって、いくら考え方がフィットしていても、生活を擦り合わせられるかどうかはまた別の話です。
そういう生活上の衝突は、大きな価値観が合うかとは別の次元で出てくる。でも細々とした無限に湧いて出てくる喧嘩の種を置いておいても、やっぱりすごく好きだから一緒にいたいという感じです。
※後編に続きます。
【プロフィール】
はらだ有彩(はらだ・ありさ)
関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストレーションを組み合わせて手掛けるテキストレーターとして数多くの雑誌やwebメディアにエッセイを執筆。著書に『日本のヤバい女の子』(柏書房)、『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』(柏書房)、『百女百様 〜街で見かけた女性たち』(内外出版社)、『女ともだち~ガール・ミーツ・ガールから始まる物語』(大和書房)、『ダメじゃないんじゃないんじゃない』(KADOKAWA)。
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