女にかけられた呪いを解く鍵は、女ともだち? 山内マリコ・著『一心同体だった』【レビュー】

 女にかけられた呪いを解く鍵は、女ともだち? 山内マリコ・著『一心同体だった』【レビュー】
『一心同体だった』山内マリコ・著(光文社)

エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。今回は、山内マリコさんの著書『一心同体だった』を取り上げる。

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作家・山内マリコは、デビュー作『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)から一貫して、地方出身であることや、女同士の友情、女性が女性だからという理由で抑圧されるリアルを描いてきた。

そんな作者がデビュー10周年に上梓した短編連作小説『一心同体だった』(光文社)で描いたのは、女性同士の友情であり、1990年に10歳だった少女が、2020年に40歳になるまでに日本の女性を取り巻く環境がどのように変化してきたのかを繊細につづった平成30年史だ。

女同士のリアルな友情が、紋切型の女性蔑視「女同士のドロドロ」を吹き飛ばす

本作は、8章で構成されており、それぞれ10歳、14歳、18歳、20歳、25歳、30歳、34歳、40歳の別々の女性が主人公だ。

そこで描かれている女の友情は、清廉潔白で揺るぎないなものではない。10歳の少女たちの友情は、強いけれど脆い。仲良しふたり組だったのに、ちょっと派手で素敵な女の子から「選ばれ」て、有頂天になり、仲良しだった相手を裏切ってしまったりもする。14歳で親友と思える相手と出会えても、ちょっとしたすれ違いから素直になれず、離れ離れになってしまったりもする。

一緒にいたら楽しくて、「うちらって最強!」と思える瞬間もあれば、相手の言動に失望する瞬間もある。でも失望すると同時に、相手の幸せを願って、涙することもある。近づきすぎて喧嘩したり、まるで恋人同士みたいにぐちゃぐちゃな気持ちになって、「距離を置こう」みたいなことになったりもする。距離を置いた結果、音信不通になったりもするし、数年後に再び仲良くなれたりもする。そんな、リアルな女の友情が、本作ではつづられている。

本作で描かれる女同士の友情は、一昔前には、ともすれば「女同士のドロドロ」「女同士は陰険」などという女性を蔑む言葉で形容されかねないものだ。だが、本作では、「女同士ってドロドロしてる(笑)」と蔑む側のなかに潜む蔑視を白日の下に晒し、安易な女性蔑視を寄せ付けない。女性同士の連帯が、女性たちにとって癒しであり救いになることを、明確に描いている。

とくに、歳を重ねるごとに、女同士の会話で救われることは増えていく。子育て中の専業主婦がツイッターを通して、同じ立場の女性と語り合うことで、やっと息ができたと感じ救われる場面は、「女同士はコワい」と嬉しげに語る人間のなかに深く沈殿する、女性蔑視の価値観を軽く吹き飛ばす。

女性はいつ、男女平等なんて嘘だと気づくのか

本書を読むことは、楽しい経験でもあり、切ない経験でもあった。天真爛漫で、けろけろけろっぴや、ぽんぽこ日記に心躍らせていた少女が、成長するに従って、否が応にも、「自分は差別される側」だと気づいてしまう。男女平等なんて嘘だと、気づかされてしまう。

本作では、数々の気づき瞬間がつづられている。女子高出身でのびのびと育った映画好きの女性が、共学の大学の映研に入った途端、「女子の役割」を背負わされ、気働きを求められ、容姿をあからさまにジャッジされる。社会に出れば差別はより露骨になる。女性と男性で賃金や昇進のスピードが違う。出産し、時短勤務になれば、出産した罰かなにかのように、安い賃金で労働力を提供することになる。子育てが始まれば、元のキャリアに戻れる人は一握りで、生涯賃金は大幅に下がる。経済力を失うことで、男性への経済的依存が免れなくなり、上下関係ができてしまう。子どもが小学校にあがり手がかからなくなったら、パートに出て家計を補助することを要求されても、「たいした仕事じゃない」から、家事のクオリティを下げることは許されない……枚挙にいとまがないほど、世の中には女性差別や女性蔑視があふれている。

主人公のひとりで出産を機に退職した大島絵里は、差別を是正することなしに「女性を輝かせよう」とする欺瞞に憤る。家事育児の負担が女性に偏ったまま、女性の仕事が安く買いたたかれたまま、「輝け」と迫るのは、安い労働力としてもっと働けと言っているのと同じことだと。

女性たちはリレーをしてる。自分の代でなにかをほんのちょっと良くする。変える

大島絵里は40歳。もう完全に、男女平等が達成されているなんて嘘だと気づいている。しかし、絶望はしていない。なぜなら彼女には、SNSを通じて知り合った、同年代の女性がいたからだ。

ふたりは女の子を育てている。大島絵里は、自分にかけられてきた数々の呪いを自覚している。女の子は「女ならではの気遣い」を発揮して、誰かをサポートするのが向いているとか、女の子に○○は向いていないとか、女同士はドロドロしているとかいう、女性蔑視の呪い。自覚しているから、娘たちにはその呪いを引き継がせないように、ここで食い止めるようにと、ふんばる。ひとりでは無理かもしれないけれど、大島絵里には女友達がいる。

女性たちはリレーをしてる。自分の代でなにかをほんのちょっと良くする。変える。打破する。前進させる。そうやって、次の世代にバトンをつなぐというリレー(P.326)

女同士の絆(強いものでも、弱いものでも)こそが、女性差別的な社会を変えていく大きな一歩になるのだと、本書は教えてくれる。読了後、「次の世代をちょっとだけ良くしたい」という著者からのバトンを、受け取った気がした。

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原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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