「才能見初められ系」暴力、いつまで続く?『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』【レビュー】
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。今回は、『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』を取り上げる。
近年、映画業界、演劇業界でパワハラ、セクハラ告発が相次いでいる。監督や演出家による暴行や叱責、過重労働や性的関係の強要が次々と明るみに出るなか、業界の外にいる人間は、加害者の名前を、その報道をもって初めて知ることも多い。映画鑑賞や観劇が趣味の人間であっても、たいていは監督や演出家の名前なんていちいち覚えていない。そんなに有名だとも思えない彼ら彼女らは、どうやら、そのコミュニティー、その現場では神のような存在らしいと、報道を持って初めて知る。
報道後は必ずといっていいほどのお決まりの流れがある。告発者の声をかき消すように、「自分はよくその人を知っているけれど、そんな人じゃない」「セクハラ、パワハラなんてなかった」「それは恋愛だったのでは?」という加害者擁護が平然となされ、「表現者は清廉潔白じゃなきゃいけないんですか?」と議論のすり替えが行われる。
そういった声が守ろうとしているのは、ハラスメントを受けた被害者ではなく、複数人から告発されている加害者だ。なぜ彼らは加害者を守ろうとするのか。自分にも見に覚えがあるからなのか? そのパターンもあるだろう。だが、そうでないなら、その必死さには説明がつかない。根拠なく盲信し、擁護する様は、さながら教祖を守る信徒のようでもある。
井上荒野著『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』(朝日新聞出版)にも、性暴力で告発された"プチ教祖"を、必死で擁護する周辺人物が描かれている。
"プチ教祖"からの才能見初められ系暴力の典型的な形
本書の主人公は、動物病院の女性看護師だ。文章を書くのが大好きで、元編集者の月島光一が教鞭をとる小説講座に通うことを決める。月島は、腕は確かな人気講師で、講座からは芥川賞受賞作家も輩出している。最初は人気講師に目をかけてもらえることを誇らしく感じていた主人公だったが、次第に月島からの要求はエスカレートしていく。
主人公は月島からふたりで食事をすることを求められるが、自意識過剰だと思われることを恐れ、断ることができない。信頼している先生だから「まさかそんなことはしないだろう」と思い、また、「こんな凄い人が私のために時間を割いてくれているのだから」というプレッシャーから、主人公は次第に追い詰められていく。
月島の切り札は、「一番期待している」「よりよい小説を書くため」という言葉だ。
現実でも、芸術分野での暴力は、「よりよい作品を作るため、それくらいの覚悟はあるよね?」「期待している(期待を裏切るのか?)」という殺し文句を用いて行われる。
プチ教祖のように神格化された権力者による、「芸術のため」という妄言は、あらゆる行為の強制を正当化する。裸になること、性行為、過重労働、トラウマを告白すること、直接的な暴力まで。
ターゲットがそれらを受け入れないとわかれば、次のセリフは決まっている。「覚悟がたりない」「本気じゃない」「そもそもこの業界に向いていなかった。お疲れ様」。
教祖に見放されたら終わりだと感じているターゲットに、選べる選択肢は無いに等しい。
月島には加害者という自覚はない。月島は、主人公が自分のもとを去ったのは、「世俗的な道徳観から脱却できず、心を拗らせたから」、つまり、小説を書く覚悟が足りなかったからだと認識している。月島は「芸術のためには全てをさらけ出さなければならない、性行為もそのひとつ」という繰り返し語ってきた物語に自分自身も飲み込まれ、欺瞞に気づくこともできない。
加害者を擁護する人、加害者の家族、告発者を叩く人……それぞれの現実
主人公は、月島との距離感に疑問を感じ、同じ小説講座に通う生徒に相談を持ちかける。しかし、相談を持ちかけられた生徒は、「目をかけられているという自慢?」と捉え、セクハラの相談だとは気がつかない。あまつさえ、主人公による告発があった後、告発を不当だと考え、月島が講師を辞めないで済むように署名集めを始める。
本書の白眉は、主人公視点だけではなく、加害者である月島や、月島を盲信し擁護する小説講座の女性生徒、かつて小説を書いていた月島の妻、月島の欺瞞を鋭く見抜く娘、さらには主人公の告発をSNSで徹底的に叩く男性の視点など、多様な視点から物語が描かれているという点だ。
なぜこれほどまでに、プチ教祖による「才能見染められ系暴力」が、あらゆる創作現場で横行しているのか、この暴力を温存しているのは誰で、暴力の構造を打ち破る手がかりはどこにあるのかが、多様な視点の語りを通じて、じわじわと明らかになっていく構成はスリリングだ。
業界の性暴力・性加害の撲滅を訴える声明を発表
2022年4月、女性小説家20名によって、映画業界の性暴力と性加害の撲滅を訴える声明が発表された。(※1)
本書の著者も署名に名を連ねるこの声明文には、被害の告発を行った女性たちに連帯の意思を示すと同時に、「映画界が抱える問題は出版界とも地続き」「理解と協力を、出版業界にも求めます」との文言が記載されている。
本書が描くのは、ありふれているのに黙殺されてきた、芸術を隠れ蓑にした性暴力だ。作者がこのテーマを選んだこともまた、見えづらく、訴えづらい被害者たちとの、ひとつの連帯の形なのかもしれない。
※1 原作者として、映画業界の性暴力・性加害の撲滅を求めます。
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