怒涛の育児&コロナ渦……「しなやか」なんて言わせない。『とりあえずお湯わかせ』【レビュー】

 怒涛の育児&コロナ渦……「しなやか」なんて言わせない。『とりあえずお湯わかせ』【レビュー】
『とりあえずお湯わかせ』

エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。今回は、柚木麻子さんの著書『とりあえずお湯わかせ』を取り上げる。

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小説家・柚木麻子の新刊『とりあえずお湯わかせ』(NHK出版)は、2018年から2022年までに書いた日記風エッセイをまとめたものだ。2018年、出産後に連載が始まり、始めての育児やコロナ渦を経て、変わっていく著者の日常がリアルに記されている。

このエッセイ集は、私が自分なりに頑張ろうとしてはくじけて怠けて落ち込んで、でもたいてい何か食べて新鮮な感動を得て、また頑張ろうとするその繰り返しの歴史なのだが、明らかに私の意識が少しづついい方向に変わっていくのをわかってもらえると思う(P.8)

と著者は書く。

コロナ渦で仕事が滞り、ワンオペ育児を与儀なくされる状態が長期化するなかで、著者は、様々な方法で、日常生活を楽しもうと工夫する。しかし著者のいう「いい方向」とは、「日常生活をちょっとした工夫で楽しくして、乗り切る」方向ではない。

おうち居酒屋、ひとりYouTuber……日常生活を楽しむ工夫満載!でも、もう限界……

著者は肺が丈夫ではないため、コロナ以降の生活は厳戒態勢が必須だった。同居する夫とも大事をとって生活を分け、食事を作っては中間地点に置いて別々に食べる。外で働いている夫と距離を置くため、必然的に生まれたばかりの子どもをワンオペで育てながら家事をこなすことになる。子どもが就寝してから仕事を開始するため、思うように進まない。計画していた海外への取材は中止となった。

否が応でも閉塞感に囚われそうになる日々の中で、著者は、何が何でも楽しみたい、という気持ちで日々に彩りを添える。とりあえずお湯を沸かし、ココアを作る。居酒屋に行けない鬱憤を、暖簾やお品書きを自作し、おうち居酒屋ごっこをして雰囲気を味わう。クリスマスなどのイベントは全力で楽しむ。親友の誕生日プレゼントは郵送し、プレゼントの説明をYouTuber風に動画にとって編集し、送付する。

つらいはずの自粛生活が、著者の手にかかれば、とっても愉快なものに見えてくるから不思議だ。ベビーカーを見知らぬ男性に蹴られる(ひどすぎる)など、理不尽な目にあいながらも、日常生活を楽しむアイデアを次々と繰り出す姿は、ポジティブで、明るい。プラスのバイブスは紙面を通じても伝わり、読者に影響を与える。(実際私も、新しい料理にワクワクしながら挑戦している著者に感化され、久々にチョコケーキを作ってしまったほどだ。)

親友の誕生日を祝うために動画を何テイクもかけて撮影する下りは、『裸一貫! つづ井さん』(つづ井著・文藝春秋)に通ずるものを感じた。『裸一貫! つづ井さん』では、創造力と想像力を武器に、なんでもない日常を輝かせまくるオタク友だちとの「毎日、生きてるのが楽しい~」日々がつづられている。

友だちと一緒に、または友だちを喜ばすために、全力でふざける女子たちは、とても楽しそうで、幸せそうだ。そもそも、著者が小説家になったのだって、親友を驚かすためにクリスマスプレゼントとして小説を書いたのがきっかけだったという。

正直なところ、もともとは彼女を面白がらせるために、この仕事に就いたと言っても過言ではないのである(P.65)

と著者は言う。楽しむことを忘れたくない、という姿勢が、著者を小説家という仕事に導いたのだ。

しかし、著者の「努力で日常生活のなかに楽しさを見つけ、この非常事態を乗り越えよう」という意識は、後半にかけて徐々に変わっていく。自粛生活が数年にわたり、限界が近づいてくる。

社会への疑問や怒りに蓋をしない。女性に「譲る、萎縮する」ことを求める世の中にNO

著者は、楽しむことを忘れたくないという気持ちが強い人だ。その精神で、自粛し、友だちにも会えない日常、ワンオペ育児を乗り切ってきた。しかし、同時に、社会への疑問や怒りもなかったことにしたくない、という気持ちが、後半にかけて徐々に強くなっていく。個人の工夫で乗り切る生活に限界を感じ、社会に対する批判精神が強まる。

見知らぬ男性にベビーカーを蹴られたり、子どもを連れているだけで舌打ちしたりする世の中は、当然、個人の工夫で楽しく乗り切ることができるものではない。社会が変わるべき問題だ。

コロナ渦においても、個人で工夫できる面と、そうでない面がある。個人で工夫しよう、と推奨することは、ともすれば自己責任論に陥りかねない。著者は、自己責任論に加担することをよしとせず、楽しむ工夫をしながらも、社会や国策が間違っていると思う点は批判し、怒りを表明していく。経済優先のコロナ対策を批判し、子連れだというだけで萎縮せざるを得ない社会を批判する。

切れ味鋭い批判や怒りの言葉たちは、女性を形容するさいに使われがちな「しなやか」さは皆無だ。「しなやか」は、自分の欲望よりも相手に譲ること、自分自身を優先しないことと同義だ。茶者は、日常を楽しむための工夫をしながらも、社会に対する批判精神を忘れない。そうすることで、次世代の女性が、より生きやすく、可能性を制限されず、少なくとも子育てで萎縮せずに済む世界を作ることを希求しているのだ。

本書は、「しなやか」さが、女性のみに求められるという、女性蔑視のカルチャーに疑問を感じている方にお勧めしたい。本書を読めば、無自覚な女性蔑視に、湧いたばかりの熱々のお湯をぶっかけて煮沸消毒するような爽快さを味わえるはずだ。

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AUTHOR

原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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