〈北杜市移住〉59歳、キャリアも友達も手放して飛び込んだ興味ゼロの田舎暮し。転機は「パート」だった? #暮らしの選択肢

〈北杜市移住〉59歳、キャリアも友達も手放して飛び込んだ興味ゼロの田舎暮し。転機は「パート」だった? #暮らしの選択肢
写真提供: モコ

近年、テレワークの普及やライフスタイルの多様化により、都市と地方の二拠点で生活する人々が増加傾向にあるということをご存知でしょうか。国土交通省の調査によれば、二地域居住等を実践する人は約6.7%に達し、約701万人と推計されているんだとか。また、複数拠点生活を行っている人は全体の5.1%に上るとの報告も。自らの価値観に基づき「暮らしを選ぶ」二拠点生活者たちから、その魅力や課題、リアルな日常を深掘り。理想と現実の狭間で見えてくる「暮らしの選択肢」の今を伝えます。

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今回の「#暮らしの選択肢」は、番外編。山梨県の北西部、国中地方に位置する北杜市に移住したモコさんにお話を伺いしました。モコさんは、横浜で料理研究家として働き、レシピ本も出版した頃、夫の長年の夢を叶えるべく地方移住の決断。移住当初は、沢山の物や、積み上げてきたキャリアを失ったようにも感じたようですが、現在はそれ以上の価値があったと感じられているそう。一体、どんな気づきがあったのでしょうか。モコさんの#暮らしの選択肢に迫ります。

〈移住者プロフィール〉モコ (番場 智子)さん

料理研究家。2022年11月、横浜から山梨県北杜市に夫婦で移住。趣味は、料理と編み物。著書 『日本人が絶対好きになるタイご飯』『天使が住みたい冷蔵庫悪魔が住んじゃう冷蔵庫』。YouTube: @inaka60 Instagram: @mocokurashi

田舎暮らしには、興味ゼロ!キャリアも友達も手放してまで地方移住を決意した理由

山梨県北西部に位置し、八ヶ岳、南アルプス、奥秩父の雄大な山々に囲まれた、自然豊かな高原都市である北杜市。清らかな水と澄んだ空気が特徴な他、なんと日照時間が日本トップクラスで晴天の日が多いのだとか。別荘地や観光地としても人気があり、近年は移住先としても人気なエリアだ。

そんな北杜市の北部に軒を構える築16年の中古物件に住むのが、モコさんこと番場智子さんと旦那さん。モコさんがひと目で気に入った大きなお庭には、彼女が大好きな白と紫の花が咲き誇っている。また、女性設計士が設計した家の中心には大きなキッチンがドーンと構え、料理好きのモコさんのお気に入りの場所だ。不安や葛藤の多い移住生活も、この家なら大丈夫かも。モコさんの背中をそっと優しく押してくれた。

モコさんの移住理由は、至ってシンプル。「夫の夢を叶えるため」だった。なんて、献身的な妻。迷いはなかったのかと聞くと、「迷いだらけでした」との返答が。

 

「長く暮らしてきた横浜には愛着もあり、たくさんの友人もいました。また料理研究家としてのキャリアを手放すことにも葛藤がありました。そんなにたくさんの大切なものを手放してまで、田舎に行きたいとは思っていませんでした」

モコさんは、横浜で料理研究家として活躍し、料理教室を定期的開催していた他、レシピ本を出版するほどの実力の持ち主。そんな彼女が、全てを手放し、縁もゆかりもない場所に移住し、新しい生活をはじめるということは、決して簡単な決断ではなかったことが容易に想像できる。では、どうして、そこまで夫の夢を支えようと思ったのか。

「振り返ってみると、私はこれまでの結婚生活の中で夫にたくさんの夢を叶えてもらっていたんです。横浜に住む前には、夫の仕事に帯同してタイに住んでいましたが、私が食の道に進んだのは、タイで子供に安心して食べさせることのできるお菓子を手作りするというところからはじまったんです。その後、転勤で横浜に移り住みましたが、そこでたくさんの素敵な出会いもあり、料理教室をはじめたり、レシピ本の出版までできました。だから、彼の夢を叶えられないのはどうなのかと思ったんです。これまでサラリーマンとして一生懸命働いて、子供たちを大学卒業までさせてくれたのは、夫のおかげです。それで、思い切って彼の夢に付き合うことを選択しました」

別居婚という選択肢がなかったわけではない。ただ、移住について周囲に話した際に、「かわいそう」「料理教室の生徒さんもこんなにいて、ここまで頑張ってきたのに、どうして旦那さんに付き合ってあげるの?」と言われた時、私は自分の意思で、移住を選択したいんだ、と実感。そして、夫婦で2022年11月に北杜市へ移住するに至った。

北杜市に来て、本来の自分に戻れた気がする

北杜市へ移住して最も意外だったのは「友達ができたこと」とモコさん。

そもそもモコさんは、移住後のプランとして自宅で料理教室を開くことを検討していた。だが、実際に暮らしてみて、その需要はあまりないことに気づく。料理教室を軸に人間関係が作れるかもと期待していたぶん、それができないとなった場合にどのように友達を作っていよいかわからず途方に暮れた。ご近所には移住者も多く、同じような価値観を持った人が集まっているとはいえ、その世代が幅広く、モコさんにとってはそれがネックに感じられたそう。横浜に住んでいた頃とのギャップに悩み、しばらく自宅に引き篭もった。そんな頃に始めたのが、YouTubeだった。

「友達がいなくて寂しいから、動画を作って、それを誰かが見てくれて、しかもコメントなんてくれた時には本当に嬉しかったです。仕事もない、友達もいない、だからYouTubeのためにお菓子を作って、YouTubeのために動画編集をして、誰かが見てくれたら何か手応えを感じて続けていきました。だから、YouTubeには最初とても救われました」

それからしばらくしたある日、舞い込んできたのが近所にある食堂のパートの話だった。新しい場所へ飛び込んでいくことは、いくつになっても勇気がいること。モコさんにとっても例外ではなく、ましてや横浜とは全く環境の異なる田舎の食堂で働くということは、かなり敷居の高いことだった。一方で、このままじゃいけないと思う気持ちも心のどこかにあり、地元と触れていくっていうことはとても大切なことだから、と自分に言い聞かせて、飛び込むことに。そこで、親友と呼べる友達ができたのだと言う。

「パートで、とても世界が広がりました。引っ越してきたばかりの頃、あれほどこだわって悩んでいた世代の壁なんてものはない、ということを学びましたね。今は、80代、60代(私)、そして30代の方、3人で仲良くしています」

 

世代を超えた友情を育むことと同時に、モコさんが嬉しかったことは、「〇〇の私」ではなく、ありのままの私と友達になってくれたことだと言う。横浜時代は、環境的に「〇〇くんのお母さん」「料理教室の先生」といった、属性に紐付けられた「私」として見られることが多かった。だが、北杜市で暮らすモコさんは、料理教室もしていなければ、子供も巣立ってしまっている。だから、飾りのない素の私を見てくれて、好きになってくれるのが嬉しかった。

これまでやりたいことは全てやってきた一方、いつも人の評価を求めて生きてきた。言い換えるなら、自分が満足するよりも、人にどう満足してもらえるのかを第一に考えてきた。世間の評価に喜一憂し、左右されていた。そんな縛りから開放されたのは、何のジャッジもなく素の自分を受け入れてくれた友人、そして豊かな自然のおかげなのではないかとモコさんは考えている。

「抽象的になってしまいますが、空をただぼーっと見つめていると、 何を求めてたんだろう、何のために何者かになろうと必死だったんだろうと思ったりします」

本来の自分になれたことで、自分の心の声にも敏感になれた。モコさんがしたいこと、大切にしたいことは「暮らしを楽しむこと」。誰かの評価を気にしたり、誰かを満足させるのではなく、”私が”暮らしを楽しむ、ということ。

モコさんは、頬を緩ませて話す。

「結局、夫にまた夢を叶えてもらったと思っています」

 

>> 後編へつづく

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