40代、女友達との距離感。「わかってほしい」を手放した先にある、新しい友情【#40代のリアル】

40代、女友達との距離感。「わかってほしい」を手放した先にある、新しい友情【#40代のリアル】
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井上敦子
井上敦子
2026-03-23

久しぶりに集まった女子会のテーブル。回ってくるスマホに映る友人の子供の笑顔に、「可愛いね」と自然に言葉を返している自分がいます。 けれど、ほんの数年前までの私は、この一言を差し出すのに、どこか「頑張り」が必要だった気がするのです。おめでたいニュースに心がザラリとする。そんな自分を「心が狭い」と責めていた、あのヒリヒリした季節をふと思い出しました。

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 変化していく「共通言語」

かつては同じ熱量で未来や恋の話を語り合っていた仲間たち。けれど40代を迎え、集まりの席で交わされる話題は、受験や習い事、反抗期といった「子育て」のことが多くなりました。子供のいない私は、ふと、違う言語の国を旅しているような不思議な心細さを感じることがあったのです。

友人から向けられる「自由でいいよね」という言葉。悪意がないのはわかっている。けれど当時の私は、それを真っ直ぐに受け取ることができませんでした。 みんなが大切に育てている宝物を、自分は持っていない。自分の手のひらにあるものが、彼女たちに比べてどこか心許なく感じて、胸の奥がチリリと痛む。そんな小さな心の揺れを「優しい嘘」で包んでやり過ごすことが、当時の私なりの、友人との繋がりを守るための精一杯の配慮だったのだと思います。

今振り返れば、それもまた私が選んできた、自由で豊かな人生の道。けれど当時は、手元にある自由を慈しむことよりも、「持っていないもの」への切なさが、どうしても勝っていたのでした。

「割り切り」という境界線

変化が訪れたのは、40代も半ばに差し掛かった頃。 「子供を産みたい」という願いが、年齢とともに形を変え、自分の中でふと「割り切り」という境界線が引かれた瞬間がありました。 それは決して悲しいことではなく、むしろずっと握りしめていた重い荷物を、そっと下ろしたような清々しさ。不思議なことに、その境界線を受け入れた瞬間、私を揺さぶっていた切なさは静かに形を潜めていきました。

心が軽くなると、世界の見え方も変わります。以前はどこか構えて聞いていた友人の子供の話も、今では「そんなことがあったんだね」と、一人の大切な友人の日常として、フラットに楽しめるようになりました。 自分をジャッジしていた物差しを手放したら、そこにはただ、それぞれの場所で懸命に生きている私たちがいるだけ。自分の人生を「これでいいんだ」と丸ごと抱きしめられるようになったことで、友人との間を隔てていた壁も、いつの間にか消えていたのです。

「同志」として歩む、新しい友情

今の私は、友情の定義を完璧に書き換えています。大切にしているのは、物理的に会う回数よりも、お互いの生き方を認め合える「リスペクト」と「エール」です。 たとえライフステージが違っても、同じ時代を懸命に生きる「同志」として、遠くからでもその存在を心強く感じられる。何から何まで語り合わなくても、ふとした言葉から相手の想いを察することができる。そんな静かな信頼関係こそが、今の私にとっての心地よいカタチなのです。

友人との目に見える「つながり」に執着しなくなったことで、心の奥底にある絆はより確かなものになりました。かつての私が感じていた「ヒリヒリした痛み」さえも、今の穏やかな関係を築くための大切なプロセスだったのだと、今は胸を張って言えるのです。

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