未完成のまま生きていく。成熟の途中にいる私たち #40代のリアル
40代も終わりに近づいた今、自分の中にまだ「子供」がいることに気づく瞬間があります。思い通りにならなかった幼少期の気持ち、言えなかった言葉、誰にも届かなかった小さなSOS。ずっと見ないふりをしてきたのに、ふとした拍子に心の奥でその声が鳴るのです。身体はすっかり大人になっても、心はまだ成長の途中。最近の私は、その未消化の想いに少しずつ光を当てています。
「大人」という顔をしながら
社会の中で、私たちは“大人”として日々を過ごしています。責任を持ち、周りに気を配り、弱音を飲み込みながら頑張る。でもその裏で、ふとした言葉に傷ついたり、誰かにわかってほしいと願ったり、泣きたくなるようなこともあるのではないでしょうか。
そんな自分を「子供っぽい」と責めてしまうこともあるけれど、むしろそれは自然なこと。心は、年齢と同じスピードでは成熟しないもの。“大人であること”に疲れたときは、自分の中の子供に「今までよく頑張ってきたね」と声をかけてあげていいのだと思います。
内なる子供をヨシヨシしてあげる
ヨガや瞑想をしていると、思いがけず昔の感情が浮かび上がってくることがあります。子供のころに感じた寂しさや不安、親にわかってもらえなかった想い。それらは消えたわけではなく、ずっと心の奥で静かに息づいているのですよね。そして奥深くに眠っていた想いは、絶妙なタイミングで湧き上がってくる。そのタイミングが、想いを消化する準備が自分にできたサインなのだと思います。
ヨガの時間に(特に瞑想中に)自分の内側の子供に出会うたびに、私は内なる子供と少しずつ仲直りしているような気がします。彼女を否定せず、抱きしめて、ヨシヨシしてあげる。その優しい時間こ持つことこそ、心の成長を助ける大切な儀式なのかもしれません。
精神的成長は、自分で選ぶもの
身体は自然に歳をとるけれど、心の成長は“意識しなければ起こらない”と感じます。親のせい、環境のせい、時代のせいにすることは簡単。でもそのままでは、心の痛みはずっと癒えないのではないでしょうか。
「これは今の私の課題なんだ」と受け止める勇気を持つこと。それは痛みを伴う作業だけれど、自分で自分の責任を引き受けることでしか、心は自由になれないのかも知れません。そして、そのプロセスは誰にも代わってもらえない。だからこそ、精神的成長の道はときに孤独です。でも、その孤独の中でしか出会えない“静かな強さ”が、確かにあるのです。
40代は、もしかしたら“精神的な思春期”のような時期なのかもしれません。大人になった今だからこそ、ようやく過去と向き合える勇気が生まれる。成熟とは、完成ではなく、何度でも学び直し、ほどけ直していくこと。
未完成のままでいい。揺れながらも、自分の中の子供と手を取り合いながら進むことで、少しずつ本当の意味での“成熟”に近づいていくのだと思います。大人の顔をした私たちは、みんなまだ、成熟の途中にいるのだから。
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