なぜ休むことに罪悪感を覚えるのか|実は"怠惰"なんて存在しない?

なぜ休むことに罪悪感を覚えるのか|実は"怠惰"なんて存在しない?
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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「もっと頑張れるはずなのに、なぜできないんだろう」
「何もできずに休日が終わってしまった。私ってなんてだらしないんだろう」

そんな風に自分を責めた経験は、誰しも一度や二度はあるだろう。

締め切りが迫っているのにSNSをスクロールし続けてしまう、休日の朝なかなか布団から出られない、返信できないメッセージがたくさん溜まってしまう──これらを「怠惰」と呼んで、恥じていないだろうか?

アメリカの社会心理学者デヴォン・プライス(Devon Price)は、著書『なぜ休むことに罪悪感を覚えるのか』(原題Laziness Does Not Exist 佐々木寛子訳 ディスカバー・トゥエンティワン)において、その「恥」の感覚を丸ごと否定し、「私たちは“怠惰”を恥じる必要はない」と言い切っている。

なぜか。それは、「怠惰」はそもそも存在せず、作られた概念だからだ。

【怠惰】という概念は、誰のために作られたのか

デヴォン・プライスの議論が面白いのは、「怠惰」を個人の性格の問題として扱っていないところだ。

デヴォン・プライスはまず、この概念の歴史を掘り起こす。

「怠けてはいけない」という規範には遠大な背景があり、工業化、帝国主義、そして奴隷制といった歴史の遺産が深く刻み込まれている。勤勉であること、従順であることは良いことだ──という価値観は、資産を持ち、労働者を働かせる側にとって、きわめて都合のいいものだった。奴隷自ら「怠惰はよくない。もっと頑張らなければ」と労働倫理を内面化してくれれば、資本家たちは奴隷たちを効率よく働かせることができたのだ。

「怠惰は悪だ」という信念は、天から降ってきた普遍的な真理ではなく、もとを辿れば特定の時代と権力構造の中で作られ、広められたものなのだ。

「怠惰という嘘」が私たちに植え付けるもの

デヴォン・プライスは「生産性を重視し、怠惰を恥じる価値観。怠惰は良くないという価値観」を「怠惰という嘘」と呼ぶ。また、この嘘には、三つの原則がある、と述べている。

① 人の価値は、生産性によって決まる
② 自分の限界を疑え
③ もっとできることはあるはずだ

「怠惰という嘘」を信じた人は、自分の価値は生産性によって決まると信じ込む。無職の人よりお金をたくさん稼いでいる人の方が価値があり、年老いて介護されている人よりしっかり働いて納税している人の方が価値が高い、と思い込むのだ。

そうなると、必然的に生産性のない時間は無駄だと感じることになる。また、いくら成果を出しても、もっとできることがあるはずだと信じて必死に働き、自分のキャパシティや能力の限界を設けずにがむしゃらに走り続けることになるのだ。

「怠惰」というラベルは、個々の事情を見えなくする

「怠惰という嘘」を信じ込むと、「サボっている」自分だけでなく、「サボっている」他人も許せなくなる。

人がいわゆる「サボって」いるように見えるとき、そこには必ず文脈がある。睡眠不足かもしれない、燃え尽きているかもしれない、あるいは「これをやる意味が本当にわからない」という、じつはきわめて正直な感覚かもしれない。けれど、「怠惰」というラベルは、そういった複雑な文脈をひとことで切り捨てる。

三つの原則に従って考えれば、「サボって」いるように見える人は、裏にどんな事情があるにせよ、「怠惰」だと蔑まれることになるのだ。

自分の限界に気づいて休むことは、怠惰ではなく知性

「怠惰という嘘」を内面化している人は、生産性のないぼんやりする時間や、疲れて立ち止まることをよしとしない。そうなれば、過重労働になって燃え尽きたり、うつになったりする可能性も高くなる。

本書では、そうなる前に、「怠惰という嘘」を疑ってみることを推奨している。

「怠惰」な気分になる時は、それは自分が怠け者なのではなく、内側からの強い警告である場合も多い。「もっと休養が必要」「助けが必要」「タスクが多すぎる」という体からのSOSかもしれない。こういった危険信号にきちんと耳を傾けることが大切だ。

デヴォン・プライスは、自分の限界に気づくことは、敗北ではなく知性だと述べている。

「怠惰」と切り捨てる前に──自分にも、他人にも優しくなろう

この本を読み終えた時、怠惰という言葉に対する味方が変わるだろう。同時に、自分に対する見方も、他人に対する見方も変わるかもしれない。

自分を責めるのではなく、自分の心身の声を聞こうとする姿勢が身につくはずだ。それだけで、自分との関係はずいぶん楽になるだろう。

他人への目線も、少し優しくなるかもしれない。遅刻する人、返信が遅い人、すぐ疲れる人──そういう人を「だらしない」と片付けるのが、少しためらわれるようになるだろう。その人には、自分には見えていない文脈がある、と立ち止まって考えられるようになるはずだ。

そして、歴史的に刷り込まれた「怠惰」の物差しで人を測ることの暴力性にも、敏感になるだろう。

「頑張れない自分」を責めるのをやめることと、「頑張れない他人」を責めるのをやめることは、実はつながっている。

本書で伝えようとしているのは、「怠惰」と切り捨てる前に、自分にも他人にも優しい目線を向けてみよう、という、人々が生きやすくなるための、ちょっとした提案なのだと思う。

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