4)病院で父がパニックに。いったんは家に帰される……【父の認知症から学んだ、幸せの秘密】

4)病院で父がパニックに。いったんは家に帰される……【父の認知症から学んだ、幸せの秘密】
Saya
Saya
2026-02-26

親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。

広告

翌週も、父は入院予定でしたが、ある嵐の晩に認知症状が強く出て、「帰る、帰る」と鞄をもち、パニックになってしまいました。入院したのは口腔外科で、夜勤の看護師も、認知症のお年寄りに慣れていなかったこと。また救急科のある病院で、ひっきりなしのサイレンもよくなかったようです。若いドクターがずっと対応してくださり、母やわたし、下の妹などが次々に電話で対応しましたが、3時間か4時間も収まらず……引き取りに来てもらえないかという話まで出たところで、父が力尽き、ベッドに戻るという事件がありました。

翌日、「朝になって落ち着いてはいるものの、抜糸にさえ来てくれればいいから、できれば退院してほしい」という電話が病院からありました。でも、わたしは関東にいたものの、仕事で向かえず、上の妹が対応してくれ、やはり家に帰されることになりました。

パニックの落ち着いた父は、まったく普通。翌日だったか、わたしと会ったときも、転倒や歯が割れたことは衝撃が強いのか、記憶が抜けることはなく、よく覚えていましたし、また母が用事で外出した小一時間ほど、ふたりでいる時間が父のカウンセリングのようになり、普段は出さない、いろいろな思いを話してくれました。

1

まだつらくて聞けていないのですが、とっさにレコーダーアプリで録音したので、父の肉声が残っていることになります。入院中、妹たちも頻繁に録画をしてくれていたので、短い映像はいろいろありますが、まとまったインタビューはこのときだけ。父が急逝したのは、この2ヶ月半後。結果的に遺言のようになってしまいましたが、わたしのなかでも、このとき既に、予感するものはあったのかもしれません。

父の場合、認知症のテストの点が低くても、最後まで抽象思考がなくなることはありませんでしたから、このときの対話も、認知症患者と話しているとは思えないほど、言葉も流れるようだし、深いレベルの思考をしていました。母に対する注文もあったのですが、父の心理学的と言ってもいい分析が正しすぎて、リスペクトを覚えるほど。「子どもたちやお医者さんたち、みんながやってくれるのは本当にありがたいけれど、頼り切ってしまったら、自分で何もできなくなる。それではいけない。できるだけ自分でやらなくては」とも言っていましたね。「お父さんは自立心が強いんだね」と相槌を打ったら、嬉しそうでもあり……衛生兵に取られた祖父が2歳で亡くなったため、苦労を重ねてきた人ですが、「自分の力でやる」ことが誇りだったんだなあと、気持ちをよく理解できた気がしたものです。

文/Saya

東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。

ホームページ sayanote.com
Instagram @sayastrology

写真/野口さとこ

北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。

ホームページ satokonoguchi.com
Instagram @satoko.nog

広告

RELATED関連記事

Galleryこの記事の画像/動画一覧

1