1)精神科受診について悩んだまま年明け。突然、事態は変わる【父の認知症から学んだ、幸せの秘密】
親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。
前回は、2024年2月の父の突然の徘徊から8~10ヶ月頃の状況について、書きました。わたしが感染症でダウンした頃、父も腰を痛めてダウン。その前は一種の興奮状態で、「ひとりで旅に行くんだ」などと言っていたようで、また徘徊したらどうしようという心配もあったので、腰を痛めて動けないのはかわいそうな反面、実は、安心もしました。
年末年始は、何度か易怒性の爆発があったので、その都度、上の妹が家族のお正月を放り出して、対応してくれていました。お正月には自分の家族を置いて、ほぼ徹夜で、父に付き添ってくれたりも。「このままではいけない」と思いつつも、わたし自身、感染症後、後遺症のような症状が出て、数週間、寝たり起きたりの生活に。連載原稿もベッドで書く始末だったので、どうにも動けないでいました。ただ上の妹が「おねえちゃんも具合が悪いから、あまり電話をしないように」と母に言ってくれたので、ヘルプコールは鳴らない。平和な3週間で、精神的にはだいぶ回復しましたし、体調のほうも、京都で評判の、脈診で見てくださる漢方の先生にかかり、だんだんに元気を取り戻していきました。

そのうちに迫ってきたのが認知症外来の診察予約です。懸案だった父の精神科受診について、ドクターに返事をしなくてはならないので、妹たちとも頻繁にメッセージのやりとりをしていました。精神科を受診させたら、入院になってしまう可能性はありますが、まだまだしっかりしている面も多いですから、父が怒って、家族に心をひらかなくなるのではないかという恐れがありました。とは言え、認知症外来のドクターは、明らかに手を離したい様子。どうしたものかというなかで、下の妹が突然のホームランを放ったのでした。
→【記事の続き】2)ドクターに伝わらない! 遠隔でのコントロールに限界を感じる はこちらから。
文/Saya
東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
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写真/野口さとこ
北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
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