4)自宅にドクターが来てくれる。安心感から、父は目に見えて落ち着いた【父の認知症から学んだ、幸せの秘密】
親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。
転院は決めたものの、両親が納得するかどうか心配もあったのですが、それは娘3人で説得。30分前に娘全員の訪問を知らされた父は、これまた目を白黒させていましたが、娘たちが揃った嬉しさで、とりあえず了承してくれました。
訪問診療のドクターは、下の妹が前職でお世話になった先輩とつながりがあるなど、安心材料もありましたし、なかなか関われないでいた下の妹も、隔週の診療のうち1回は、仕事を半休して、同席してくれることになりました。
介護保険でお願いできるのは、自宅の手すりなどのリフォームや通所サービスなど、非常に限定的。財源は税金ですから仕方ないのですが、病院の付き添い、診察の同席といったことは家族がやるしかない。わたしたちは母を含め、女性が4人いたので、綱渡りでもなんとかなりましたが、ひとりっ子の方、兄弟姉妹がいても、まったく当てにならない方などはどうすればいいのか。親の介護が必要になったとき、自分の人生を考えたら、仕事を続けたほうがいいとわかっていても、辞めてしまう方が多いのはこういうわけなのかと理解することになりました。
さて、実際に訪問が始まってみると、「家にドクターが来てくれる」意味が今ひとつピンと来ていなかった父も、医師やクリニックの代表にゆっくりと話を聞いてもらえて、目に見えて落ち着きました。下の妹ができるだけ立ち合ってくれたのも、よかったようです。

年末までの父は自宅から追い出される(施設に入れられる)のではないかという潜在的な恐怖があったのだと思います。自分を除いて、家族や介護保険のスタッフだけで話をされることを極端に嫌がっていました。でも、訪問診療のスタッフにできるだけ長く、家にいられるようにするためだという説明を受けて、本当に安心したようで、「みなさんの顔と名前が覚えられない」とは言いつつも、抵抗することはありませんでした。
訪問診療が入ったのが2025年の1月の終わり。2月から隔週で動いてくださることになりましたが、父が落ち着いたこともあって、家族も3週間ほどはホッとできることになりました。前年の父の突然の徘徊から、1年が経とうとしていました。
→【記事の続き】5)社会がよくなっていくことに喜びを覚える父にほっこり はこちらから。
文/Saya
東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram @sayastrology
写真/野口さとこ
北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
ホームページ satokonoguchi.com
Instagram @satoko.nog
- SHARE:
- X(旧twitter)
- LINE
- noteで書く





