「女性は採用しません」と言われた産婦人科医が語る、キャリアを守り抜く覚悟とは【経験談】

「女性は採用しません」と言われた産婦人科医が語る、キャリアを守り抜く覚悟とは【経験談】
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女性が社会で直面する「生きづらさ」の正体とは何か。『わたしたちを阻むもの 女性が抱える生きづらさの根源』(青月社)の著者であり、産婦人科医として長年女性の健康に向き合ってきた対馬ルリ子さんにお話を伺いました。「女性は採用していません」と門前払いされた就職活動、子どもをバスケットに入れて当直に臨んだ日々、「辞めた方がラクなのでは」という葛藤——。それでも医師を続けてきた対馬さんが語る、女性がキャリアと人生を守り抜くための覚悟に迫ります。

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「女性を助けたい」から産婦人科医へ


——まず、医師という職業を目指そうと思った経緯についてお伺いできればと思います。

父と叔母が医師だったので、医師という仕事は私にとって身近な職業だったんです。私は女きょうだいだったので、私も妹たちも大学進学するつもりで育ってきました。

「女の子は医師にならなくてもいいじゃん」という雑音はよく聞こえてきましたが、それでも医学部を目指しました。私にとって「女性を助けること」が人生の大きなテーマだったので、医師になってできることはたくさんあると思ったんです。文章を書くことも好きだったので、「書ける医師」になって、執筆活動を通じて伝えることもできると思いました。

——「女性を助けたい」といつぐらいから考えるようになったのでしょうか?

中高生くらいです。「女なんだから無理しなくていいよ」とか「女にしては成績が良い」とか、いちいち「女」をつけられるのが嫌だったんです。

「女」と言われずに、自分が自分でいられることを目指すには、世の中を変えていかなくては、と思いました。

——医師になるまでの間に、どんな壁を感じましたか?

私自身は、医学部で勉強したり活動したりする中で「女だからダメだ」とは言われなかったです。

壁を感じたのは、就職のときです。産婦人科は「女性は採用していません」と断られましたし、公衆衛生に関する仕事をしたいと思っても、女性の健康のことをあまり扱っていなかったり、保健所での仕事も考えたのですが、お母さんと赤ちゃんのことばかりで、一人の女性が普通に生きていくことをテーマにする職場がなかったんです。

結局、実地の実力がつくだろうと思い、産婦人科でお産や手術をする現場でバリバリ働く人になることを目指したのですが、「女性は無理」と何度も言われましたし、当時は女性の産婦人科医はほとんどいなくて、採用以前に研修も受けさせてくれないという状況でした。

——「女だから無理」という決めつけのようなものがあったのですね。

「女性は子どもを産んだり育てたりして現場に張りつけない、体力的にも無理」という考え方がありました。

確かに、かなりの体力と気力、そしてプライベートの時間を全部潰さなければ、緊急対応もあるような医師にはなれないという共通認識のようなものはずっとありましたし、今もそう思っている学生や職場も少なくないと感じます。

新聞の広告枠でお手伝いさんの募集を

——そのような環境で、対馬さんは働きながら出産・育児をされていたとのことですが、前例がなかった中で、どんなことを取り入れていったのでしょうか。

1人目は一般病院にいるときに産休を取ってお産したので、看護師さんたちと同じような産休の取り方をして、産休明けからまた働いていました。ただ、当直は数人で回さなくちゃいけなくて、当直の日は夫が子どもを見るか、あるいは赤ちゃんだった子どもをバスケットに入れて連れて当直していました。

その後、大学病院に戻ったのですが、朝早くから夜遅くまで仕事をして、当直もありますし、研究もあるので帰れないんです。

夫も医師で、とても保育園だけでは回らないので、住み込みのお手伝いさんを募集しました。3センチくらいの新聞の折り込み広告の枠を買って、娘の名前で「パパもママも夜もお仕事で、家に私の面倒を見てくれる人がいないので、誰か住み込みで私の面倒を見てくれませんか」と広告を出しました。

そうしたらたくさんの反響があって、30人以上面接しましたし、「働く気はないけれど、近くだから協力しますよ」とお電話をくださった人もいました。

——なかなか思いつかないプランですね。すごいです。

でも住み込みの人とも合わないこともあって。夫に家事のことで怒ったらお手伝いさんが「ご主人様にそんな言い方をしてはいけない」と夫の味方をするんです。私が雇って給料を払っているのに、「家事を手伝う夫は偉い、家事を押し付ける妻はひどい」みたいな見方をされて腹が立ったので別の人に依頼したこともありました。

最終的には、自分の子どものように面倒を見てくれる人を探し出しました。本でも名前を出している竹村さんには、子どもたちをいつも泊めてもらったり、バーベキューやスキーにも連れて行ってもらったりと、竹村さんの家の末っ子のように、うちの子ども2人を見てもらいました。

女性には自分のキャリアと経済力を守ってほしい

——制度や社会的な状況が今とは異なる中で、特に大変だったことはありますか?

とにかく子育ては手がかかるので、たくさん人に頼らないといけないんです。それを全部自分で負担しなきゃと思うと、とてもつらいことになってしまいます。知恵を絞りながら、自分の収入にバイト代を足して、貯金も切り崩し、時には人から借りながらも、日々をなんとかつないでいきました。

当時、大学病院で働いても収入は高いとは言えず月に20万円以下で、日曜日に当直のバイトに行ったり、週に1回ある研究日は研究を夜にして、日中は外来のバイトに行ったりしないと食べていけなかったんです。そうして私が稼いだ月35万円ほどの給料は、子どもを預かってもらうためのお金にほとんど消えていきました。

——医師を続けるためには預かってもらわないといけないですし、そのお金を捻出するためにさらに働く量も増やさないといけない……大変ですね。

「何のために働いてるんだろう。辞めた方がずっとラクになるんじゃないか」と思うことはありました。

でも、夫が辞めない限り、私が辞めることも絶対に考えないことにしようと思いました。2人で子どもを育て、2人で家のことも維持していくので、夫が「自分が辞める」という選択肢を考えないなら、私も考えないって。

夫も医師なので、「そんなに大変なら辞めたら?」というプレッシャーをかけられたこともありましたし、実際に義母から「ママがいつもいなくてかわいそう」と言われたこともあります。

でも女性が子育てのために離職してしまったら、今の収入だけでなく、生涯年収が億単位で変わってきてしまいます。長期的な経済力を捨てることになってしまうのです。わたしも将来のための自分育てと思って、辞めずに続けてきました。

——中長期的に見た世帯収入も違ってきますよね。

それに、夫に頼ろうと思っていると、夫が亡くなったり離婚したりというときに、困窮してしまいます。

自分のキャリアと財産は自分で守っていくんだ!と思っていた方がいいと思います。自分の経済力を守ることができれば、何があっても最低限は生きていけると思っていられますからね。

※後編に続きます。

 

『わたしたちを阻むもの 女性が抱える生きづらさの根源』(青月社)
『わたしたちを阻むもの 女性が抱える生きづらさの根源』(青月社)

【プロフィール】
対馬ルリ子

産婦人科医師、医学博士。
弘前大学医学部卒業後、東京大学医学部産婦人科学教室助手、都立墨東病院周産期センター産婦人科医長などを経て、2002年にウィミンズ・ウェルネス銀座クリニック(現:対馬ルリ子女性ライフクリニック銀座)を開業。
以来、女性のための総合医療を実践している。
2020年には医療と福祉、政治と経済が協力して困窮する女性を助けるしくみ、一般財団法人 日本女性財団を結成。
現在も、女性の生き抜く力を支援する制度創生のために、医師、政治家、経営者たちと連携して政策提言をしている。

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『わたしたちを阻むもの 女性が抱える生きづらさの根源』(青月社)