8)多くの人の手助けで帰り着けたことに、感謝の思い【父の認知症から学んだ、幸せの秘密】

8)多くの人の手助けで帰り着けたことに、感謝の思い【父の認知症から学んだ、幸せの秘密】
Saya
Saya
2026-01-03

親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。

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介護タクシーの手配が決まった頃には父も脱水症状から回復していましたから、タクシーを待つ間、病院内のレストランで、食事を一緒にしました。介助がないと食べこぼしも多くなっていましたが、わたしが手助けしたり洋服を拭いたりすると、「優しいなあ」などと感動してくれる、可愛い父が記憶に残っています。

介護タクシーの車椅子やドライバーの手助けのもと、改札からはジェイアールの職員も立ち合ってくれ、なんとか中央線の普通グリーン車に乗り込むと、車内では父もうとうとするほど。最寄り駅に着くと、今度は、ケアマネさんが車内まで乗り込んで、父を抱え込むようにして車椅子に移してくれ、介護タクシーのドライバーともども自宅に帰り着きました。旅気分が味わえると、あんなに喜んでいた中央線の普通グリーン車にも、父はもう乗れないんだなと、つくづく寂しくもなりましたが、多くの人の手助けで、帰宅できたことに感謝の思いでした。

野口さとこ

脱水症状にさせないためにはお水を飲ませないといけないものの、父には食道癌の後遺症から来る嚥下の問題もあり、勧めても摂らないのですね。それでも、以前の父はとてもしっかりした人で、自己管理はパーフェクト。なんとか喉に詰まらせないようにしていたので、わたしたち家族が父の困りごとを本当には理解していなかったのだと思います。これは、今でも申し訳なく思っています。生まれ育った時代のカルチャーから、男尊女卑な点はありましたが、その分、リーダーとしてしっかりしよう、男らしくあろうとして、いつでもわたしたちを労わってくれる優しい人でしたから、それに甘えていた自分を猛省しています。

→【記事の続き】9) 死に神と戦いつつも、正常性バイアスにハマっていた頃……こちらから。

文/Saya

東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram     @sayastrology

写真/野口さとこ

北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
ホームページ satokonoguchi.com
Instagram  @satoko.nog

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