少しずつ前に進むために。渡邊渚さんが揺れながらも発信を続ける理由|インタビュー中編

少しずつ前に進むために。渡邊渚さんが揺れながらも発信を続ける理由|インタビュー中編

メディアの現場で培った発信力を生かし、現在はフリーとして多方面で活動している渡邊渚さん。心身の不調と向き合うなかで、自身が抱えていたPTSDという病気を公表するという選択に至った背景には、“同じように悩む人の力になれたら”という思いがありました。「渡邊さんと考えるメンタルヘルスと自分らしさ」をテーマにしたインタビュー第2回では、発信することへの迷いや覚悟、そして伝えることの意義について語ってくれました。

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発信することで誰かの支えになれたら

――病名を告げられたことで不安や落ち込む方もいると聞きますが、休養されていた時期、渡邊さんは「PTSDと診断がついたときにホッとした」と言われていましたよね。

渡邊さん:私の場合、自分に起きている症状が何なのかわからない方が怖かったですね。自分が自分でなくなる感覚だったんです。フラッシュバックもあったし、一番怖かったのは無意識で全然違うことをしている感覚。例えば、寝ていたはずなのに気づいたら外にいたり、家の場所を忘れてしまったり。病名がはっきりとわかったことで、自分でも病気を受け入れることができました。PTSDとは何かを勉強して、どういう症状があるかを理解することから始めなければならなかったけど、知ることで初めて治療のスタートができたと思います。

――病気を公表することについては、どう考えていらっしゃいましたか。

渡邊さん:公表しようというのは、ずっと思っていたことでした。精神疾患って、隠したり、バレないようにしたりしなくちゃいけないと思われることが多いけど、私としてはなりたくてなったわけでもないので、恥ずかしがることではないのかなと。その想いがまず1つあったのと、自分がPTSDと診断されたとき、インターネットで調べても情報が少なくて。症状についての学術的な説明はあったけど、特に闘病記のようなものがなかったんですね。

もともと日本でPTSDを患う方が少ないのかもしれませんが、そういった情報がなかったから「元気になった人がいないのではないか」と思ってしまって。PTSDになんて、誰にもなってほしくないけど、もし私のあとに患ってしまった人がいて同じように調べたときに「こうやって元気に活動している人もいるんだ」と、心のよりどころになればいいなと思いました。

私自身、精神疾患に対して何か偏見みたいなものを持っていたら、公表するのにためらったと思うんです。でも、偏見を持つことも考えられないくらい何も知らなかったから、精神科に入院することも怖くなかった。むしろ「治療のプロたちに見守られて過ごせるなんて安心」という感覚でした。入院後も、他の病棟と何も変わらない。精神疾患に向けられる偏見は間違っているな、と身を持って感じました。

――病気を公表したあと、周囲の反応はいかがでしたか。

渡邊さん:大きく批判されるようなことはなかったですね。びっくりはされましたけど、受け止めてもらえたのかなと。一部、ネット上では「PTSDってメンヘラでしょう?」などと言われることもありましたけど、それは相手の認識が間違っているだけですから。私自身、会ったこともない人に何を言われてもな……みたいな気持ちもあって。あまり気にならなかったです。

むしろ、逆に写真集などのイベントに同じように精神疾患を抱えている人がたくさん来てくださったのがうれしかった。自分が伝えたいと思っていたことが伝わっているという感覚があって、公表してよかったなと。Instagramでも、同じ病気の方と情報交換ができるようになりました。言わなければ出会えなかった仲間がいることがわかり、それだけで強くなれたと感じています。

渡邉渚
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揺れながらも、少しずつ前に

――公表直後から、フリーとしてお仕事にも復帰されていますよね。

渡邊さん:仕事への復帰は、不安だらけでした。そもそもPTSDになってから人との距離感をうまく取れなくなってしまって。この人を信頼していいのかな、ということもわからなくなってしまったので、外に出るのも怖かったんです。電車にも乗れないし、交差点で突然人が飛び出してきたりすると、それに異常に驚いて動けなくなっちゃうとか。うつ病に近いところがあるので、朝起きてベッドから出られるのかなとか。今まで普通にできていたことがちゃんとできるのかな、という不安がありました。

復帰後も、ちょっと頑張ったら熱を出して寝込むとか。アップダウンはどうしてもあって、全然ダメダメな時期もたくさんあったけど、最近は熱も出さず、何とか折り合いをつけながらやれているのかなと感じています。

――渡邊さんのそういう姿に「自分も頑張ろう」と思う方も少なくないのかなと感じます。

渡邊さん:そうだったらいいなと思います。本当に全然よくならないなと思う時期もあったんです。今年の2月くらいかな。こういう波のある生活がずっと続いていくのかなと思ったら、全然楽しくないなって。もう無理かもと落ち込んだんですけど、この波の幅がちょっとずつ狭まってきているのも感じていたので、長い目で見ていけばいいのかなと今は思っています。

周りにも、いろいろ助けてもらっています。振り返ってみると、病気になったあとも普通に今までと変わらない態度で接してくれることと定期的に様子を見てくれることに、すごく救われました。私の親友は、体調を崩した瞬間から毎日連絡をくれて、生存確認をしてくれました。そうやって気にかけてくれる人がいるだけで、もう一度社会とつながろうという気持ちになれた。今、もし身近な方が心の不調に苦しんでいて、どう接するか悩んでいるんだったら、手を離さずに、今までの関係性と変わらないことを示し続けることが大切だと思います。

渡邊渚

――たしかに、どうやって寄り添えばいいんだろうと思ってしまうこともありますよね。

渡邊さん:普通に今までどおりでいいと思うんです。私も休養中、友人と普通にガールズトークをしたときに「私は何も変わっていないんだ」と思えたのが、すごくうれしかった。病気になって見た目も心も変わってしまうなかで、変わらないものがあるというのは希望になりますから。

個人的には、もっと気軽に精神科に行ける社会になってほしいと思っています。骨折したら整形外科に行き、風邪をひいたら内科に行くように、心がおかしいと感じたら精神科やカウンセリングに行くという選択肢が当たり前になってほしいです。アメリカなどでは病気になる前の予防としてカウンセリングが普及していますが、日本では我慢して重症化してから行く傾向があるのかなと。予防的な意味でのカウンセリングが日本にも広まってほしいですね。

インタビュー後編に続きます。

渡邊渚さんプロフィール

4月13日生まれ、新潟県出身。慶應義塾大学を卒業後、株式会社フジテレビジョンに2020年に入社。2024年8月末に同社を退社。現在はフリーで活動中。instagram:watanabenagisa_

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インタビュー・文/吉田光枝
撮影/長谷川梓
スタイリング/河野素子
ヘア&メイク/毛利仁美(Tierra)

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