精神疾患を経験した渡邊渚さんと考える、メンタルヘルスの重要性と自分らしさ|インタビュー前編
テレビ局のアナウンサーとして活躍後、現在はフリーランスとして執筆やイベント出演など幅広い分野で活動する渡邊渚さん。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患い、心身の変化をきっかけに仕事のペースを見直し、今は「無理をしないこと」を大切にしながら、自分に合った働き方を模索しています。「渡邊さんと考えるメンタルヘルスと自分らしさ」をテーマにしたインタビュー第1回は、華やかに見える業界の裏で揺れ動いていた当時の心情、そして“自分らしく働く”ということについて、率直に語っていただきました。
無理をしない働き方にたどり着くまで
――昨年8月末にフジテレビを退社し、同10月に自身のInstagramでPTSDを患っていたことを公表された渡邊さん。フリーに転身して約1年が経ったところですが、今お仕事をするうえで何を一番大切にしていらっしゃいますか。
渡邊さん:やっぱり“無理をしないこと”ですね。自分の許容量を絶対に超えないようにしています。テレビ局で働いていたころは、許容量を超えてからが戦い。超えないと始まらないような感覚がありましたが、今は自分の体調が最優先。できないことをやれると思いこまないようにして、無理のない生活を心がけています。
とはいえ、ついつい無理してしまいがちなんですけどね(笑)。今は、書き物の仕事もしているのでオンオフがなくなりがち。夜ふと「今、書けそう」と思い立って筆を走らせるときもありますが、それはよくないなと。なるべく生活にメリハリをつけるように頑張っています。
――会社に属してないと、オンオフの切り替えって難しくなりますよね。
渡邊さん:そうなんですよね。以前は、自分を追い込むタイプだったし、若くて体力もあったので、オンオフを切り替えなくても何とかなると思っていましたけど、今はそこをちゃんとしないと生活全体の質が下がってしまうので。毎日うまくできているかと言われたら、時々頑張りすぎてしまうことも多いですけど、そこはうまくならしていくようにしています。今日、頑張ったから明日はちょっと控えようとか。自由にスケジューリングできる分、PTSDともうまく付き合いながら仕事に向き合えるようになっている気がします。
――退院後、回復に向かうプロセスのなかでお仕事に復帰するという選択も大きなものだったのではないでしょうか。
渡邊さん:そうですね。前の会社を辞めたとき、また就職をして会社員になるという選択肢もありましたが、体力的に週に5日働くのは無理だろうと。前職と同じように働ける想像ができなかったんですよね。でも、何かしら仕事はしたいという気持ちはあったので、週に1回から徐々に始めて、今は週に3日働いて何とかなるという感じ。そう考えると、フリーという形がベストだったのかなと思います。
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経験して気づいた、心のケアの大切さ
――今年1月に発売されたフォトエッセー(『透明を満たす』/講談社)のなかでは「会社員時代は、病気と言ったら仕事が減ると思っていた」といった言葉もありました。ご自身が当事者になったことで、精神疾患やメンタルヘルスへ向き合い方にも変化はありましたか。
渡邊さん:昔は、メンタルヘルスや精神疾患というものに一生関わることがないんだろうなと思っていました。私は元々元気でポジティブな方で体力もあったから、そういう世界とは無縁だろうなと。偏見すら持てないくらい、何も知らなかったんですよね。でも、自分がなってみてから、日本でも多くの人が精神疾患を抱えていることを知りました。振り返ってみると、当時働いていた周りの人たちのなかにも、メンタルの不調を抱えていた人がいたのかもしれないなと思います。
テレビ局って、不調を訴えるよりも何よりも、突然プツンといなくなる人が少なくないんです。「あれ、あのADさんどこに行っちゃったんだろう」みたいな。今思えば、許容量を超えて限界だったんだろうなと。メディア業界は体育会系というか、無理をして乗り切ることが正しいという風潮があって、自分もそれに合わせようとしているところがありました。
――たしかに、普通の会社員とは生活リズムが違いますよね。
渡邊さん:朝早くから夜遅くまで。周りも頑張っているから自分も頑張らなくちゃという気持ちになりやすいんですよね。それを先輩に相談しても「私たちの時代の方が大変だった」と言われたりして。たしかに、そうだと思うんです。私なんて、働き方改革が進んできたぬるい時代に入ってきた世代ですから。そう言われてしまったら何も相談できないよなって、今だったら思えますけど、当時はそれが普通だと。そういう世界だと言われたら飲み込むしかないし、何年か経って自分が先輩になったときはそう言ってしまうかもしれない。悪循環ですよね。
――当時、渡邊さんは入社3、4年目でしたよね。後輩にはどのようなアドバイスをすることが多かったんですか。
渡邊さん:まだ後輩に教える立場ではなかったので、アドバイスなんて大層なことは全然。ただ女性の後輩には「遠慮なく行けるときにトイレに行った方がいい」とは言っていました。ロケ現場は男性ばかりで、行けるタイミングが限られているのにも関わらず、女性は時間がかかるからと遠慮してしまうことがあるんです。生理現象を我慢しなくてはいけないという環境はつらいものですから。

“頑張らなきゃ”から、“自分らしく”へ
――そんな頑張りすぎていたアナウンサー時代には、メニエール病を患ったともお聞きしました。
渡邊さん:当時、朝の番組を担当していた週に3日は、夜中の2時起き。でも、合間の2日間は普通の時間帯や夜に仕事をしていて、寝る時間がバラバラに。プレッシャーもあって、睡眠のコントロールができなくなっちゃったんですね。最初におかしいなと思ったのは、耳が詰まったとき。耳鳴りもあったんですけど、耳が詰まって聞こえにくくなったときに「ヤバいな」と病院に行ったらメニエール病だと診断されました。当時は、くらっとくることも多かったんですけど、病院に行ってそれがめまいだと気づいたくらいでした。
でも、当時は全然気にすることもなく仕事をしていたんですよね。後に、PTSDと診断されて休養するようになったら、メニエール病の症状がピタッと出なくなったので、体を休めることって、すごく大事なんだと実感しました。
――仕事への価値観も変わったところがありそうですね。
渡邊さん:今は自分の体を壊すまで頑張って仕事に夢中にならなくてもいいのかなと。自分の健康や気持ちを無視してまで仕事をしたいかと考えたら、私の人生、仕事が全てじゃないよなと思えてきたんですよね。
仕事を頑張っている人もすごいなあと思うけど、私にはもうその生き方はできない。友だちとか、妹に「明日、会社行きたくないな」と言われたときにも、私は「行かなくていいよ」って言っちゃうんですよ。「今まで休まず働いてきているだけですごいんだから。それに、あなたがいなくても会社は回るから」って。それは私自身が身を持って経験したこと。私がいなくても別に仕事は回るんですよ。最初は、それを受け入れるのが本当につらくて。でも、そういうものだよねって思っておけば、たしかにそうだよなって。なぜ働くのか、という理由は人それぞれですけど、仕事によって自分の生活が崩れちゃダメだなと思えるようになりました。
*インタビュー中編に続きます
渡邊渚さんプロフィール
4月13日生まれ、新潟県出身。慶應義塾大学を卒業後、株式会社フジテレビジョンに2020年に入社。2024年8月末に同社を退社。現在はフリーで活動中。instagram:watanabenagisa_
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