(6)肺炎に続いての角膜手術と入院で、認知症状はもちろん、せん妄も格段に進む
親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。
父が緊急搬送された都立病院は、行き場のない少女たちが集う「トー横」の近く。医師はガムを噛みながらサンダル履きですし、看護師たちもパチンコについて、ぺちゃくちゃしているという何とも緩い雰囲気。妹たちとの通話では「どうしよう、わたしが見ていなかったのかな。わたしのせいかな」などとつい興奮してしまったものの、「なんだかドラマに出てきそうだなあ」などと妙に冷静に観察している自分もいました(その数週間後、『新宿夜戦病院』というドラマが始まりましたが、この病院がモデルになったのかなと思うほど、あのままでした)。
父はベッドに1時間くらいも寝かされたまま、家族は控え室で待つことに。新宿から実家までも距離があるし、今日帰れるかもわからないというなか、看護師の下の妹が「その都立病院にいる有名な循環器の先生に、前職でお世話になった」と言うではありませんか。ダメもとで、看護師にそのことを伝えると、たまたま当直が循環器の別の医師だとかで、飛んできてくれたのですね。レントゲンを見た医師の診断は、「誤嚥性肺炎」でした。確かに、白くなっている箇所があります。父はそのまま入院することになり、母を連れて帰ることに。わたしたちはホテルに泊まる予定だったので、最寄り駅まで、上の妹家族が車で迎えに。消耗し切った母を上の妹に引き渡して、ようやくひと息。夫と食べた深夜のうどんの味は忘れられませんね……。
その後、回復した父に聞くと、中禅寺湖で夕食に食べたそばがずっと喉に詰まっていた感じはあったとのこと。でも、父は十数年前の食道がんの際に、食道の代わりに胃をつないだために、もともと嚥下に問題があったので、ゆっくり食べているだけでは普段と変わらないように思ってしまっていました。
この病院は、雰囲気こそ緩いものの、看護は手厚く、入院中も、下の妹の知り合いの先生が連絡を受けて、わざわざ回診してくださったり、退院後に問題がないようリハビリの時間を作ってもらえたり、1週間にも満たないのにとてもお世話になりました。父も快適に過ごせたようなのですが、退院後まもなく、別の大学病院から、申し込んでいた角膜が出てきたという連絡が。角膜手術とその後の入院期間に、認知症状はもちろん、「母が夜中に来て、踊っていた」等のせん妄、「母が見舞いに来ない」(実際には数日行かなかっただけ)ことによる易怒性など、周辺症状が格段に進んでしまったのです。
認知症が進むなかでの角膜手術と入院はリスクでしかなかったのですが、信頼しているドクターにノーを言うという発想は、昔気質の父にはありません。それまでの父と母は自立していて、何でもふたりで決めていたので、この角膜手術のように、娘たちに相談せずにやってしまい、困ったハメに陥ることがこの頃はよくありました。

父を田舎に連れていったのは果たしてよかったのか悪かったのか……。他の記憶が消えても、「娘に田舎に連れていってもらった」ことは翌春までは覚えてくれていたので、よほど嬉しかったのだとは思うのですが、無理をさせなければ、入院することもなかったし、加速度的に症状が進むこともなかったかもしれません。また、もうちょっとわたしが気配りできていれば、肺炎にもさせていなかったかもしれません。結局は、「旅に連れていく」というのは、「よくしてあげたい」という自分たちのエゴであり、父のためにはなっていなかったのではないかという思いもあります。答えは出ないところですが、認知症という進行性の病と付き合うことは、判断の連続であり、正解というものはない。自分たちなりの最善を尽くすしかないということを学んだ、最初のエピソードだったかもしれません。どうしてもコントロールしがちなおとめ座のわたしにとって、起こることすべてをあるがままに受け入れる大切さを学ぶ機会ともなっていきました。
文/Saya
東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram @sayastrology
写真/野口さとこ
北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
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