友人への憧れから承認欲求モンスターに。劣悪な職場で働いていた私が推し活にのめりこんだ理由|体験談
「周りと比べてしまう」「人から認められたい」そんな思いを持っている人は少なくないと思います。白田シロさんも、小さい頃から自分に自信がなく、人と比べて落ち込むことを繰り返していました。そのうえ、長時間労働が蔓延し、職場環境も劣悪な企業(いわゆるブラック企業)での勤務により、重度のうつ病になってしまいます。『シロさんは普通になりたい』(はちみつコミックエッセイ)ではご自身の経験と、心が満たされていく過程が描かれています。白田さんに詳しくお話を伺いました。
友達と比べて……「承認欲求モンスター」が誕生
――承認欲求のモンスターはどんな経緯で生まれたのでしょうか?
小学生のとき、同じクラスにAちゃんというずば抜けて絵が上手な同級生がいました。憧れもあって私はAちゃんにべったりでした。そんな私を見て「Aちゃんの金魚のふん」と言ってくる同級生もいたんです。意味を知ったときはショックでしたし、Aちゃんみたいに褒められたい!と承認欲求のモンスターが生まれたのもこの頃でしたが、当時からAちゃんには到底叶わないと思っていました。
運動神経も良くて、勉強もできて、人気者で、人柄も良くて…当時の私にとってはスーパースターのような子で。近くにいるだけで楽しくて、なんだか誇らしい気持ちになるような存在だったんです。
中学生の時にクラスが別れて疎遠になったのですが、Aちゃんに対して「遊びに行くからって言ってたのに、なんでうちのクラスに一度も来てくれなかったの」といったネガティブな気持ちは一切ないんです。
Aちゃんは少し大人っぽい子でしたが、私は年相応に子どもらしかったので、今振り返ると無理をして私に合わせていてくれたのではないかと思うんです。むしろ、小学生時代に足並みを揃えて付き合ってくれてありがとうという気持ちですね。
――中学では「いじられキャラ」になって、学校がつらくて不登校だったのですよね。
中学生はほぼ登校しない状態で卒業しました。地元の全日制高校に進学したのですが、結局不登校になってしまい、通信高校に転校し19歳で高校を卒業しました。その後、就職のために地元から札幌へ出てきたのですが、そこがブラック企業でした。作品に詳しく描いたのは2社目なので、2社連続でブラック企業を引いてしまったんです。なので計8年ほどブラック企業で働いていました。
――就職してからは推し活に夢中になり、同人誌の即売会にも出展していたのですよね。この頃、承認欲求モンスターはどうして暴れていたのだと思いますか?
学生時代に自分に「ダメ人間」の烙印を押してから、ずっと「誰かに褒められたい」という気持ちを持ち続けていました。自分が褒められるポイントは、小学生時代からやっていた絵や漫画しかなかったんです。なので、同人活動という形で承認欲求を満たそうとしていたんだと思います。
そんな中、ブラック企業だったので、新しく入った人もすぐに辞めてしまい、人手不足が深刻で、毎日終電コースで漫画を描く時間もなくなっていきました。
過酷な労働環境により心身に異変が
――作中では心療内科を受診されていますね。
最初は生理前に特に落ち込むので、PMS(月経前症候群)だと思って婦人科に通っていたのですが、婦人科の医師から心療内科の受診を勧められました。「PMSの範疇を超えていると思う」と言われたんです。
それでもすぐには心療内科を受診しなかったのですが、ある日、トイレにも四つん這いで行き、ご飯も受け付けないような状態で涙が止まらなくなって、「これはおかしい」と思ったんです。会社から一番近い心療内科へ行き、そこで重度のうつ病と診断されました。
医師からはすぐ休職するよう勧められたのですが、それを上司に伝えたら「完璧に引き継ぎをしてからなら休んでもいい」と言われ、結局休職するまでに1か月かかりました。
普段の仕事をしながらマニュアル作りもしていたので、毎日残業し、社内で最後に退勤する生活を続けて、どんどん症状は深刻になっていきました。当時は会社に洗脳されている状態で、会社を辞めるという発想がなかったです。
――休職してからはいかがでしたか?
通院は週に1回だったのですが、通院も大変なくらい状態が良くなかったので、看護師さんとカウンセラーさんが自宅に来てくれて。訪問看護を併せて利用していました。
3か月経って全然良くならなかったので、医師にも相談して退職することにしました。最初は「せっかく就職しているのだから、復帰してみてダメだったら辞めればいい」と言われたのですが、私は「もうあんな地獄に戻りたくない」という気持ちが強かったんです。
――安心できない環境に戻ることは、考えるだけでもつらいですよね。
作品には描いていないのですが、休職中も仕事から電話がかかってくるんです。電話にビクビクしてしまったりして、ゆっくり休めなかったというのが本音でした。病院のついでに「すみません、休んでしまって」と差し入れを持って行ったりもしていて。今振り返るとめちゃくちゃだったと思うのですが、当時はそれが社会人としてやらなければいけないことだと思っていました。
退職届はすんなり受け取ってもらえて、あっさり辞められました。それでやっと本当に解放された気持ちになって、泣きながら帰りました。
環境が変わって「推し活」にも変化が
――やっと安心して闘病生活が始められたものの、経済的な不安に直面したのですよね。
生活資金のため、推しグッズはすべてフリマに出品しました。当時は推し活を頑張りすぎていた部分もありましたが、推しに救われていたときでもあったので、複雑な気持ちです。
作品を読んだ方からは、「推し活のしすぎて体調を崩したのでは?」という感想もあったのですが、やはり会社の要因の方が大きかったです。推し活自体は、あんなに頑張りすぎなくても良かったのかなとも思う一方で、推し活をしていないと保てなかったんです。楽しみがないと会社に潰されそうな感じがして。
――過去の過酷な環境で生きる中での推し活と、今の穏やかな生活での推し活のスタイルは変わりましたか?
そうですね。あの頃は仕事から終電で帰ってきて、エナジードリンクでブーストをかけて、漫画を描き、倒れるように寝るという生活を送っていました。
重度のうつ病になって漫画も描けなくなったときに、カフェイン飲料で体に負担をかける推し活はやめようと思いました。今はエナジードリンクは飲んでいません。
――なぜそう思えるようになったのでしょうか?
穏やかに働ける職場に転職し、心や時間に余裕ができたからだと思います。今でもうつ病は寛解はしておらず、中程度くらいという、なんとか動けるレベルなのですが、余裕ができたことで、心身のバランスに向き合えるようになりました。
※後編に続きます。
【プロフィール】
白田シロ(しろた・しろ)
北海道の田舎町出身。現在は札幌在住。
モットーは「絵柄はゆるゆる・けれど芯のある漫画」をお届けすること。
SNSを中心にエッセイ漫画を精力的に制作し発信している。
刺さる人には刺さる・時には心を抉る内容をゆるく描くのが得意。
漫画を描くことと眠ることが何より好き。
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