人生を変えた?呼ばれた?ヨガの聖地・インドへの旅①最初は乗り気じゃなかったのに #60代のリアル
「60歳」と聞いて、あなたはどんな姿をイメージするでしょうか。「もう60代」と捉えるか「まだ60代」と捉えるか、人生100年時代と呼ばれて久しいこの社会で、60代は「人生後半戦の始まり」とも言える世代ではないでしょうか。60代の体、心、仕事…連載「60代のリアル」では、現在62歳のヨガインストラクター千枝さんのリアルな心境を綴ります。今回は、インストラクターになってすぐの頃、導かれるように訪れたインドの旅の記憶。
最初にインドに行ったのは9年前、ヨガインストラクターの仕事を始めたばかりの頃だった。でも、ヨガの仕事だけで食べていけるわけがない。ヨガインストラクターが増え始めたこの時期、フィー(1レッスン単位でもらえるお金)も下降傾向にあった。別の会社に転職するつもりだった私は蓄えもなく、レッスンの数も多くなかったため生活費の問題は深刻だった。なので、ヨガ仲間から「インドに行こう」と誘われた時は即答した。「残念だけど、今の私にはそんなお金ないよ」。ところが「全部で6万円だよ?」と返された。「じゃあ行く!」こうして、どんなツアーなのか、どこに行くのかもよく知らないまま即決したインド旅行だった。
行き帰りの飛行機代、国内線の費用、タクシーでの移動、1週間の滞在費も食費も込みで6万円だというインド旅行。
ビザの手続きも全部旅行代理店がやってくれて準備はとてもスムーズに進んだが、滞在先のアシュラムからの『許可』を待つ必要があるという。
許可?
ちょっと引っかかったが、それよりも「インドに行く」という話をすると不安を煽られるようなことをいろんなところで言われ、行く前から私は憂鬱になっていた。
「マクドナルドなら大丈夫だと思ったのにひどい食中毒になった」「トイレはいつもびしょびしょに濡れている」「私は旅行好きだけどインドにだけは行かない」。
そして、「インドには呼ばれないと行けない」。
呼ばれてない人が行くと酷い目に遭う…みたいなニュアンスの、まるで呪いのようなこの言葉が一番よく聞かされたフレーズだった。
そんなこんなでようやく滞在先の『許可』も降り、不安を抱えながら無事インドへ。
初日はデリーに降り立ったが、そのカオスぶりに度肝を抜かれた。
道路に所狭しと並ぶ露店には謎めいた商品がたくさん並んでいる。倒れて動かない土色の人間のすぐそばで何か食べたり談笑したりする人たちがいる。
空港からホテルまでの送迎バスの車窓から見える初めてのインドの光景に、怯えながらも「人が生きる凄み」みたいなパワーを感じて圧倒された
実は当時デリーには、日本の企業から派遣されてインドに駐在していた友人がいた。
久しぶりに会えるのでホテルで食事でもしようという話になっていたのだが、いつもなら静かに人の話を聞く側の彼女が、インド生活や仕事での苦労話で口が止まらなくなっている様子を見て、どれほどストレスを溜めているかが容易にわかった。
文化から食事から何から、慣れるまで日本人にとってはなかなかに過酷な環境なんだと思う。
ちなみに彼女はその後、滞在中に体を壊した時に看病してくれたインド人男性とアラフィフで結婚した。
彼女の夫になった方はドバイにも別宅を持っていたりするような裕福な実業家で、彼女は周囲の人たちから「マハラジャと結婚した女」と呼ばれている。
話は逸れたが、私たちはこうしてデリーで一泊し、翌日国内線でバンガロールに飛び、滞在先のアシュラムがあるマイソールまで車で3時間かけて移動した。
インドのドライバーは荒っぽいと聞いていたが全くそんなこともなく、途中でレストランにも立ち寄ってくれたが、食中毒を恐れていた私はほとんど食べられなかった。
今回インドに一緒に行くのは私を含めて4名。
このツアーは日本で開かれたインド音楽の音楽会を聴きに行ったヨガ友2人が主催の方に誘われて実現したもので、滞在の目的は、毎年インド全土で大々的に開催される『ナヴァラトリ』というインドの9人の女神を祀るお祭りに参加することと、本場インドでクリヤヨガを体験することだった。
その後も民芸品などが並ぶお土産店に寄ってくれたり、サリーを仕立てさせてくれたりしたのだが、小柄な私には合うものがなく、お金もなかった私はそれも断った。
せっかくインドまで来たのにかなり怯えながらの貧乏旅行になってしまい、このタイミングでインド行きを決めたことをやや後悔していた。
滞在先は小さな村。外国人専用の宿泊施設はまるで昔の軍隊の野戦病院のようだった
大部屋にベットが20台くらい並べられていて仕切りもない。
ヨーロッパから来ていた先客たちは、ベッドのスツールにカーテンがわりに毛布やシーツをかけて小さなプライベート空間を作っていた。
ベッドにはひびの入ったペタンコの革張りの枕とクリスピーピザみたいに薄く伸びたブランケットが置かれ、インドとはいえ9月の涼しさには心許ない装備だった。
当時まだ睡眠障害が残っていた私にとってこのベッドの環境は過酷なはずだったが、不思議なことに「こんなもんだろう」とあまり不満にも感じなかった。
そればかりか、水しか出ないシャワーに最初こそ震えていたが、3日目以降は全然平気になり、トイレ問題対策用にかなりのグッズを買い揃えて行ったが結局一度も使うことなく、また日本から山ほど持って行ったお菓子やらお茶も一口もしないまま帰国時に全部ヨーロッパの人たちにあげてしまい、最終的には靴を履かなくてもじゃり道を平気で歩けるほど足の皮も厚くなっていた(?)。
郷に入っては郷に従えちゃいすぎ。
そんな自分のアメーバのような順応性に驚きつつ、この旅で私は人生を変えるような『神秘の国・インド』の真髄にどっぷり浸かることになるのである。
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