ダンプリングの中の愛|インドの僧侶に教わった愛の形

 ダンプリングの中の愛|インドの僧侶に教わった愛の形
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愛のボールを受け取って

だが、神と仏陀を同等視するのは斬新なことだった。創造主はいないというのが仏教の基本的な教義のひとつだから、その話をもっと聞きたいと思った。このポイントについてソナムに詳しい説明を求めると、彼は丸めたモモの生地を軽く叩き「これが神」と言った。
その後でソナムは神をバターナイフで4等分にした。「クリスチャン、ヒンドゥー教徒、それからいろいろ」彼は言った。「いろいろ」の中には、世界中の数十億ある神を持つ宗教が入るのだろう。神に見立てた生地を4等分にしたあとの残りをソナムはまとめ、ソフトボールのサイズに丸めて私に投げた。
「これが愛」。彼は言った。私はそれをソナムに渡さなくてはいけなかった。すべてを包含する愛のイメージが1つあるとしたら、それはモモの生地だった。
新しく生地を伸ばして小さな丸い形に切り取る前に、「これが仏陀のマインド」と言うソナムは誇らしげに見えた。「仏教徒たち」と彼は言った。そして再び、残りの生地をボールの形にした。「慈しみ」と彼は言って、そのボールをゆっくりと投げてよこした。私は慈悲の丸いボールを受けとって、愛のボールといっしょにぎゅっとつぶした。当然のことながら、ふたつのボールは同じ形をしていた。「 ほらね!」ソナムはニコニコしていた。「まったく同じ、同じだよ」
私は微笑んだ。セオリーとしては同意できた。だが、ジャーナリストとして、グラジャート州のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の過激派がくま手でお互いを突き合う様子をリポートしながらインドで何カ月も過ごしてきたため、美しいモモの生地が信仰を表しているとわかりながら、同時に気分が滅入るのも感じた。私はソナムにたずねた。現実の基盤となるものが愛であり、宗教がその愛への入り口となるのなら、なぜ多くの信仰を持つ人が強い憎しみを抱えているのだろう?

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text by Jaimal Yogis
translation by Yuko Altwasser



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