ダンプリングの中の愛|インドの僧侶に教わった愛の形

 ダンプリングの中の愛|インドの僧侶に教わった愛の形
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異文化同士の争いが絶えない中、インドの僧侶に教わったモモには、多くの愛がつまっていた。アメリカのジャーナリスト、ジャマ・ヨギスによる手記。

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"完璧なモモ"を作る僧侶との出会い

祈り、瞑想、アーサナ、奉仕の中に神を見いだす人は多い。それには賛成だ。私はダンプリングの中に神を見る。
23歳の時、私はインドに留学していた。そこで知り合ったソナムという僧は、常に陽気な性格であることと、完璧なモモ(チベット餃子)をつくることの2つの理由で有名だった。
炭水化物を多く含むアメリカの食事が恋しかった私にとって、モモはインドでの癒しの食べ物だった。ソナムはつくり方を教えると言ってくれた。私たちは彼の僧院の屋上で会い、コンクリートのブロックの上に薄いベニヤ板を置いたテーブルで米粉の生地をこねた。私はソナムがローラーで生地を薄く伸ばし、いくつもの円形に切り抜き、それぞれにキャベツとチーズを少しずつ乗せるのを眺めた。最後に彼は生まれたての赤ん坊をくるむように、1つひとつを注意深く包んで丸い形にしていった。「今度は君の番だよ」。ソナムはなまりの強いブロークン英語で言った。ソナムと同じようにやろうとしてみたが、ネコが吐き出したような、ぐちゃぐちゃになった生地とチーズ、キャベツの山ができるだけだった。「ベリーグッド、ジャマ」ソナムは笑った。何度か失敗を繰り返した後、生地を丸めた小さなボールが出来上がり、私はそれがニョッキのような味がするようにと願った。一瞬の沈黙のあとソナムは言った。「これは神だよ。仏陀のマインドもこれとまったく同じなんだ」「本当に?」と私は言った。ソナムがこの手の話をしないわけではなかった。ソナムと彼の僧院そばのヒマラヤ山脈の小さな町、バグスナスのカトリックのチャペルを通り過ぎる時、彼はしばしばこう言った「キリスト教はいい宗教だ」。

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text by Jaimal Yogis
translation by Yuko Altwasser



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