マハリシとビートルズ~超越瞑想で彼らが見つけたもの~
1970年
ビートルズが解散
1969年8月、アルバム『Abbey Road』の収録で演奏したのを最後に、ビートルズは静かにそれぞれの道を歩き始めた。ただ、マッカートニーが初のソロアルバム『McCartney』の発表会見で公表するまで解散については伏せられていた。ハリスンは1970年代の初めにソロ活動を開始。そこには自身の精神的傾向や神秘主義がよく表れていた。最初に出したアルバムは3枚組の『All ThingsMust Pass』で、このなかの「My Sweet Lord」がヒットした。(「Hare Krishna Mantra」もこのアルバムに収録されている)。このアルバムは全米アルバムチャートで7週連続1位に輝き、売り上げ総数は最終的に100万部を超えた。
1971年8月1日
バングラデシュのための慈善コンサート
ハリスンとシャンカールは、バングラデシュ独立戦争による難民を救済するべく、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを2回開いた。この戦争では非常に多くの民間人が犠牲になっていた。コンサートにはリンゴ・スター、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ビリー・プレストン、アリ・アクバル・カーンらも出演している。のちに3枚組のライブアルバムと映画も制作されて、収益金は最終的に1200万ドルに達した。このアルバムはグラミー賞最優秀
アルバム賞に輝いている。ボブ・ゲルドフはのちに、このコンサートに感化されてチャリティコンサートLive Aidを開催したと語っている。1985年のこのコンサートでは、アフリカの飢餓救済のために1億2700万ドルを調達できた。
1998年10月20日
ラヴィ・シャンカールの娘、アヌーシュカがファーストアルバムをリリース
10 代の初めに父親と一緒にシタールを演奏し始めたアヌーシュカ・シャンカールが、17歳で初のアルバム『Anoushka』を発表した。こうしてアヌーシュカは父親の長年の活動を継承して、インドの古典音楽を欧米に広めた。アヌーシュカは音楽に打ち込んでいた父のことを次のように語っている。「私はインド音楽とヒンドゥー哲学にどっぷり浸かった父の下で育ちました。父は、ひとつの真実に夢中になった人です。父はグルから聞いた話をよく私にしてくれました。『ひとつを学んだら、すべてを学ぶだろう。すべてを学んだら、何も学ばないかもしれない』。父はそういう人でした。すべてのことに興味がありましたが、ひとつに絞って深く根を下ろしたのです。父は精神的なものとして音楽にひたむきに取り組んでいました」
※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。
- SHARE:
- X(旧twitter)
- LINE
- noteで書く