「もっと伝えればよかった」大好きな母親がステージ4の乳がんに。看取った漫画家が振り返る介護の日々【体験談】

『今日もまだお母さんに会いたい』(KADOKAWA)より
『今日もまだお母さんに会いたい』(KADOKAWA)より

漫画家・枇杷かな子さんは、ステージ4のがんを患った両親の介護を同時期に経験しました。自宅で過ごしたいと願う母と、暴言を浴びせる父との生活。安全な場所へ送り出したいという思いと、本人の意思のはざまで揺れた緩和病棟探し。施設選びのポイントや、看取りの時間にやっておいてよかったこと、子育てと介護を同時に担うダブルケアの難しさまで。『今日もまだお母さんに会いたい』(KADOKAWA)作者の枇杷さんに、後編ではより実践的なお話と、介護する人自身を守ることの大切さについて伺いました。

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母を緩和病棟へ送り出すまで

——最後まで自宅で過ごしたい方が多いと聞きますが、お母様は最終的に緩和病棟へ入られたのですよね。

母自身も住み慣れた家にいたいという気持ちが強くて、できればそうさせてあげたかったんです。でも、うちの場合は父があまりにも母に暴言を浴びせる環境だったので、せめて母だけでも安全な場所にいさせてあげたかったんです。

たとえば介護ベッドのレンタル一つにしても難航したんです。一度借りたのに、父が「いらない」と返してしまった。その代わりに父は母のために介護用でないベッドを買ってしまっていて、でもそれは自力で起き上がれない人にはまったく使えないベッドなんです。それでも「意地でも使わせる」と言って譲らない。最終的には主治医の先生に伝えて、無理やり介護ベッドを入れた、という状況でした。

結果的に母は緩和病棟に入ってから結構頑張ってくれてはいたんですけど、私の中に「このまま家で死なせていいのか」という焦りがずっとありました。「お父さんやっぱりひどいよね」という愚痴もこぼしたかったんですけど、父が聞いてたらキレてしまうので、心からリラックスして会話もできない。だから安全で少しでも穏やかに過ごせる場所を早く見つけてあげたいという気持ちがありました。

——ただ、お母様自身は緩和病棟への入院を拒否されていたのですよね。

そうなんです。あれだけ怒鳴られても、母は「家がいい」と言い張っていました。「もう余計なことはしなくていい」と言われてしまったこともあって、私が「あなた頭おかしいよ」といった暴言を吐いてしまうなど、怒鳴り返してしまったこともありました。

——心配な気持ちが、ご自身でも制御できない形で出てしまった。

心配が苛立ちに変わってしまうんです。「なんで聞いてくれないの?こんなにひどい状況なのに」って。私自身も拒否反応の出る父と毎日やりとりしていて、限界に近かったのだと思います。

施設探しのポイント

——緩和病棟探しのご経験から、これから施設を探す方にお伝えしたいことはありますか。

自分が通いやすいかは大事です。あと、ネットで調べると情報が多すぎて、頭がパンクしてしまうんです。だから、候補は2〜3つに絞ったほうがいいと思います。やることが山積みで頭がごちゃごちゃの状態で、悩む場所まで増やすと本当にしんどいので。

——絞ったうえで、何を見ればよいでしょうか。

可能であれば見学に行って、医師や看護師さん、ケアをしてくださる方の対応を見ておくのが一番です。

それから「どの病院がいいか」を聞く相手も大事です。ケアマネジャーにとても詳しい方もいらっしゃいますし、病院には患者や家族の相談に乗ってくれるソーシャルワーカーの方もいらっしゃる。うちの場合はお医者さんが勧めてくれたところだったので、実際にその施設に入った患者さんを見たことのある方に聞いてみるのもいいと思います。途中から訪問看護師さんも家に来てくれていたので、その方からも「ここもいいですよ」と教えていただきました。

——お母様の場合は、見学から入院までの時間がかなり短かったのでしょうか。

そうですね、母自身がぎりぎりまで「緩和病棟は嫌だ」と言っていたこともあって、決断が遅れました。加えて、緩和病棟は人気のあるところだと見学にも時間がかかる場合があるんです。母の候補の一つもそういう施設で、すぐには見学できなかったんですよね。一方で主治医からは「そろそろ入れてあげなきゃいけない時期です」と言われていて、本当に時間がありませんでした。結局、見学してすぐに「ここにします」と決めて、翌々日くらいには入ることになりました。

やっておいてよかったこと・やらなければよかったと思ったこと

——介護から看取りまでの間で、やっておいてよかったことを教えてください。

とにかく「通うこと」です。近かったからできたことではあるのですが、顔を見て、声をかけて、思い出話をして。母の耳が聞こえないかもしれない時期にも、私は声をかけ続けました。

主治医も看護師さんも「耳は最後まで聞く力が残っているんですよ」と教えてくれたんです。会話のキャッチボールができなくなっても、もしかしたらこの言葉を聞いてくれているかもしれない。そう思って声をかけ続けたことは、やっておいてよかったと今でも思っています。それから、手を触れること、マッサージしてあげること。触れ合いをしておいてよかったと思います。

——逆に「やっておけばよかった」と感じることはありますか?

母に「大好き」「ありがとう」を、もっと話せるうちに伝えておけばよかったです。実際に伝えられたのは、母がほとんど話せなくなってから、お薬の影響でぼんやりしている時期でした。

そういう言葉を伝えると、母に死を感じさせてしまうのではないかと迷いもあったんです。でも今振り返ると「お母さんといると安心するな」とか、そういう言い方で伝えればよかったなと思います。

——「やらなければよかった」と思うことはありますか。

不思議とあまりないんです。ただ、自分を責めすぎなければよかった、とは思います。当時は「こうすればよかった」「こんなこと言わなければよかった」とずっと責めていました。でも一番大変なときの自分を思い浮かべると、十分頑張っていたなと思うんです。

母に怒鳴ってしまったことも、当時は「あんなふうに言わなきゃよかった」って気持ちはあったんですけれど、振り返るとあれだけハードな状況で毎日冷静に穏やかでいるのって難しいと思うんです。同じ状況にいる方にもご自身を責めないでほしいと思います。

ダブルケアの中で、自分と子どもを守るために

——介護されていた当時、お子さんは小学生から中学生ぐらいの年齢だったとのことです。お子さんがある程度大きくなっていても、やはりダブルケアというのは大変なのでしょうか。

そうですね、子どもが大きくても、悩みは尽きないとは思いました。たとえば学校でうまくいかないことがあったり、ケアしてあげなきゃいけないことは山ほど続いている。それを後回しにして、私は親のほうに行かなければならない日が何度もありました。

気遣いのできる子なので、「今お母さん忙しそうだから言うのやめよう」と相談を呑み込んでしまって、子どもが抱えているものがどんどん重くなっていく。一時的に子どものメンタルが不安定になってしまった時期があって、私にとって一番の後悔です。

赤ちゃんのように日常的なお世話が必要な育児だったら絶対に大変だと思います。でも子どもが大きいからといって、ダブルケアが楽とは思えないですし、人にはそういうことを言えないなって思いました。

未だに「親のために子どもが介護するのは当然」という風潮が残ってるのですが、少しでもその空気がある場所にいると、自分もすぐに染まってしまうんです。でも、自分の人生は親のためだけの時間ではないので、自分自身を大切にして、次に自分の家族、そのうえで親のサポート、そして頼れるものは全部頼ってほしいです。

——ご経験から社会の仕組みとして「こうあってほしい」と思うことはありますか?

「日本の介護制度は手厚い」という話も聞いていたのですが、実際に経験すると、本当にそうなのかな?と思う部分もありました。今だとサービスを使ってもギリギリの生活か、マイナスの方もたくさんいると思うんです。私自身も介護うつになりましたし、仕事を断らなきゃいけないこともありました。介護する側の生活が守られるような仕組みになってほしいと思います。

『今日もまだお母さんに会いたい』(KADOKAWA)
『今日もまだお母さんに会いたい』(KADOKAWA)

【プロフィール】
枇杷かな子(びわ・かなこ)

フリーランスの漫画家です。
日々、心に残るお話を描いています。

■ホームページ
https://biwakanako.mystrikingly.com/
 

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