「もっと頑張らなきゃ」「成長しなきゃ」「稼がなきゃ」何かに追われている感覚から抜け出す方法
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
「もっと頑張らなきゃ」
「成長しなきゃ」
「稼がなきゃ」
休日の朝、コーヒーを淹れながら、ふとそんな声が頭をよぎったことはありませんか?
ゆっくり休むのが悪いことのような気がしたり、家族の時間を過ごしているのに会社からのメールが気になったり、友達のSNSの投稿と比較して自分はまだまだだと落ち込んだり……いつも何かに追われている感覚がある人は少なくないでしょう。
品川皓亮・著『資本主義と、生きていく。歴史と思想で解き明かす「構造的しんどさ」の正体』(大和書房)はそんな「追われている感」の正体を、解き明かしてくれる一冊です。
「6人の追手」があなたを追いかけている
本書が面白いのは、「追われている感覚」を個人の問題として片づけないところです。
著者は、「時間」「成長」「数字」「労働」「お金」「消費」という6つの「追手」が、現代人を苦しめていると指摘します。
時間に追われ、成長を求められ、数字で評価され、働くことに消耗し、お金で人を測り、消費を促されていくら買っても満足できない……これらはバラバラに見えて、実はすべて「資本主義」という巨大なシステムの産物なのだと、本書は論じます。
あなたが「もっと稼がなきゃ」と焦るのも、「休日も心が休まらない」のも、意志が弱いからでも、ネガティブな性格だからでもない。思考や感情のすべてに染み込んでいる「資本主義」がそうさせている、と本書は指摘しているのです。
「降りる」でも「諦める」でもなく、「距離を取る」
私たちを苦しめているのは資本主義というシステムだ……と分かったとしても、そこから完全に降りるのは現実的ではないでしょう。
本書がとくに優れていると思うのは、その着地点の誠実さです。
「ありのままでいい」という脱力系の慰めを与えるのではなく、また、「会社を辞めろ」という極端な主張をするのでもなくて、資本主義との「適切な距離感」を探ることを本書は提案します。
「距離を取る」というのは、逃げることではありません。資本主義というシステムの構造に意識的になり、全てを鵜呑みにするのではなく立ち止まってみる、ということです。
たとえば「数字の支配」から少し距離を置いてみるために、KPIで自分の価値を測ることをいったんやめて、「自分はいま、何のために働いているか」「そもそも働くことがいいことだという価値観は正しいのか」などを自分に問うてみるのもいいでしょう。歴史的に見れば、「労働は卑しいもの」とされてきた時代もあったわけで、「働き者の方が道徳的」「お金を稼いでいる方がエラい」という価値観も普遍的なものではありません。
あるいは、消費の衝動に気づいたとき、「この商品を本当に欲しいのか、それともその付随している記号(例えばブランド品に付属している“成功者”という記号、など)を買って、不安を埋めたいだけなのか」など、一度立ち止まってみるのも一案です。資本主義の世界で生きる限り、消費には終わりがありません。企業はひたすら人々の欲望を喚起し続け、「消費するように仕向けている」のであり、私たちは「消費を続けるために、新しく欲望することを強いられる存在」でもあるのです。私たちの「欲しい」は自分の意思ではなく強いられているものかもしれない……その可能性に思い至ることができれば、消費する前にひと呼吸置くことができるでしょう。
こうした小さな問い直しの積み重ねが、資本主義との距離を取ることにつながるのです。
意図的に「資本主義のバグ」になってみる
また、著者は資本主義との距離の取り方として、「意図的に資本主義のバグ(予期せぬ不具合、エラー)になる」ことも提案しています。例えば、何の生産性もないけれど、自分の心が満たされることをしてみるのもいいでしょう。
仕事を離れてぶらぶら散歩してみるなど、資本主義の指標に照らし合わせれば「生産性がない」ことを選ぶことで、自分の中に新たな指標を持つ余裕が生まれます。
現代を生きる私たちは、普通に生きていると、資本主義の規範(生産性を高めるべき、成長するべき、時間を有効に使うべき、お金は稼ぐだけ稼ぐ方がエラいetc)を内面化してしまいがちです。そして、その規範は、私たちを鼓舞することもあれば、苦しめることもあります。
規範にガチガチに囚われて苦しくならないためには、やはり一定の距離感が必要なのでしょう。
「しんどさ」の構造に気がつくと、自分にも他人にも優しくなれる
「どうして私はこんなに疲れているんだろう」と思ったとき、真っ先に自分を責めてしまう人は多いと思います。
でも、この本を読んだ後では、少しだけ違う問いが立てられるかもしれません。「このしんどさは、どの"追手"からきているんだろう?」と。
原因が見えると、対処法も見えてきます。そして対処の選択肢を持てたとき、私たちは初めて、追われる側から「主体的に歩く側」へと、少しだけ移行できるのではないでしょうか。
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