「我慢は美徳」「忍耐は努力」という価値観は誰のためにもならない|連載 #こころをほどく
元アナウンサーの渡邊渚さんが、自身の心に宿る想いをひとつずつほどきながら、心身のつながりや揺れ動く気持ちを綴るエッセイ連載。
「我慢は美徳」
「石の上にも三年」
「成らぬ堪忍するが堪忍」
この世の中には、忍耐力を美しいものとして捉える言葉が数多存在していて、辛抱を努力と同意義にとらえる人もいます。
ですが、本当にそうでしょうか?
私は、我慢は美徳だとか耐えるという言葉があまり好きではありません。
それらの言葉は、本心と向き合う機会を潰し、耐え難い現状に自分を縛り付けるもののように思えるからです。
最近、同世代の女性や大学生から、「職場やインターン先の業務内容や業務時間が合わない、特定の人との相性が悪く仕事へ行くことすらしんどい。でも、今まで耐えてこられたし、ここで辞めたら逃げのような気がして、辞められない」と相談を受けることが多々あります。
かくいう私も、かつては「辞める=逃げ」のように感じていた時期がありました。
だから彼女たちの相談が痛いほどわかります。
「これまでたくさん犠牲にしてきたものがあるから、積み上げてきたキャリアを己から手放したくない」
「私が我慢すれば、何とかなる。全て丸く収まる」
「辞めたら、その後の人生に困る。落伍者になる」
こんなふうに悩む人ほど、ひたむきで真面目なタイプが多い気がします。
こういった類の相談を受けた時、私が伝えることは二つです。
一つ目は、「その問題が、本当に向き合うべき課題で、あなたが頭を悩ませなければいけないことなのか見極める」ということです。
残念ながら、世の中には理不尽なことが絶えません。
大きなミスをしたわけでもないのに怒りをぶつけられたり傷つけられたり、どれだけ努力をしても破れないガラスの天井があったり、いろんなところに歪みが転がっています。
それらに対して、本当にあなたが頭を悩ませ、時間をかけるほど向き合うべき問題なのか、線引きをすることは、結果的に自分を大切にすることにつながると私は考えています。
もちろん、問題と向き合い続けて得られることや成長できることはあるでしょう。しかし、合わない環境で、気分を害してくる人と長くいることで、自分がすり減っていき本心がわからなくなったり、我慢が当たり前になったりしていきます。
自分の裁量外のこと、例えば相手の感情の問題や組織の構造的問題は、どれだけ自分が頑張っても解決までに時間がかかるし、徒労に終わることが多い傾向にあります。
「自分が悩むべきこと」と「本当は他人の課題」を明確に分ける。
自分のスキル不足や自分の成長に直結する課題ならば、冷静に向き合い続けるべきです。しかし、もし他人の課題だったら、それを共に解決したいと思うほどその他人や組織を想う気持ちがないのであれば、あなたがやれることは我慢以外ありません。
二つ目が「世界はそこだけじゃない」ということです。
例えば、サバンナに住むヌーやシマウマは、食料と水を求めて、気温や環境などの抗えない外的な影響を受けながら、生存に適した場所へ移動して過ごしますよね。
私は、人間も同じで良いと思うのです。
合わないところにずっと留まり、我慢し続けたら、いずれ限界が来ます。
その限界が死に直結することもあります。
だから、自分にとって居心地の良い場所を求めて動き続けることは、生きる上で当然のことと言えるのではないでしょうか。
しんどい生活をしていると、視野も狭くなってきます。
私も、他で生きていく道なんてないように感じた時期がありました。しかし、今いる場所が全てではありません。
コミュニティーは今所属しているところ以外にもたくさんあって、仕事も山のように転がっています。
また、あなたを大事にしたい、必要だと思う人も、この世に必ず存在します。
自分の居場所は、自身が思っている以上にたくさんあるのです。
最後に、今いる場所が自分と合っていないかもと悩んでいる人へ、「何も感じなかったことにしないでほしい」と伝えたいです。
自分の心の小さな叫びに、耳を傾けてください。
無視し続けると、確実に心が疲弊します。
一度心に大きなダメージを受けると、生きる気力を失い、復活までかなりの時間を要します。
そうなる前に、自分を大切にしてほしいのです。
そして、自分の居心地の良い場所を見つけることを諦めないでほしいです。
辞めることは逃げじゃない。むしろ戦略的撤退です。
一度きりの人生、自分を一番大切にして生きてくださいね。
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