病気になっても、どんな私でも。エンサイクロ代表・水田悠子さんが語る、“こうありたい私”を照らす、美の在り方
がんの手術後、リンパ浮腫と向き合うことになった水田悠子さん。29歳で可処分所得をすべて自分に使えた彼女が、「欲しいものが一つもない」と医療用ストッキングの世界で直面した現実。そこから、水田さんの「美とケアの隙間を埋める挑戦」が始まりました。インタビュー後編では、社内ベンチャーとしてブランド「MAEÉ(マエエ)」を立ち上げるまでの道のりや商品開発の背景、そして水田さんが語る「ビューティーは基本的人権」という想いについて伺いました。
「定年までひっそりと生きていこう」やさぐれからの再生
2018年、水田悠子さんはグループ会社のオルビスに出向となった。そこで初めてマネージャー職を経験する。それまでずっと商品開発のプレイヤーとして働いてきた彼女にとって、マネジメントは未知の領域だった。
「自身の体調、会社の状況、タイミングなどいろんな歯車が噛み合って、めちゃくちゃ仕事が楽しくなったんですよね。『定年までひっそりと生きていこう』と思っていたぐらいだったのに」
メンバーがどんどん成長していくのを見るのが嬉しかった。「会社は一人一人の可能性をフルに発揮させる器なんだ」――素直に、そう実感できた。仕事は可能性に満ち溢れていて、楽しい。数年間のやさぐれから、ようやく前を向き始めた瞬間だった。
そして2019年、社内ベンチャー制度に応募する。「がんを経験したとしても、その後の人生も変わらずビューティーを楽しめるという何かを提供したい」――めちゃくちゃザックリとした提案だったと、水田さんは笑いながら振り返る。
「事業開発なんて全くやったことないので、まあひどい状態だったんですけど…。個人の経験や気づきを価値に変える、それはこのグループの理念と一致しているっていう、もうその一本やりで、何とか承認をいただきました」
「元を取ってやろう」という気持ち
なぜ、長い間やさぐれていた水田さんが、ここまで立ち上がることができたのか。
「やさぐれてた時は、自分のことをあんまり好きじゃありませんでした。自分のことを好きじゃない状態って、心に負荷がかかるんですよね。だから、下手くそだけど何かに挑戦している自分っていいじゃんって、そう思えている方が、やっぱりヘルシーだなと感じました」
早く"ヘルシーな方"に行きたい。「気持ちを押し殺してひっそりと」なんてやさぐれているのは、自分じゃない。どこかで自分のことをもう一回好きになりたいと思っていた。そして、病気の経験を「なかったこと」にするのでも「引きずる」のでもなく、「意味や価値に転換する」という第三の道を知った時、「私もそちら側に行きたい」と思った。
「『貧乏症ですよね』って自分で言うんですけど、元を取ってやろうみたいな感覚」と水田さんは笑う。しかし、その笑顔の奥には、大きな経験を無駄にしたくないという強い想いがある。
「最初の頃は『2年後、私はこの世にいないかも』とか思ってたんですけど、数年経って『あれ? 長生きできるのかも、この先の人生もあるのかも』って思ったら、いつまでこの後ろ向きな状態でいるつもりなんだろうって、はたと気づいたんですよね」
「なぜできないのか、やらないのか」を知りたい
社内ベンチャーに応募した時、水田さんに不安はなかったのか。
ビジネスとしてどれくらい可能性があるかとか、ましてや会社を立ち上げるとか、代表になるとはとか、一切何にも分かってなかった。それでも、課題だけはめちゃくちゃクリアに見えた。自分だけじゃなく、周りの同じ病気をした友人もみんな口々に同じことを言っている。周囲に話すと「なるほどね、こういうものがあって、それは嫌だよね」と多くの人が共感してくれる。その手応えだけが手の中にあった。
「何年も何年も待ってたけど、いいものが出てこない。なぜ出てこないのか、できないのか、やらないのか。それを身をもって体感しない限り、私は一生『ストッキングがダサい』って言い続けると思って。なぜできないかを知りたいという好奇心が、知らない領域に踏み込むことの不安を上回っていたかもしれません」
不安よりも、好奇心。そして、自分ならではの視点で見つけたこの課題を実行してみたいというパワーが、水田さんを突き動かした。
エンサイクロ創業、そしてウェルネスブランド「MAEÉ(マエエ)」が誕生
こうして2020年、エンサイクロが誕生し、ウェルネスブランド「MAEÉ(マエエ)」が立ち上がった。
ブランド名の「MAEÉ(マエエ)」には、水田さんの想いのすべてが込められている。
「ストッキング屋を起業した、ガラッと仕事の領域を変えたという感覚は実はないんです。なりたい自分に近づける。それをきっかけに気持ちが前に進んだり、日常が心地よいものになったり、よりチャレンジングな選択をできるようになったり、そういうきっかけになるものを世に送り出したいという気持ちは、化粧品企画をしていた時と全く同じです」
気持ちや行動、日常が前へ進むもの。それが商品の形をしている。かつては肌に塗るものだった、それが今は脚に履くもの――ただそれだけの違いだ。
最初に発売したのは、医療用弾性ストッキング「コンプレッションストッキング」。リンパ浮腫など、治療が必要な方に向けて企画した製品だ。医療用ストッキングとしてはかなり薄いことが特長で「いわゆる「ストッキング」と言われて想像するものにかなり近い」レベル。価格は約1万2千円。海外ブランドが主流で数万円するものも多い中、求めやすい価格設定に努めた。
商品が発売されると、様々な声が届いた。
「リンパ浮腫になって初めての夏で、『ストッキングを履くだけでも汗だくで、これで外に出かけるなんてできない、今年の夏はもう本当に家から一歩も出られないと思ってた。でも、これだったら出かけられます。よかった』っていう声がお客様から届いたことがありました」
別の方からは、こんな声も。
「お子さんが小学校に上がるという方が、入学式の看板の前で家族で写真を撮るのに『厚ぼったいストッキングを履いた脚が気になるから私は写らなくていい』って言っていたんだけど、MAEÉのストッキングを履いてみたら『これだったら一緒に写真に写れる』と喜ばれて。『入学式が憂鬱だったけどよかった』って言ってもらえたこともあります」
出かける。写真に写る。大したことじゃないと言われるかもしれない。でも、その人たちにとって、どんな瞬間も尊いものだ。「MAEÉ」が存在していたことで、その瞬間を取り戻せた。「本当に商品を作ってよかったと思います」と水田さんは語る。
その後発売した「コンプレッションソックス」は、治療用品としてだけではなく、一般の方の日常のむくみ対策としても取り入れてもらうことを想定した商品だ。価格は4000円弱。疲れや冷えといった日常的な体の気になることに、手軽にケアとして取り入れてもらえるよう、上質なソックスとして違和感のない価格設定とした。
選択肢があるということ
MAEÉに出会えたことで、一歩前に進めた人がいる。一方で、前向きになれない人、良いものを探すという心境にない人もいる。
そんな人たちに対して、水田さんはこう語る。
「ポジティブになるかならないか、いつなるかも、幅があるし、あっていいと思うんですよね。例えば、コンプレッションストッキングの見た目についても『すごく派手な柄にするとか派手な色にするとかで、逆に脚を目立たせて、個性的なおしゃれに見せるっていうアプローチはないの?』と言われたこともあります。でも当事者としての私は、いきなりそうは思えなかった。そういうものがあってもいいかもしれないけど、その前にはやっぱり自然に見せたいっていう気持ちもあって。違う自分になったんだから、それを楽しもうよなんて、簡単に一足飛びにいかなくてもいいよ、というのがMAEÉの提案でした」
隠す、見せない、気にしない、逆に楽しむ――選択肢の幅があってほしいし、あって良い。「だから、選択肢があるという状態が一番必要かなと思います」と水田さんは語る。
病気になったからといって、全員が同じになるわけではない。おしゃれの楽しみ方も、美容に対する意識も、病気になる前は多種多様なのだから、なった後だって人それぞれであたりまえ。その中で、まずは「自然に見せたい」というニーズに応えること。それが「MAEÉ」のアプローチだ。
ビューティーは基本的人権
最後に、水田さんに聞いた。もう一度おしゃれを楽しみたいけど、どうしたらいいか分からない。自分を取り戻したいと思っている誰かに、今伝えたいこととは?
「『命が助かったんだから他は我慢しないと』って思わないでほしい。もう一回楽しみたいとか、取り戻したいっていう気持ちを、実現しないとしても、否定しないでほしい」
そのソリューションはまだまだ十分ではない。気持ちがあっても実現しない、叶わない、選択肢がないってことがいっぱいある。そして、水田さんは少し怪しい人だと思われるかもしれないけど、と前置きして、こう語った。
「憲法を改正したいくらいの気持ちなんです。教育、勤労、選挙など、色々な権利が憲法で保障されていますけど、それに匹敵するぐらいビューティーが大事だと思ってるんですよ」
ゆりかごから墓場まで、どんな人も、どんな時も、自分がこうありたいって思う気持ちが否定されないこと。もっと言えば、その選択肢が用意されていること。それは国民に保障される権利であってほしいと願う。そして、こう続けた。
「その気持ちを肯定し、実現するためにビューティーの企業は存在してるんだと思っています」
美しさは、生きるための必需品
美容やおしゃれは、小さなことと思われがちだ。でも、それによって行動や気持ちが変わる。14歳でビューラーを初めて使った時、水田さんは「自分がすごく可愛くなったような気がして」積極的に行動できるようになった。
丁寧に手をかけて、いいものを使って、肌がツルンとなって、「今日の自分、いいじゃん」と思える。その時の自分をちょっと好きになれる――それはやっぱり、健やかに生きていく上ですごく大事なことだ。
水田さんは、ビューティーを「贅沢」や「嗜好品」とは考えていない。「誰もがよりよく生きるために必要なもの」――それが水田さんの信念だ。
病気になっても、後遺症があっても、年齢を重ねても、どんな身体でも、どんな私でも。「こうありたい」という気持ちを持つことは、基本的人権と同じくらい大切なこと。その想いが、「MAEÉ(マエエ)」というブランド名に込められている。
お話を伺ったのは…水田悠子さん

東京生まれ。2005年に株式会社ポーラに入社し、販売現場や新商品の企画開発を経験。29歳のときに、子宮頸がんを罹患。1年あまり休職して治療に専念した後、同職場に復帰。2018年よりオルビス株式会社に異動後も商品開発に携わる。2020年5月、ポーラ・オルビスグループより株式会社encycloを創業。
MAEÉ(マエエ)
医療用品から始まった、ポーラ・オルビスグループ発のウェルネスブランド。
洗練されたデザインと快適な履き心地を追求した着圧ソックスなど、日々のコーディネートに彩りを添えながら、からだを整えるアイテムを展開しています。
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