(8)介護保険制度をどうやって維持するのか。ロスジェネとしての思い

(8)介護保険制度をどうやって維持するのか。ロスジェネとしての思い
Saya
Saya
2025-09-30

親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。

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これから日本の人口が減っていくなかで、今までのような介護保険制度は、維持できなくなるのは仕方ないことだと思います。日本の介護保険や介護スタッフのレベルはすばらしく、並大抵の人にできることではないと感じるのですが、バブル期に考えられた制度は、現状には合っていないかもしれません。ドイツなどでは介護をしている家族にお金が出るそうですが、今後は、日本でも、柔軟に対応していかないと難しいのではないかとも思います(3人めのケアマネジャーのお話によると、日本でも、介護度が高いにも関わらず、介護保険サービスを利用しなかった家族に慰労金が出る地域もあるそうです)。わたしはロスジェネの走りですが、就職難の時代に親元から出られなかった同世代も多いと聞きます。これからそうした方たちが親の介護をすることになる。もし彼らが親の介護をして公的なお金をもらえたら、人生に希望が出てくるのではないかと……。

野口さとこ

わたしは地元が「東京の田舎」だったので、介護保険制度が機能していましたし、母が父と同居していたこと、近居に妹ふたりがいたことなども恵まれていたと思います。でも、介護保険の人的リソースが不足しているエリアに住んでいたり、ひとりっ子だったり、きょうだいが頼れなかったりとなると、もっともっと切実な状態になっていくはず。絶望している家族の方も多いと思うのですね。自分の親が要介護状態になってみて初めて、そうした方の孤独や、街中の車椅子のお年寄りに寄り添う家族の存在に気づくようにもなり、手助けができないかという目線をもてるようにもなりました。その意味で、経験が無駄になることはないとは思うものの、自分の介護経験は恵まれていたかもしれず、こうやって書くことで、今大変な状況にある方を傷つける場合もあるのではとも思ったりしています。

わたしの父は生前、「ひどいことを言ってしまう人の気持ちを考えなさい。お父さんはその人の気持ちがわかるよ」とよく言っていました。恵まれている部分もあるのに、それに気づけないわたしを心配してくれていたのだと思います。

どうか、今大変な状況にある方が希望の光をもてるように。周りの方の助けを受け入れてくださるように。また自分自身も、父が願ったとおり、他者の気持ちがわかる人間になれるようにと祈りつつ。

文/Saya

東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram     @sayastrology

写真/野口さとこ

北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
ホームページ satokonoguchi.com
Instagram  @satoko.nog

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