(7)いくら感謝しても仕切れないケアマネさんへの思い……
親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。
今回は、紆余曲折あった、わが家のケアマネジャー選びについて、書いてきました。3人目のケアマネジャーは、父が亡くなるまでの半年間、とても熱心に動いてくださり、いくら感謝しても足りない思いです。今では母も、「要介護になったら、彼女にお世話になりたい」と言うほど(お礼をしたいと思っても、介護保険では物品の受け取りも禁止されているそうです)。
ケアマネジャーの置かれた状況が甘いものではないのは、最後にもう一度、付け加えておきます。ケアマネジャーには施設と居宅があり、施設のケアマネジャーであれば、大勢の利用者さんを担当しても移動時間がありませんが、居宅となると、1軒1軒まわるために、移動時間が発生する。でも、介護保険では移動時間まではカバーされないので、田舎になるほど、居宅介護支援事業所(以下、事業所)を維持するのも大変だとか。つまり、実家のある自治体は、市町村合併もなく、小規模なので、ケアマネジャーも短時間の移動で済みますが、これが山中の〝ポツンと一軒家〟などになると、移動に1時間かかることもあるわけです。エネルギーや物価が高騰するなか、利用者さんのことを考えて、ボランティアのようなレベルで踏みとどまってくださっている事業所やケアマネジャーも多いようです。

また訪問介護については、ヘルパーさん不足も切実で、わたしたちも、ヘルパーを入れることも検討していたのですが、父も母も、家に人が入ることを嫌がるうえ、週末や夜間になると、なかなかヘルパーがつかまらないという事情も知ることになりました。同じ東京でも、人口の多い23区内なら、ヘルパーがいるかもしれませんが、本当に地域によるんですよね……。
→【記事の続き】(8)介護保険制度をどうやって維持するのか。ロスジェネとしての思い はこちらから
文/Saya
東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram @sayastrology
写真/野口さとこ
北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
ホームページ satokonoguchi.com
Instagram @satoko.nog
- SHARE:
- X(旧twitter)
- LINE
- noteで書く





