(4)父の症状でもっとも悩まされた母への攻撃と妄想
親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。
二度の入院中、父の認知症がかなり進んでしまい、易怒性が出るようになったことは以前も書きましたが、退院後も、妄想による母への攻撃には家族全員、頭を悩ませることになりました。
この時点ではいわゆる〝まだらボケ〟ですから、しっかりしている部分も多いのに、母に関しては、シャドーが出てくる。「母が男の人を連れてきて、その人が家のなかを勝手に動かした」と言って、母を責める。元気なときの父は、大工仕事や家の修理も好きだったのですが、自分がやったことを忘れてしまっているわけです。
父の入院中に、わたしがスピーディにケアマネを決めたことも、父にしてみれば、よくわからない人間が自分の家で、好き勝手やっていると思えたのかもしれません。ケアマネジャーとの契約は、7月の父の退院後のこと。次女や三女が立ち会い、父もその場では納得していたはずですが、8月になって、介護保険を利用した階段や風呂場の手すりの工事などが実際に始まってみると、おもしろくなかったのでしょう。よく話を聞いてくださる方だったので、母がメールを送るなど頼っているふうなのも気に入らないようで、「あいつはダメだ、辞めさせろ」ということになってしまったのです。

さまざまなケアマネジャーに接したことのある看護師の三女も、「あの人は当たり」というほど。人当たりもよく、優しい方だったので、家族としては当然、変えたくありませんでした。またケアマネジャー本人も、当初は、「お父さんに気に入ってもらえるよう、もう少しがんばらせてください」とおっしゃってくださっていました。でも、父の「やめさせろ」コールは数週間、止むことなく、とうとう忍耐強いケアマネジャーも、「僕の力不足です」と白旗を上げることになりました。
ここで問題になるのは次のケアマネジャーです。「同じ居宅介護支援事業所(以下、事業所)内で、担当してくださるケアマネさんがいませんか」と伺ったのですが、全員手一杯とのこと。本当によい方で、別の事業所の知り合いの女性ケアマネさんをご紹介くださることになりました。ここでもまた、ミラクルが起こったのです。
→【記事の続き】(5)自分の著書が運んだスピリチュアルなケアマネさんとの出合い はこちらから
文/Saya
東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram @sayastrology
写真/野口さとこ
北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
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