(1)まさかの父の急逝。思いがけず、短期間となった介護体験

(1)まさかの父の急逝。思いがけず、短期間となった介護体験
Saya
Saya
2025-09-30

親の老いに向き合うというのは、ある日突然はじまるものです。わたしの場合、それは父の“夜間の徘徊”というかたちでやってきました。これまでは京都での暮らしや移住生活のことを書いていましたが、その裏では東京にいる父の認知症が進行し、家族で介護体制をどう整えるかに奔走していました。介護というと、大変そう、重たそう…そんなイメージがあるかもしれません。でも、わたしにとっては、家族とのつながりを見つめ直し、人の優しさに心動かされることが増えた、そんな時間でもありました。 この連載では、認知症介護の体験を通して、わたしが出会った「幸せの秘密」を、少しずつ綴っていきたいと思います。

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前回は、父を田舎に連れていったものの、東京に戻ってから、誤嚥性肺炎で入院させてしまったこと。また角膜手術もすることになり、入院が続いたことで、認知症が格段に進んでしまったことを書きました。

今回は、介護保険の伴走者となるケアマネジャーさんについて書くつもりだったのですが、2025年8月、突然の徘徊から1年半で、父が帰らぬ人となってしまいました。享年85歳、大往生ではあったのですが、もう少し寝ついたりして、徐々に衰えていくように思い込んでいたこと。また親の介護にはどこか夢中にさせる要素もあって、とくにこの1年は、父が自分の生活の中心になってしまっていたこと。経験してみないとわからないことでしたが、数週間は自分が空っぽになるような、我を失う感じがありました。

野口さとこ

でも、親をなくしたあとというのは、考えなくてはならないこと、やることがいろいろあるもので、そのプロセスのなかで、自分を取り戻してきた感じです。また、京都が拠点だったのもよかったようです。考えてみると、これだけお寺だらけの街ですから、亡くなった人はただ会えないだけと言いますか、「寂しくはなるけれど、近くにはいる」。そんな感覚で話される方ばかりです。畑のおばあさんが「ちらし寿司を作ったから、取りにおいで」と声をかけてくださったり、行きつけのアロマセラピーのサロンの方がわらび餅をくださったり。話すことで、自分自身も父の死について慣れてくるし、さりげないみなさんの優しさ、労りに心がほぐれていきました。

そういうわけで、思いがけず、短期間となったわたしの介護経験ですが、ひとまずは時計の針を1年前に戻したいと思います。もうしばらくお付き合いくださいね。

→【記事の続き】(2) まさかのミラクル。Oリングでケアマネさんを見つけるこちらから

文/Saya

東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram     @sayastrology

写真/野口さとこ

北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
ホームページ satokonoguchi.com
Instagram  @satoko.nog

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