NYで話題沸騰!?「ブラックメタルヨギ」にインタビュー【ny YOGA +life】
Q.認定を受けて以来、定期的にヨガの指導を行なっていますか?
数年間の間に何度も休んだり、新たな試みを見つけては戻ったりを続けました。そしてある日、「Laughing Lotus(NYにあるヨガスタジオ)」を知り、多くの点において私のアンチテーゼ的な存在だと感じました。ピンクの部屋の中、皆同じような表情で「元気ですか?」なんて声を掛け合う、思わず全員にパンチを喰らわせたくなりましたね。
当時の私はセラピーに通っていましたが、そこでセラピストからこう言われました。「多くの人は自分の影(認めたくない部分)と向き合わなければいけません;光と影は表裏一体です;あなたは十分自分の影と向き合っているので、次はしっかりと光に向き合い、人々を苦しめる理由を探求しましょう」それから私はそのヨガスタジオに通い続け、ヨガティーチャーとしてのトレーニングを受講しました。そこに集う人々の真っ直ぐなところに惹かれました。当初、そのスタジオに集う人は皆くだらない人間ばかりだと思っていましたが、実際はそうではありませんでした。彼らはニューヨークに住む人々を幸せにするためベストを尽くしているのです。現在はLaughing Lotus 200 hourなど、いくつかのプログラムで新たに指導を始めたヨガティーチャーにサンスクリット語を教えています。
Q.あなたにとってメタルはなぜ重要な存在なのでしょうか?
子供の頃はあまり音楽を聴きませんでした。私の母はディスコとソウルミュージックにハマっていましたし、70年代の影響は大きいですね。ある日中学校に通っていたとき、だれかにアイアン・メイデンのアルバム「キラーズ」をもらったのですが、斧を持ったエディというキャラクターが描かれたジャケットは印象的でした。母は私がエディに似ていると言っていました。母のターンテーブルにレコードを入れていつも聴いていました、何か惹かれるものがあったのでしょうね。それから、メタル好きの人々に会うようになり、14歳の時、近所にあったロッククラブ『L’Amour』に通うようになりました。ラモーンズ、アンスラックス、やオーバーキルが定期的に公演していましたし、もっと有名なバンド、例えばモーターヘッドやウェンディー・O・ウィリアムズなども来ていました。ウェンディは素晴らしかったわ。彼女には強い影響を受けましたね。当時、彼女の着ていたレザーのブラを見て、あんな格好を私もしていいのね!と圧倒されました。
Q. ウェンディー・O・ウィリアムズを14歳の時に見たんですか?
1980年代、16歳になれば『L’Amour』に入れましたし、18歳になればお酒も飲むことができました。でも実際のところ誰もIDを確認していませんでした。当時化粧も濃かったし、髪もかなり気合いを入れていたので簡単に18歳で通っていました。父はいなかったのでいつも母は不在でしたし、クラブで育ちましたね。
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