美容医療が身近になった今、考えたい「美しさ」との向き合い方|心理師の見解
近年、美容医療は私たちにとってますます身近な存在になっている。日本のクリニックだけではなく、美容目的で渡韓する人も増えている。今回は美しさとの向き合い方について考えていきたい。
美容医療のための渡韓
美容医療を利用する人が増える中、LCCや直行便の普及で渡韓しやすくなり、クリニック側も外国人患者の受け入れに積極的になっている。日本語が通じるスタッフを配置したり、専属の通訳を雇ったりする院も多く、初めてでも安心して施術を受けられる環境が整っている。渡韓美容は、もはや一部の人の特別な体験ではなく、旅行や買い物と並ぶ新しい目的のひとつになりつつある。
こうした状況は、かつては敷居が高かった美容医療を「選択肢の一つ」にまで引き下げた。シミ取りレーザーやリフトアップ、肌管理などが比較的手軽な価格で受けられることもあり、渡韓のついでに美容皮膚科を訪れる日本人は年々増えている。SNSや動画投稿サイトには体験談が溢れ、「韓国での美容治療」が当たり前のように語られる時代になった。
自己受容との矛盾
一方で、社会全体では「ありのままの自分を受け入れよう」というメッセージも強まっている。自己受容やボディポジティブの考え方は広まりつつあり、「外見にとらわれず、自分を認めよう」という価値観は以前よりも浸透してきた。それでも「もっと美しくなりたい」「老いのサインを少しでも和らげたい」と願う気持ちも、やはり多くの人が抱えている。矛盾しているようで、どちらも人間らしい自然な心理だ。
美しさの基準とは
美容医療にお金をかければ、確かに若々しさや理想に近い美しさをある程度手に入れることができる。しかし、そこで立ち止まって考えたくなるのは「美しさの基準とは何か?」という問いである。社会や流行が提示する理想像に合わせているだけでは、終わりのない競争に巻き込まれてしまう危うさがある。心理学的にいえば、人は自己像と理想像のギャップを埋めようとするが、基準が移動し続けると「もっと」「まだ足りない」が永遠に続いてしまう。
自己受容するために
結局のところ、美容医療は「理想に近づくための手段」であると同時に、「自己受容を深めるきっかけ」にもなりうる。肌が少し整ったことで笑顔が増えるなら、それは日常を軽やかにする有効な方法だろうし、一方で「理想とは違う部分も私の個性だ」と思える瞬間もまた、心を安定させる。美しさを追い求める気持ちと、いまの自分を認める気持ち。その両方を行き来しながら、私たちは自分なりの基準を探しているのかもしれない。
完璧を目指さないという勇気
そして、完璧を目指さないことも時には大切だろう。例えば、シワや影を100%消そうとするのではなく、70〜80%でやめておく。少し物足りないくらいで立ち止まる。例えば法令線を完全に消すのではなく影を和らげる程度で一旦やめてみる。そんな余白を残すことが自己受容においての鍵なのではないかと感じる。70〜80%でやめておく勇気を持つことが、これからの美容とのひとつの付き合い方だろう。
美容がこれほど身近になった今だからこそ、単に外見を変えるだけではなく、「なぜ美しくありたいのか」「美しさとは何か」という問いを持ち続けることにも意味があるのだろう。美とは、他者のまなざしの中にあるものでもあり、自分の心の中にあるものでもある。渡韓美容のブームは、単なる流行にとどまらず、私たち一人ひとりが自分と向き合い、美の意味を考えるきっかけを提供しているのかもしれない。
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