「完璧な聞き手である必要はない」専門家が語る、死にたい気持ちに寄り添う本当の方法
「死にたい気持ち」を抱える人の話を聞くとき、完璧である必要はない。『死にたい気持ちに触れるということ』(大月書店)の著者・加藤雅江さんは、専門家でなくても「聞かせてもらいたい」という気持ちがあれば十分だと話す。一方で、子どもや若者への支援では「ラベル」による弊害も指摘する。不登校やヤングケアラーといった名称がつく前の環境要因にこそ目を向けるべきではないか。支援者の視点から見えてきた、真の支援のあり方について聞いた。
完璧な聞き手である必要はない
——「死にたい気持ち」を抱えている人の話を聞くことに関して「うまく話を聞けなかったら」と不安で、積極的に動けない人もいると思います。
上手に話を聞く必要はありません。私もたくさん失敗してきましたし、今でも100点の聞き方ができているかといえばそうではないでしょう。それでも「話を聞かせてもらいたい」という気持ちは根底にあります。
——話を聞いてほしい人の中には「救ってくれる人」を求めていて、自分がそこまでの期待には応えられず、最終的に傷つけてしまったら……と考えたこともあります。どういった距離感を意識すればいいのでしょうか?
「距離感」は本当に大切な視点ですね。「内緒にして」「あなただから話した」と言われたときに、「自分がなんとかしなきゃ」と思ってしまいがちですが、自分だけで抱える必要はありません。抱え込んで2人で自滅してしまうこともあるので。
「今の話は自分には受け止めきれない」「私だけでは限界があるので、信頼できる人にも話したい」「これは医療の領域の話だから」といったラインの提示をしてもいいと思います。事前に対応方法を複数準備しておくことが、いざというときに役立ちます。
あと、「なんとかしなきゃ」と思い過ぎないことも大事です。
——確かに、専門家でもないので、できることには限りがありますね。
「できることはない」「何もできなくてごめん」と言うことがあっても、相手が話したことを失敗だったと思わなければいいと思うんです。「この話をしても嫌な顔をしない人もいる」「否定しない人もいる」ということを伝えるだけで十分だと思います。
逆に私は「なんとかします」「任せて」と言う人にはあまり話したくないです。一緒に苦しんでくれたり、「大変だったね」「わからなくてごめんね」と言ってくれる人の方が信用できます。
「死にたい気持ち」に寄り添う
——「死にたい気持ち」の正体について教えていただけますか?
「ただ死にたいだけ」の人はいないと思います。生きていたいけれど、生きることに痛みやつらさがあるから、それを解消したい。でもその方法がないから死ぬしかないと、そこしか見えなくなっている人も多いです。
どうやって死にたい気持ちから視点をそらすかが大事で、周りに味方になってくれる人や認めてくれる人がいることで、問題が解決できた経験を多くの人がしているんじゃないかと思うんです。
言い換えれば、孤立や孤独を強く感じたり、解決する方法は何もないという思考になると、死を考えざるをえなくなります。こういうとき、0か100かの白黒思考に陥りがちなんです。
——加藤先生はそういうご経験はありますか?
小学4年生のとき、図工の課題ができなくて「地震でも起きてパニックにならないか」「自分がいなくなるしかない」と考えたことがありました。
大人からしたら「そんなに大ごとになるわけない」と思うようなことですが、子どもだった私は本気で「この世の終わり」くらいの気持ちになっていたんです。
でも正直に先生に「できません」と言ったら「そうなんだ」とあっさり言われて、こんなものかと思いました。
——一人で思い悩んだとき、極端な選択しか思い浮かばなくなることは大人でもありますね。
白黒思考のスイッチが入ると負のスパイラルに入ってしまい、関係のない過去の出来事を思い出してしまって、「もうダメなんじゃないか」と思いつめてしまうことがあります。
でも「今それは関係ない」「今は安全だからそのことは置いておいていい」と思えるスキルを身につけることができると、多くのことは乗り越えていけると思います。そのプロセスに一緒に向き合ってくれる大人がいると、子どもや若者は救われるでしょう。
自己肯定感が下がるときは、できていないことばかり意識してしまいがち。でも朝起きて顔を洗った・ご飯を食べた・出勤してきた……そうやってできていることはたくさんあります。できていることに目を向けることを提案するのも一つの方法です。
ラベルで判断することの功罪
——自傷行為やオーバードーズなど、子ども・若者は何かしらの「ラベル」をつけて支援の対象という扱いを受けますが、ラベルを貼られる以前の環境の問題があることを指摘されていました。一方、現状はラベルがないと支援に繋がりにくいという問題があるのでしょうか?
そうですね。その名前のついた困りごとに焦点を当てて支援を組み立てますが、その子がなぜそういう症状を表面化させているのかという部分に視点を移す必要があります。
それは家庭や学校でバランスを取るために見出した役割かもしれません。その子がその役割を担うことでバランスが取れている状況があるかもしれないことも、支援を組み立てるときに考えなければなりません。
社会的にも家庭的にも不安定な状況で育った子どもたちが、適切な支援につながれずにいると、犯罪に巻き込まれる可能性があることを経験上知っています。子どもたちを被害者にも加害者にもしないためにも、地域で子どもたちが声をあげられたり、大事にされたりする経験を積み重ねることや、大人と関係性を繋げていくことの重要性を支援する側が知っておくことが大切だと思います。
一方、ラベルがつかないと、支援対象にならず、家庭の問題にされたり、自己解決を求められたりと「個人の問題」にされてしまうことも多いのは課題です。
——難しいですね。支援者側としての葛藤を感じることはありますか?
葛藤ばかりですね。でも最近、目から鱗が落ちる出来事があったんです。
地域の活動として、小学校で朝ごはんを出していて、味噌汁に入ってるなめこを知らない子がいました。「経験の格差に繋がっちゃったら嫌だな」とぽろっと言ったら、一緒に活動している人に「支援する人はすぐ『支援される人』を作るよね」と指摘を受けました。確かにその子はなめこを知らなくても、できることはたくさんありますし、困りごとに直面しているわけでもないので、支援対象ではないんですよね。
その話を学生にしたら、「先生はスマホにSIMカードが入っていること知らなかったですよね?今の時代、なめこよりSIMカードを知らない方が困る場面は多いと思います」と言われて、確かに……と思いました。でもSIMカードを知らなかった私も支援対象ではない。
一つの出来事を単純にラベルと結びつけるのではなく、もっと周りを見なきゃいけないですし、「支援される人」を安易につくってはいけない。それはヤングケアラー支援をする中で感じることです。状況的にはヤングケアラーでも、本人が困っていなかったり、ラベルを貼ることが子どもを苦しめることがあると痛感しています。
——どういう場面で「ヤングケアラー」とラベルを貼ってしまうことの問題を感じますか?
家事をしていたり家族のケアで学校に行けないと「ヤングケアラー」と即座にラベルを貼って支援を組み立てようとしますが、それが本当に子どもや家庭にとって良いことなのかの吟味が足りていないと思います。
ヤングケアラーの子たちは、自身の経験を否定されることで自分のアイデンティティが崩れてしまったり、自分の人生を否定されたくないと思っている子や、ケアは大変でも「悪いことばかりではなかった」と話す子も多いです。
一方で、みんなが当たり前にやっていたことができなかったつらさもあります。その気持ちを聞いて、どうすることがその子にとってよかったのかを確認していく。こちらの思い込みだけで支援を組み立てないことがポイントだと思います。
——支援者からしたら、子どもの負担が大きすぎるのでは?と心配になる状況でも、子どもが「好きでやっています」と話しているときはどうしているのですか?
たとえばですが、「代わりに大人ができることがあるかどうかを一緒に考えたいんだけど、どう思う?」という提案をします。
「介護に福祉の専門の人が入ることによって、あなた自身も好きなことができたりするんだよ」「通院介助のサポートが受けられるような仕組みがあるので使ってみるのはどう?」などと、本人だけじゃなくて家族にも提案する方法があります。「お家がうまく回るためには何が必要なのか」ということを、支援者が一方的に進めるのではなく一緒に確認していくイメージです。
もう一つ、子ども自身がケアを担うことによって、苦しくなったり休めなくなったり、子どもがいないことでお家が回らない状況が出てきてしまうことを、支援者として色々な経験がある分、心配していることや、長くあなたや家族が元気でいられるための方法を考えたいと思っていることは伝えるようにしています。
扉は子どもたちが「変わりたい」と思ったときに、子どもたちの側からしか開きません。必要なときに子どもたちが扉を開けられるよう、日頃から困ったときに「大人は見捨てなかった」という経験を積み重ねていきたいです。
——そうしますと、やはり「今助けてと言っていないので、支援の必要はない」といった話ではないのですね。
子どもたちが最初から「困ったから助けて」と相談してくれることはまずありません。一緒に遊んでいるときやご飯を食べているときに、ぽろっと「大人ってなんであんな怒り方するの」などとこぼして、困りごとの端が見えるようなものです。
子どもたちが「この人は安全、話しても大丈夫」と思えるような関係を作っていくしかありません。それは家庭だけでなく地域全体でやっていくことです。地域の大人がそういう思いでいてくれることで、救われる子どもたちが出てくると思います。
【プロフィール】
加藤雅江(かとう・まさえ)
杏林大学保健学部健康福祉学科教授。1967年東京都生まれ。2016年NPO法人居場所作りプロジェクトだんだん・ばぁを立ち上げ、子ども食堂などの活動に取り組んでいる。社会福祉法人子どもの虐待防止センター評議員、日本子ども虐待医学会代議員、NPO法人子ども・若者センターこだま副理事長。精神保健福祉士。社会福祉士。
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