同居は「安心」より「衰え」のリスクも。親の自立を守る適度な距離感とは?
高齢者の健康にとっては、必ずしも子どもとの同居がベストな選択ではなく、適度な距離感が重要な場合もあります。『こうして、人は老いていく 衰えていく体との上手なつきあい方』(アスコム)の著者である上村理絵さんにお話を伺った後編では、家事の「無意識のリハビリ」としての重要性を伺いました。孤立防止のため、社会参加のハードルを下げ、近所での挨拶程度から始めることの大切さについてもお話しいただきました。
同居より適度な距離感を
——本書では、子どもとの同居がきっかけで、できることまで子どもがやってくれたために、肉体的な老化が進んでしまったケースが紹介されていました。
高齢者にとっては、「手」ではなく「目」を借りることがポイントです。見守るだけでしたら同居もいいと思いますが、なんでもやってあげてしまう同居でしたらあまりおすすめできません。
衰えないために大事なのは家事です。家事の動作で自然と筋肉を鍛える機会があるので、家事を「無意識のリハビリ」と呼んでいます。身体機能の面だけでなく、家事は様々な段取りが必要なので頭を使いますし、出かけたり人と関わったりする必要性も出てきます。
たとえば買い物も、どこに何を買いに行くのか考え、服を着替えて、歩いて出かけていく。料理をするとなったら、どういった献立でどういったものを作るのかなど、いろいろ考えることがあります。全て体にとって大事なことです。だんだん足が弱くなって買い物ができなくなっても、買い物代行を依頼して、できる家事を続けることも可能です。
——特に子が現役世代ですと、忙しくて本人のペースを待てないということがあると思います。高齢の親のできることを奪ってしまうのであれば、同居ではなく近くに住んだり、安否を確認するツールを入れることで、適度に距離を取るという選択の方が望ましいのでしょうか?
様々な方法があるので、必ずしも家族が同居して背負う必要はないと思います。
デンマークでは、病気をしても、前の生活に戻ることを意識していると聞いたことがあります。たとえば、病気になる前の生活が一人暮らしだったら、どうしたら一人暮らしに戻れるのか、できなくなったところをどうカバーするのかを考えます。身体機能の向上が必要ならばトレーニングをしますし、環境的な調整が必要なのであれば、生活環境を整えていくといった考え方です。
日本の現状では、病気になった後は、「ヘルパーさんが何時に来て、デイサービスに何時に行く」という、病気をした側がサービスに合わせがちです。日本とデンマークでは制度や文化などが違うというのはもちろんですが、本人のことを考えたときに、病気になったから誰かが守ってあげるという形ではなく、その人の身体機能を奪わず、社会的な自立をサポートしていけることが理想的だとは思います。
——本書では「リハビリは、介護のためだけに行われるものではない」という記載がございましたが、一般的にイメージされるリハビリと、専門家から見たリハビリには違いがあるのでしょうか。
リハビリテーションという概念は、その人がその人らしく生きるためにあります。介護の概念は、日本ではケアするとか、その人を守るという意味合いが強いと思いますが、その人を守るためにリハビリテーションを行うのではありません。
その人が生きるために、身体機能や精神機能をどう維持させていくのか、自分らしく生きるために機能的なところをどう回復させていくのかが、リハビリテーションの概念として最も重要な部分です。「その人らしく」というところが目指すべき目標だと考えています。
「社会参加」のハードルを下げて考えてみる
——独身だったり、パートナーがすでに亡くなってしまったりと、一人で暮らしている場合に、孤立しないためにはどんなことが大切だと思いますか?
大事なのは社会参加です。社会参加というと、大きな集団のところに行かなければいけないようなイメージがありますが、まずは近所の方とちょっと挨拶する程度でも十分です。
一人暮らしでも退院後も自立して生活している方もたくさんいらっしゃいます。そういう方は、自分のペースで買い物をしたり、買い物に行けないのであれば、誰かに頼むといった関係ができあがっています。近くに家族がいて、ときどき子どもが来て、必要なものを買い出しするなど、ちょうどよく距離感を保った状態で生活している人もいます。
人を遮断しないことが重要です。たくさんの人を囲む必要はないですが、ちょっと話ができる人を血縁など関係なく、少しずつ関係性を作っておくことも大事なところだと思います。
——たとえば公園でのラジオ体操の集まりなどは、割とオープンなイメージがありますが。
最初からお話ができなくても、ちょっと参加して、なんとなく混ざってラジオ体操して、まずは帰ってくるだけで構いません。行き続けるうちに、だんだんと顔見知りになっていきます。おしゃべりしなくても「この時間にあの人がいるよね」って、誰かが思ってくれるだけで十分なんです。
うちのデイサービスは、他所に比べて男性の利用者さんが多いのですが、男性同士であまりおしゃべりはしていません。みなさん黙々と取り組んでいるのですが、いつも同じ時間帯にいる人がしばらく休んでいると、「あの人どうしたの」と聞かれることもあるんです。
会話はしてなくても、顔を出しているだけで、その人がいないことに違和感を覚えることがあります。そうやって、そこにいるだけでも、十分な参加になると思います。億劫になりがちですが、身を守るためにもそういった行動は大切だと感じています。
——年を重ねるにつれ、どうしてもできないことは出てくるので、人にお願いできる力というのも大切なのでしょうか?
そうですね。ただ、なかなかお願いしたいことって言い出せないんですよね。
以前、障がいのある方から「自分でやることにこだわるのではなく、誰かの力を借りることも、自分を受け止めるための必要な力の一つだ」というお話を聞かせていただいたことがあります。
「ここができないからお願いしたい」という部分は、自分のことをわかっていれば言えると思うのですが、「自分でできる」と思っている限りは、なかなか気づけないものです。
ある程度自分のできないことを受け入れていらっしゃる方は、「もう私はこれができないから」と軽やかに言い出せるんです。誰でも老いとともにだんだんとできないことはでてきますので、そういった感覚を持てるといいのだろうと思います。
「未病」ではなく「予防」を
——「老い」に関して、社会としての課題を感じていることは何かありますか。
高齢社会の中で重要なのは、老いることをネガティブに捉えるのではなく、できる限りご自身で生活を維持できるぐらいの元気を保てるような社会にしていくことだと思っています。
高齢者が増えているので、どうしても医療費が増加傾向にありますが、いかに病院に行く回数を減らせるか、予防していくことがすごく大事だと思います。決して未病状態の維持を目指すのではなく、ある程度病気になることは仕方がないと思うのですが、それを悪化させない、再発させないことも「予防」の一つだと思います。
そういった意味で、私たちにできることは予防や同じような再発を繰り返さないような啓発活動や、身体機能をできるだけ維持し、自信を持って生活することをサポートしていくことが役割だと思っております。
【プロフィール】
上村理絵(かみむら・りえ)
理学療法士。リタポンテ株式会社取締役。
1974年生まれ。「理学療法士によるリハビリテーション」「日本で初めて介護保険分野で受けられるサービス」を世に誕生させた誠和医科学(現・ポシブル医科学株式会社)の創業を支援。およそ10年間で、のべ16万人に生活期のリハビリを提供し、そのビジネスモデルの骨格を現場で作り上げてきた。
同社退任後、リタポンテ株式会社の立ち上げに参画。理学療法士の立場から、「高齢者に本当に大切なリハビリ」を提供している。
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