認知症と誤診されないためにADHDの診断を。おひとりさまの「老い方」の準備について聞いた|経験談


いずれはやってくる「老い」。どう備えたらいいか悩んでいる人もいらっしゃると思います。門賀美央子さんの『老い方がわからない』(双葉社)では、おひとりさまである門賀さんが、「老い」に向き合い、さまざまな対策をしています。本書に沿って、話を伺いました。
「老い」を感じたきっかけ
——「老い」について考え始めたきっかけはどんなことだったのでしょうか?
最初は疲れが取れなくなったことなどが気になりましたが、強烈に印象に残ったのは顔にシワができたことです。ある日突然、見たこともないようなシワが顔に現れ、それが消えることなく定着してしまいました。そのとき、これからの体の変化は成長でも成熟でもなく、老化なのだということを痛感しました。
——本書では、体は35歳、頭は45歳から老いを感じるようになったことが書かれていました。
頭の変化で特に印象的だったのは、ある朝、いつものようにお茶を入れようとしたときに、何を思ったのか電気ケトルをガスコンロの上に置いて火をつけてしまい、電気ケトルを焦がしてしまったことです。今までに経験のない失敗だったので、自分でも驚きました。
そのときは仕事で相当疲れていたのですが、長年同じペースで仕事をしてきても、そういうことは起きなかったんです。以来、次第に小さな失敗やマヌケな出来事が積み重なるようになり、これが老いの現実なのだと受け入れるようになりました。
40代から横須賀で暮らし始めて
——元々は都内に住んでいたとのことですが、中年期からの暮らしの場所として、なぜ横須賀を選ばれたのですか?
23区内に住んでいたのですが、3.11の震災後、住んでいたアパートに不具合が生じまして。ドアの上部にあるV字型のバネのネジが外れているのを発見し、建物の状態が危険だと感じて引っ越しを考えました。
そのことをFacebookに投稿したところ、何人かから「実家が空いているので、借りてくれませんか?」と連絡があって。他の候補地は千葉県の君津市と東京都の羽村市でしたが、君津は内房線が止まると移動手段がなくなってしまいますし、羽村の物件は駅から遠かったんです。
私は海が好きですし、横須賀は横須賀線と京急線の2路線が利用できる点も魅力でした。なので、横須賀に住むようになったのは、偶然が重なった結果であって、積極的に選んだわけではないんです。
——横須賀に引っ越して、生活の変化はいかがでしたか。
私は大阪市で生まれ育ち、その後も墨田区など賑やかな場所で生活してきました。今住んでいる地域は住宅街で静かな場所です。夜8時頃には周囲が暗くなり、最初は環境変化のギャップで少しストレスを感じていましたが、だんだんと慣れました。
それから、どこへ行くにも坂が多くて、日常レベルの外出でも、強制的に運動をしているような状態になります。最初は階段を上るだけで息切れしていましたが、今では心肺機能が向上したように感じます。健康維持という点では横須賀に住んで良かったと思います。
——都心に比べて不便さは感じることはありますか?
私は車を持っていませんが、横須賀は場所によっては車なしでも不便なく生活できています。東京へは1時間半ほどかかりますが、ライターという仕事柄、電車の中でも資料を読んだり調べものをしたりできるので、移動時間も有効活用できますし。
強いて言えば、東京で飲み会があると終電の時間を気にしなければならないことくらいです。最近はそういった機会も減りましたけどね。
ADHDの診断を受けて
——「軽度から中度のADHD」という診断を受けたことが書かれていました。
ADHDについては仕事を通じて知り、その特徴を見て「自分もそうではないか」という疑いを持っていたんです。今回の執筆のために調査する中で、認知症とADHDの症状に重なる部分があり、誤診によって見当違いの治療がなされ、結果的に認知症の症状が悪化するケースがあることを知りました。
私より上の世代は、「発達障がい」という概念がなかった時代を生きていたため、物忘れなどの症状がADHDによって現れている場合であっても、認知症と診断されてしまうことがあるようです。
将来的に認知症の疑いで受診する際に、ADHDの特性があることを医師に伝えられれば、適切な対応が期待できると考え、自分自身の状態を明確にしておこうと思いました。
結果は軽度から中度のADHDではあるものの、生活上の困難や、発達障がいによる二次障害(発達障がいの症状によって困難が生じ、その困難によって精神的な不調が生じること)もなく、知的な遅れもないため、障がいとして認定するほどではないという見立てでした。
診断を受けて、「やはりそうだったのか」という思いとともに、はっきりしたことで気持ちが楽になりました。できないことをできないと受け入れられるようになったことが、その後の生活の中での最も大きな変化でした。
——診断によって自己理解が深まり「無理をしなくてもいい」という考え方に変わったのでしょうか。
そうですね。無理をするにしても、どこで無理をすべきかがわかるようになりました。私は子どもの頃から追い詰められないとできないタイプだったのですが、そういう自分が嫌だったんです。嫌なのに毎回繰り返すことで自己肯定感も低下していました。
でも、それも自分の特性だと理解できたことで、ある程度は受け入れられるようになりました。「追い詰められればできるのなら、それでいいじゃん」と思えるようになり、自分のやり方だと折り合いをつけられるようになりました。
——診断を受けたことで、ご自覚のあったADHDの特性との付き合い方も変わったのでしょうか?
短期記憶が弱い傾向があるため、スマートスピーカーで日常のちょっとしたこと――洗濯物の取り入れや煮込み料理で火を落とすタイミングなど、細々とリマインダーを設定してお知らせしてもらうなど、自分の苦手な部分を補うツールを活用するようになりました。最近の言葉ですと「ライフハック」によって、自己管理の工夫をしています。
ただし、私の場合は投薬の必要がない程度だから診断がおりてホッとした、で済んでいるのだと思います。自己対策だけでは済まないレベルのつらい症状に悩む方もいますし、診断を受けても気持ちが楽にならない人もいます。なので、自分が発信する際には、そうした点にも注意したいと考えています。
※後編に続きます。

【プロフィール】
門賀美央子(もんが・みおこ)
1971年大阪府生まれ。文筆家。『ときめく妖怪図鑑』「ときめく御仏図鑑」『文豪の死に様』『死に方がわからない』などがある。
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