性をめぐるアートとケアの交差点:北欧発セルフケアブランド「LELO」×大道芸術館の試みを振り返る
「性」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。 快楽、タブー、愛、恥じらい、あるいは、語りにくさ。 2025年5月22日から29日まで東京・向島の大道芸術館で開催されたのは、そうした「性」にまつわる感情や価値観をやさしく問い直す、静かで力強いイベントだった。
スウェーデン発のラグジュアリーセルフケアブランド「LELO(レロ)」は洗練されたデザインと高品質なプロダクトで、世界中の人々にプレジャーを通して「自分自身とつながる時間」を届けてきたブランドだ。今回、LELOがコラボレーションしたのは、日本の昭和エロス文化をアーカイブし続けてきた美術館——大道芸術館。その選択に、今回のイベントの本質がある。
「昭和エロス」と「未来の性」の共演
今回のコラボレーションがユニークだったのは、性を“今ここ”だけで語らなかった点にある。大道芸術館が保管する昭和のエロス文化は、ともすれば「懐かしき男性中心文化」として消費されがちだが、今回はそこに再解釈のまなざしが向けられた。

過去を否定するのでも、単に美化するのでもない。「文化としてのエロス」を現代的に問い直すことで、性の捉え方に多様な時間軸が持ち込まれたのだと思う。
「性」は、一体誰のもの?
さて、イベントのテーマは明快だった。
「性とは何か、身体とは何か、プレジャーとは何かを問い直す」
「性を探求することは、自分を深く知ることにつながる」
会場にはLELOの製品展示に加え、大道芸術館の膨大なアーカイブ資料が並び、戦後日本における性の表現の変遷が、静かに語られていた。モノクロのポスター、古びた雑誌、写真、オブジェ、すべてがどこか懐かしく、そして瑞々しい。


LELOのプロダクトは、そんな「昭和のエロス」と現代の「セルフケア」が隣り合う空間で、まるで静かに呼吸をしているかのようだった。
トークセッションで語られた「性との交差点」
特に注目されたのが、5月22日に開催されたトークイベントだ。
登壇したのは、大道芸術館の女将・こんたあつこさんと、映画監督/写真家の枝優花さん。二人の対話は、「性と時代」「性の表現」「アートとしての性」「性の健康と権利」へと広がっていった。

枝さんが語った、「プレジャーという面でも、自分に投資していくことが周りから丁寧に扱われることにつながるし、自分も周りに対して丁寧になれるはず」という言葉が印象的だった。自己を知り、尊重すること——それがLELOが提唱するセルフプレジャーの本質であり、性が本来持つハッピーな側面でもある。
トーク全体を通して、移り変わる時代の中にあっても変わらないものがあることを感じた。そして「性を祝福することができたら、私たちはもっと自分を愛せる」というメッセージが、会場の空気を包み込んだ。
オールジェンダーの視点で考える、セルフケアとしてのセルフプレジャー
本イベントは、LELOのブランドメッセージでもある「すべての性を祝福する」というスタンスを明確に打ち出していた。来場者は性別や年齢、人種を問わず、多様な人々が混ざり合い、対話し、展示に見入り、製品を手に取る姿が見られた。LELOのプロダクトは人間工学に基づいたデザインだが、スタイリッシュで一見プレジャーアイテムとは思えないクールなクリエイティブも特徴だ。「部屋にあったらかっこいいね」「動きがすごい滑らか」「性別を意識させないカラーリングもいい」など、皆一様に、自分の体感を口にする。
LELOが目指すのは、ジェンダーに縛られない、誰もが「自分の身体に責任と喜びを持つ」社会。その思想は、商品のデザインだけでなく、イベントの構成そのものに宿っていた。
LELOのプロダクトが伝えているのは、「プレジャーは人間の尊厳に関わる」というメッセージ。性は、羞恥でも、義務でもない。「心地よさを知る」「触れる」「感じる」こと——それらすべてが、私たちの人生を豊かにする一部だと語っているようだった。
セルフプレジャーは、自己理解と自己肯定の入り口。誰かのためではなく、自分のために、自分の体と向き合う。LELOは、その先にあるプレジャーの未来を示していた。

最後に——問いを持ち帰る場所として
LELOと大道芸術館によるこのイベント。来場者の多くは静かな余韻を携えながら会場をあとにしていたはずだ。
「性とはなにか」「自分の身体は誰のものか」
この問いを、あなたはどう考えるだろう。イベントは終わったあとも、私たち一人ひとりの中で続いていく。
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