「早く死んでくれて安心した」作家・アルテイシアさんに聞く毒親の地獄の言動と呪いからの解放|経験談

「早く死んでくれて安心した」作家・アルテイシアさんに聞く毒親の地獄の言動と呪いからの解放|経験談
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「フェミニズム」という言葉を聞くことは珍しくなくなりつつありますが、意味が誤解されていることも。作家のアルテイシアさんは「フェミニズムとは性差別をなくそうという考え方です」と話します。アルテイシアさんの新刊『だったら、あなたもフェミニストじゃない?』(講談社)では、生まれた家庭での影響や、恋愛のこと、性暴力の話など、さまざまな角度からフェミニズムについて7人と語っています。家父長制的な価値観のもとでは、家庭内の弱い立場の人が抑圧されます。アルテイシアさんに生まれた家庭でのご経験を伺いました。

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知らないうちに両親が離婚していた

——本書の中でも毒親育ち(機能不全家族育ち)の体験についてお話しされています。「うちはおかしい」と言語化ができるまでの過程をお話しいただけますか?

私は中学から私立に通っていて、小学生のときには、今でいう教育虐待のようなことをされていたのですが、そのときはまだ自分の家が変だとは思ってなくて。でも私が中学生になってから、母親が朝からお酒を飲んだり、自傷行為をしたりするようになって「これは人に話せない」と思うようになりました。

母は40歳のときに父から離婚を告げられていて、母が壊れてしまった要因の一つであったと思います。

——お父さんはいかがでしたか。

仕事人間で、あまり家にいない人でした。当時はそういうお父さんが多かったから、それが変だとも思わなくて。小6の頃から、いないどころか帰ってこなくなったのですが、「そういうものなのかな」と思ってたところ、中学生になって親戚から「あなたも両親が離婚して大変ね」と言われたことで、初めて両親の離婚を知りました。

離婚後、父とは年に1、2回、外で食事をする感じでした。でも「父親プレイ」をしたかったんだろうなと思います。「俺は子どものこともちゃんと気遣っている父親だ」みたいな。私は会いたいとは思ってなくて、渋々付き合ってました。

小学生の頃から父が冗談めかして胸に触るとか「お前まだ処女か」みたいないじりをしてくるとかもあって、嫌ではあったものの、「世の父親はこんなものだ」と思ってました。中学生の頃に周りのお父さんの話を聞いてるうちに「どうも違うみたい」となって。

——高校生になってからは、「学校が救いだった」とおっしゃっていましたよね。

当時はまだ言語化できてなかったですが、「家がつらいから学校に行く」という感じで。なるべく家にいたくないから、帰りは友達の家に行って、泊まらせてもらうことも多かったです。学校で友達と話すことで、なんとか自分を保ってました。これで学校にも居場所がなかったら、「グリ下」や「トー横」みたいな場所に行くしかなかったと思います。

震災で直面した「自分には心配してくれる家族がいない」

——大学生になってから、実家を離れたのですか?

「この家を出なければ死ぬ」と思ったので、自分のバイト代だけでもなんとか生活費を工面できる地元の国立大学に進学してます。最初の学費は親が出してくれたものの、頼れる状況でもなかったのと、国立大学で学費も比較的安かったので、2回生からは自分で払ってました。教育関係のバイトが歩合制で、ラッキーなことに稼げたので、授業料も生活費もなんとか自分で払えるくらいではありました。

最初は日当たりも悪い座敷牢のような4畳半のアパートに住み始めて。それでも親から離れられてすごく幸せでした。

——1995年1月17日、アルテイシアさんが大学1年生のときに阪神淡路大震災があって、震災発生の数日後に偶然お父さんに会ったのですよね。

大学生になってからは会ってなくて、震災後にバッタリ街で出くわして「なんやお前、生きとったんか」と言われました。娘の安否などどうでもいいという、無関心な言い方で。

当時は自分の傷つきがよくわかってなかった。痛みをダイレクトに受け取ってしまうと生きていけないので。でもそれ以降、無茶苦茶にお酒を飲んだり、酔っぱらった勢いでセックスしたりするようになりました。それまでは初めて付き合った彼氏とだけセックスしてたのに、破竹の勢いでセックスをするようになったので、振り返ると痛みを麻痺させるための手段だったのだと。

「自分を大切にして」と心配してくれる女友達もいたけど「親にも死んでいいと思われてる人間がどうやって自分を大切にできるの?」と感じてました。

震災だけでも大きな出来事なのに、自分には心配してくれる家族もいない。溺れかけている中で、生きていくために「どんぶらこ」と流れてきた男を次々と掴んでいったのだと思います。

——お父さんに借金の保証人になるよう迫られたのは、社会人になってからですか?

社会人になってまもなく、父親が突然やってきて「お前が保証人になってくれなければ、俺は死ぬ」と脅してきました。当時はまだ「親子の絆」の呪いにかかってたので「親を助けなければ。私しかいない」「父が自殺したら、私は自分を責め続ける」と、罪悪感につけこまれました。

後から学んでわかったことは、サイコパス系の人間は、同情を引いて罪悪感を煽り、相手をコントロール・搾取するということ。父はそういうサイコ田パス太郎だったんだなと。

——会社にお母さんが突撃してきたこともあったのですよね。

母は私に電話をかけまくってきて、緊急の用でもないのに平気で10回連続とかでかけてくる人でした。それでも出ないと会社に来ちゃうので、電話番号を教えないわけにもいかない。毒親の困りごとに対して「縁を切ればいい」「無視すればいい」と言う人もいますが、突撃系の親はもっと大変なことになるので、遮断したくてもできないんですよね。

この頃、母親に対して「早く死んでくれ」とは思っていたものの、「いつかわかってくれるんじゃないか」という期待はまだ残っていて、諦められなかったです。それで年に1回くらいは会ってしまうのですが、やっぱりわかってくれなくて、傷つくことを繰り返してました。

父は金銭搾取もあったので、母ほどの思いはなかったですが、まだ諦められなかったです。父は保証人を迫るだけじゃなくて、現金をせびってくることもあったのに、それでも諦めきれなくて……。子どもってかわいそうですよね。

「一人で大丈夫な完全生命体」になりたかったものの、やっぱり私は人生のパートナーが欲しくて、安心できる人と一緒に住みたかった。私が最終的に諦められたきっかけは、夫と出会ったことです。「この人が私の家族」と思えて「もう実家の家族はいらない」と諦めきれました。なので、実家の人には結婚報告をしてないですし、結婚と同時に作家デビューもしてますが、それも一切伝えてないです。

——ご両親が亡くなったのはいつだったのですか?

私が30代のときに母が拒食症をきっかけに59歳で亡くなって、父はその10年後くらいに自殺で亡くなってます。

正直、親が死んだことは本当にほっとしました。「もう地球上にいない」ということに加え、老後の世話をどうするか考えなくていいという安心感もあります。

親が経済的に困ってたとしても、気持ち的には助けたくなくても、「行き倒れの老人を見捨てた」という罪悪感と天秤にかけなきゃいけないことを考えると、気が重くなってました。「時限爆弾を抱えている」感覚がずっとあったので、思ったより早く死んでくれて安心しました。

——双子の弟さんはどうしているのですか?

父の葬式のときに弟といろいろと揉めて(詳しくは『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』(幻冬舎)に)、そのときに弟のことも諦めました。

私は弟の学費を払ったり、結構な大金を貸してあげたこともあったんです。大人になってからは、弟はお金を借りたいときしか連絡してこなくなりました。私は「親はひどかったから、せめてきょうだいだけは仲良しでいたい」という幻想を持ってたんです。だから、弟から一回マグカップをもらっただけでもすごく喜んでました。今振り返ると、悪質なホストに騙される女性の気持ちがわかる……。

ちなみにその後、弟はYouTuberになってました(笑)。弟も毒親の被害者ですが、私が弟から受けた被害とは分けて考えなきゃと思ってます。

「相談すればよかった」という後悔

——振り返って、毒親育ちの「つらさ」とはどのようなものだと思いますか?

幼い子どもにとっては、「家庭=世界」なので、自分の家が変だと気づけない。思春期になっておかしさに気づけたとしても、自分の家だけがおかしいと思っているので、仲良しな友達にも話せないんです。

それに私が子どもの頃はとにかく情報がなかった。ネットもないですし、「アダルトチルドレンブーム」ももう少し後で、もちろん「毒親」という言葉もまだなくて。解決策もわからなくて、ただつらくて惨めな状態でした。

一番後悔してるのは、誰にも相談しなかったこと。相談してたら「それは毒親の手口」と教えてくれたり、相談窓口に繋げてくれたかもしれない。でも当時は情報もないから、ただ恥ずかしいことだと思って、誰にも話せなかったんです。

——「親を悪く言ってはいけない」という規範も強かった時代ですよね。

「親子だから助け合わなきゃ」といったことを言う人も、今よりもはるかに多かったです。最近のネット上のデマや誹謗中傷、陰謀論などを見ていると、人類にインターネットは早すぎたと思う部分はありますが、でもネットのおかげで、いろいろな情報を得たり、支援に繋がりやすくなったりはしてます。

たとえば検索すれば「家族でも保証人になるのは慎重に」という情報が出てくる。20代の頃にネットがあれば、父親の保証人になることもなく、父の数千万円の借金を背負うこともなかったと思います。

——家族の問題で悩んだときに、どこに相談すればいいと思いますか?

市区町村の女性相談員や、男女共同参画センターといった行政機関か、お金に余裕があるなら親子関係に強いカウンセリングでもいいと思います。私は「赤の他人のプロ」に頼ることをおすすめしてます。友達でも「毒親ポルノ」的な発言をしてこない信頼できる人ならいいと思います。

友達だと「長時間泣き続けて付き合わせるのが悪い」とか遠慮しますが、相手がプロなら、ひどく泣いても、うまく話せなくても、気を使うことはないので。

アダルトチルドレンの自助グループとか、毒親問題で悩んでる当事者同士のコミュニティとかも一つの方法だと思います。

※part2では、摂食障害の経験と夫さんに出会ってからのことを伺っています。

『だったら、あなたもフェミニストじゃない?』(講談社)
『だったら、あなたもフェミニストじゃない?』(講談社)

【プロフィール】
アルテイシア

フェミニズムを明快に軽快に語り下ろす作家。
主な著書に、『フェミニズムに出会って長生きしたくなった。』『モヤる言葉、ヤバイ人』『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』『40歳を過ぎたら生きるのがラクになった 』『オクテ女子のための恋愛基礎講座』『59番目のプロポーズ』ほか多数。

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『だったら、あなたもフェミニストじゃない?』(講談社)